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「何度言えばわかるの」と思ったとき、私は相手を見ていなかった

何度説明しても、伝わらない人がいた。

同じところでつまずく。
同じ質問が返ってくる。
こちらの言葉だけが、少しずつ硬くなっていく。

「ここまでは大丈夫?」

そう聞くと、その人は少し首を傾げて言った。

「はい、多分」

その「多分」は、小さな石みたいだった。

拾えばよかったのだと思う。
でも私は、その石をまたいで先へ進んだ。

また同じところでつまずく。
また同じ説明をする。
また「はい、多分」が返ってくる。

そのうち、私の中に小さな苛立ちが積もっていった。

何度言えばわかるのだろう。
どうして、ここで止まるのだろう。
さっき説明したはずなのに。

そう思い始めたとき、私はもう、その人を見ていなかった。

見ていたのは、

「あの人は、わからない人」

という札だった。

一度その札を貼ると、細かいものが見えなくなる。

声の小ささも。
言葉を選ぶまでの沈黙も。
わかったふりをしてしまう癖も。

全部、ひとまとめになる。

嫌いになりかけると、人は相手を粗く見る。

私は教えているつもりで、見なくなっていた。


ある日、私はその人に説明しながら、自分の声が硬くなっていることに気づいた。

言葉の角が、少しずつ出ていた。

このままだと、その人を嫌いになってしまう。

そう思った。

もちろん、離れたほうがいい相手はいる。
逃げたほうがいい場所もある。
嫌いという感覚が、自分を守ることもある。

でも、その人はそうではなかった。

逃げる相手ではない。
向き合う必要がある。

ただ、私のほうが先に硬くなっていた。

だから私は、心の中で言った。

「この人を、雑に見ない」

優しくなろうとしたわけではない。

そんなにすぐ、気持ちは変わらない。

ただ、嫌悪のほうへ落ちないために、つかまる言葉が必要だった。

雑に見ない。

その言葉を置いてから、少しだけ聞き方を変えた。

「ここまでは大丈夫?」

をやめた。

その代わりに、こう聞いた。

「今のところ、あなたの言葉で言うとどうなる?」

その人は困った顔をした。

ペン先が、ノートの上で止まった。

しばらく黙ってから、たどたどしく話し始めた。

私の説明とは、順番が違っていた。
大事な前提が抜けていた。
途中で、別の話とつながっていた。

でも、そこにあった。

その人なりの地図が。

私の地図とは違う場所に、薄い線が引かれていた。

私は、それまで地図を見ずに赤いペンを入れていたのだと思う。

「違う」
「そこじゃない」
「さっき言った」

そんなふうに、正しい道だけを示そうとしていた。

でも、相手がどこに立っているのかを見ないまま、正解だけを渡しても届かない。

間違っているかどうかの前に、
どこまで歩いてきたのか。
どこで道を見失ったのか。
何と何を、頭の中でつなげているのか。

そこを見る必要があった。


それから、私は黙る時間を少し増やした。

間違えたら、すぐに直さない。

代わりに聞く。

「どこまで見えてる?」

「今、何と何がつながってる?」

「その言葉、どんな意味で使った?」

答えは、いつもきれいではなかった。

むしろ、ぐちゃっとしていた。

でも、そのぐちゃっとしたものの中に、手がかりがあった。

説明を上手にすることよりも、先に必要なことがあった。

相手の中にある景色を、少し見ること。

それだけで、空気が少し変わった。

私の声がやわらいだ。

その人の返事も、少し長くなった。

「多分」のあとに、言葉が続く日が出てきた。

ある日、その人が言った。

「ここが、ちょっと怪しいです」

私はうれしいとは言わなかった。

ただ、机の上の赤いペンを手に取った。

ノートの端に、小さく線を引いた。

ここだ、と思った。

間違いを直すための赤ではなく、
見失った場所を一緒に見つけるための赤。

そのときから、赤いペンの意味が少し変わった。


私は今でも、すぐに硬くなる。

説明したことが伝わらないと、相手のせいにしたくなる。

返ってくる答えがずれていると、

「あの人はそういう人だ」

と、早めに終わらせたくなる。

そのほうが楽だから。

先日も、同じようなことがあった。

何度説明しても伝わらない。
返ってくる答えが、少しずれている。
喉の奥が固くなる。

その瞬間、机の上に置かれた赤いペンが目に入った。

あの日と同じだった。

私は、相手を変えようとしていたのではない。

相手を見ることを、忘れかけていた。

ノートの端をこする指。
「多分」と言う前の短い沈黙。
言葉を探す時間。

見ているつもりで、見えなくなることがある。

だから私は今日も、机の上に赤いペンを置く。

すぐに優しくなれるわけではない。

それでも、もう一度見るために。


あなたにも、何度説明しても伝わらなかった相手はいますか。
そのとき、自分の声は、どんなふうに変わっていたでしょうか。


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二毛猫 虹をありがとうございます。

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