遠回りの、レシピ。#4「はじめての、キッチン。」
山梨に移住して半年が経つ頃には、村の人々ともいい関係ができつつあった。カレーパーティーの効果もあったと思う。
ある日、妻が元教え子を連れてきた。書道教室に通っていた子が、調理師学校に進んでいた。卒業制作発表会があるからと招待されて、妻と二人で行ってきた。
会場に入った瞬間、何かが動いた。
中学生の頃からの夢があった。喫茶店のマスターになりたい、というやつだ。大学に進学する時に調理師学校への入学を諦めた。その後ずっと、漫然とではあるけれど、自分たちのお店ができたらいいなという気持ちが根底にあった。
願書受付の締め切り前日に、滑り込んだ。
入学して間もなく、村の天然酵母のパン屋さんの紹介で新聞配達の仕事が決まった。後に妻がパン教室に通うことになる、あの先生だ。仕事もしなければと思っていたので、二つ返事で受けた。ルールは一つ、毎晩21時には寝ること。3時半に起きて配達に行き、朝ごはんを作ってから学校へ向かう。そのためには21時就寝は絶対だった。
でも村の仲間と飲む機会があると、どうしても寝る時間を過ぎてしまう。結果、まだ酔いが抜けないまま配達の時間になる。車で配達するので、危なくて運転できない。
そこで妻の登場だ。
配達場所がわからないので、妻が運転して自分が助手席に乗り込む。酔っぱらった夫を隣に、明野村の暗い夜道を1時間かけて回る。つらかった。妻はもっとつらかったと思う。
それでも新聞配達と調理師学校の二足の草鞋は続いた。本当に充実していた。
夏休みに、学校の掲示板で調理のアルバイト募集を見つけた。即応募した。
村の県営施設「フラワーセンター」、現在のハイジの村のレストランだった。カジュアルフレンチ、気持ちのいい空間で、キッチンも広く仕事がしやすかった。夏休みの1ヶ月半、卒業までの土日も通い続けた。
そこのシェフが、年齢も近くて親身にしてくれた。それまでの飲食経験といえば、高校生の頃にファミレスでバイトしたことくらいだ。何もかもが初めてだった。実際の現場とはこういうものか、と思った。

盛り付けは、教えてもらったというより見させてもらって身についた、が正解だと思う。ものすごく綺麗な盛り付けだった。料理は味だけじゃない。どう見せるか。その感覚は、あの厨房で自然に染み込んでいった。今でも盛り付けを重要視しているのは、あの夏の影響だ。
学校では和洋中の調理実習、調理・栄養学を学んだ。その中で一番好きだったのが中国料理で、翌年の4月、中国料理の先生が勤める中華料理店に就職した。2年働いた。
その2年の間に、ケーキ教室にも通った。妻はパン教室に通った。自分たちのお店という夢は、まだ漠然としたままだった。お店をやるとは、その時点ではまだ思っていなかった。
ある日、ケーキ教室の先生から電話が入った。

「お店を移転することになったから、後この店をやらない?」
「一週間で決めて。」
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