十分に恵まれてるのに、満足できない、よくがいっぱいな、私の生きづらさ
私は時々、自分でも自分のことが分からなくなる。
「なんで今幸せなのに、変わりたいと思うんだろう」
今いる場所が嫌なわけじゃない。
むしろ、大切に思える人がいる。
一緒に笑える人がいる。
自分を受け入れてくれる場所がある。
そんな環境に出会えたことは、すごく幸運なことだと思う。
なのに、心のどこかでいつも
「もっと知らない世界を見てみたい」
「もっと成長したい」
「まだ知らない自分に出会いたい」
と言っている。
私は昔から「知らないもの」に惹かれる。
できない事。
初めて会う人。
初めて挑戦すること。
怖くないわけじゃない。でも、好奇心を持つし、その怖さの先にあるものを見てみたくなる。
振り返ると、私はずっとそうだった。
高校時代、数学や物理、化学を学ぶことに夢中になった。
強い高揚感を感じ、大学は工学部へ。
人とのつながりにも興味を持った。
英語で誰かとコミュニケーションを取れるようになりたいと思って英会話カフェに通い始めた。
そして、違う文化や価値観に触れたくて、1か月間インドへボランティアに行った。
ITにも興味が湧き、毎日7時間の大学での研究と並行しながら平日は3時間、休日は丸1日の授業も受けられるオンラインスクールに通った。
webデザイン・webアプリ開発ができるようになった。
私の大学時代は、枝がいっぱいあるけど実のなっていない木のような気がする。
そして就職活動を選ばず、新卒を手放した。
それからは、
バリスタとして働いたり、
フリーランスとして仕事をしたり、
知り合いの会社でアシスタントをしたり。(これもすごくおもしろかった)
1年間弱、いろんな経験をした。
その中で、自分が本当に好きなものは何なのか考えた。
そして今度は、夢だった海外生活をしたくて、カナダへワーキングホリデーに来た。
違う文化の中で暮らしてみたい。
英語で人と繋がれるようになりたい。
自分がどこまでできるのか試してみたい。
そんな純粋無垢な気持ちだった。
もちろん、何もかも完璧に準備できていたわけじゃない。
英語もまだ勉強中だった。
何が正しい選択なのか分からなくなったり、自分自身と会話をしすぎて少し鬱気味になってしまったり。
でも、そこで出会った人たちや経験、私自身が、私の世界を少しずつ広げてくれた。
私は、自分の行動力が好きだ。
割とポポンと一歩踏み出せる自分を、かっこいいと思う。
この性格があったから、今まで見られなかった景色を見ることができた。
でも同時に、この性格には生きづらさもある。
幸せな場所ほど、離れる決断が苦しくなる。
大切なものを嫌いになるのではなく、もう少し頑張った先を見てみたいと、自分に期待するが故に離れる。
好きな人がいる。
楽しかった思い出がある。
守りたい時間がある。
それでも、心の奥にある「もっと」という気持ちを無視できない。
そのたびに思う。
「私は今あるものを大切にできていないのかな」
「もっと感謝して、ここにいればいいんじゃないかな」
って。
新しいことを知ること。
挑戦すること。
自分の可能性を広げること。
が好き。
でも、ただ好奇心が強いからだけじゃないと感じる。
私は今まで、成長している自分、挑戦している自分を通して、自分の価値を感じてきたんだと思う。
「頑張っている自分」
「努力している自分」
「何かに向かっている自分」
そんな自分なら愛せる。
でも、何も挑戦していない自分。
心の声を聞こえないふりをしてただそこにいるだけの自分。
そんな自分は、あまり好きになれない。
つまり、ありのままの自分を愛するというより、
条件付きで愛している感覚。
もっと一つの場所に根を張れる人だったら楽だったのかな。
もっと「ここで十分幸せ」と思える人だったらな。
でも、そんな自分だからこそ経験できたこともある。
それに、もうこういう性格を持ってしまったなら仕方がない。
なれない自分に憧れるのはやめよう。
知らない国で暮らしたこと。
違う文化を持つ人たちと出会ったこと。
自分の弱さと向き合ったこと。
一歩踏み出したこと。
きっと私はこれからも、大切な場所を見つけるたびに悩むと思う。
好奇心によって何か決断したとき、選ばなかった道を想像して、本当に正しかったのか不安になると思う。
けど、私に言い聞かせよう。
”きっと私なりに考え抜いた結果なんだ。それに逆を選んだってないものねだり。素敵な出会い,経験が待ってるよ”
とことん好奇心に従ってみる。
私ができる最大限の努力をしてみる。
そうしたら、いつかもっと自分のことを知ることができるかもしれない。
そしていつか、何かを成し遂げている自分だけじゃなく、ただ存在しているだけの自分も愛せるようになるかもしれない。
今は、それに賭けて生きてみようと思う。
