注文住宅を売ってまで長野に移住した理由
実はわたし、長野県に移住する前は
福岡県に住んでいて
こだわりにこだわり抜いた注文住宅まで建てていました。笑
家を建てる時は
「いつか自分のお店をもちたい」
という夢も叶えるため
自宅の一室には、店舗用の間取りも用意していました。


そ、れ、な、の、に!!!
何で、わざわざ長野で桃農家?
って、思いますよね。笑
私も思います。(え?笑)
でも、そこにはちゃんと理由があって。
私の祖父母は、長野の南信にある高森町という
「市田柿」で有名な場所で
なぜか桃農家を始めました。
聞く話によると、母が大人になってから
突然始めたそうです。
何で、市田柿じゃなく桃だったのか。
それは、亡き祖父にしかわかりません。
幼少期のわたしは、夏休みといえば
“長野で桃のお手伝い”
が定番で、毎年すごく楽しみにしていました。
超お転婆娘だったわたしは、
桃畑に山程いる カブトムシやクワガタを捕まえては
ブローチのように胸にぶら下げて
桃畑に集まる親戚中に
得意気に見せて回っていたのが
懐かしい思い出です。
そんなわたしも成長するにつれ
習い事や部活で夏休みのお手伝いからは遠のき
祖父は病で畑に出られなくなり
祖母も高齢で桃の管理が難しくなり
気付けば大好きだった桃畑から
桃の木は一本もなくなっていたのです。
失ってから気付く、大切だった場所。
気付いた時には手遅れで、
もうそこを繋ぐことはできませんでした。
それからのわたしはどこかで
「長野で農業がしたい」
と思うようになりました。
でも、当時、
救急隊としてバリバリ現場で働いていたわたしには
仕事を辞めて、長野で農業!
という覚悟は持てなかった。
大学に行ってわざわざ取った救急救命士の資格。
それを棄ててまでやる気持ちはなかったのです。
そうこうしているうちに数年が経ち、結婚。
結婚を機に、あれだけ拘っていた救急隊の職を辞し、
のんびり主婦の道へ。
そして、夫のUターンで福岡へ移住。
福岡の地で3人の子供を出産。
お気に入りのマイホームに、子宝にも恵まれて
幸せしかない!
、、、と思いきや。
主婦をしていたことで、
どこか社会から取り残されたような感覚をずっと抱いていました。
そんな中で
3人目が生まれたときに、今後の人生を見つめ直しました。
そのときに湧き上がってきた、わたしの心の声。
それが
長野で農業がしたい!
でした。
夫婦で話し合い、意見が合致。
そこからはトントン拍子で移住に向けての準備が始まりました。
移住先を探す中で目に留まった
長野市地域おこし協力隊
川中島町で桃農家になりませんか
の文字。
これだーーーーーーー!!!
と直感で飛びつきました。
長野で農業。
これまでは、何を育てたいのかは決まっていなかった。
でも、
桃
の文字を見た瞬間、
絶対桃がいい
に変わりました。
祖父母たちとの思い出の場所が戻る訳ではない。
でも
桃文化の歴史がある川中島町で桃農家になりたい。
それは、失ってしまった祖父母との大切な場所を
ここ川中島町で繰り返してほしくない。
わたしがこの地の桃文化を繋ぐ。
そう、思ったから。
覚悟が決まれば、もう振り返ることはなくて。
お気に入りの家を手放すこともすんなり受け入れられた。
家は、また建てればいい。
でも、伝統は失ったら、もう二度と戻らない。
伝統、これは、繋ぎ続けることに意味がある。
そう思っています。
代々、命が紡がれていくように
伝統もまた、途切れることなく紡がれていく。
その刻々と刻まれた時間に価値があると思います。
1stインスペクションの講義にあった
(株)印傳屋 上原さんのお話
受け継ぎ、磨く。
伝統と革新。
この言葉が、今のわたしには
ずっしりと胸に刻まれました。
川中島の桃を100年先へ繫いでいく。
それが、家を売ってまで移住したわたしの使命。
