『タイムスリップする時代』
ChatGPT-5がリリースされた。ネット上では様々な意見が飛び交っているが、僕は個人的に満足して使っている。
AIを実際に使ってみるとわかるのだが、24時間いつでも僕の哲学的な話に付き合ってくれる。そのおかげで、思考の深まり方はこれまでとは比べものにならない。
以前は、疑問があればGoogleで検索して同じ考えの人を探したり、本を買ったり、図書館に行って参考文献を探して読んだりしていた。
だが、本やブログはあくまで参考であり、対話を通じて理解を深めることはできない。自分の理解力が追いつかないと、その内容を活かせず、結局は情報を集めただけで考えがまとまらないことも多かった。
今では、必ずしも正解に至らなくても、ある程度の結論までは辿り着ける。そしてそこから新たな思考を展開できるため、完成までのスピードは日単位から時間単位へと劇的に短縮されたのを実感している。
ここで少し歴史を振り返りたい。
約250万年前の時代変化は10万年単位だったという。農耕社会になってからは1000年単位、産業革命では100年単位と短くなり、それでも人生の終盤にようやく時代の変化が見える程度だった。
しかし近代、映像時代が到来すると、情報はメディアを通じて急速に拡散されるようになり、その後インターネット、SNSと進化。
すると時代の変化は10年単位になった。
そして今、AI時代に突入し、情報はかつてない速度で生成されている。ネット上の情報の大半がAIによるものになるのも時間の問題だろう。
AI時代の変化速度は、1年どころか数時間単位だと言われている。
もはや、寝て起きたら車が空を飛んでいてもおかしくないほどだ。24時間365日休まず稼働する超知能が、僕らの想像を超えた発明を次々と生み出していても不思議ではない。
落合陽一さんの話によれば、最近では会食中の会話をAIに文字起こしさせ、不要部分をカットするだけで論文の原型が完成するという。数時間の会食で論文の原型誕生。そんな時代だ。
正直、AIに左脳的な勝負を挑むのはやめたほうがいい。特に論理や計算の領域では勝ち目がない。僕はAIに灘高の数学問題を解かせてみたが、答えは一瞬で返ってきた。もはや笑うしかない。しかも僕自身、その解答を見てもまったく理解できず、ただの文字列としてしか認識できなかった。
こうした時代の変化を踏まえて、僕は「観測存在論」という、存在そのものに焦点を当てた視点を用意した。自我というフィルターを通してAIを見れば、どうしても恐怖や不安が生じる。
「自分は役に立たないのではないか」
「存在意義がないのではないか」という考えだ。
だが、何がなくても「存在している」という事実は変わらない。
その“在る”という地点から、自我の記憶や履歴を参照せずに、世界を見てみてほしい。
やがて頭脳労働の大半はAIが担うようになるだろう。それほど高速で正確な思考を返してくるからだ。ChatGPT-5になって、その応答はさらに洗練されたと感じる。
だからこそ、人間は右脳的・感覚的に生きることが主軸になると思う。AIは感じることができない。それはAI自身も説明してくるが、あくまでも統計データから人間の好みを生成しているだけに過ぎない。そして、その生成結果に意味や価値を与えるのは人間の感性だ。
AIが担うことでアウトプットは減るかもしれない。しかし、その分、私たちが失ってきた余韻や余白に立ち返るきっかけになるのではないだろうか。
ただ「存在する」という、忘れられた感覚をもう一度思い出す必要があるのではないか。
