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助手席に座る人をないがしろにしてはいけない

 助手席が好きだ。
 勝手に景色が変わっていくところが好きだ。何をせずとも目的地に近づくところが好きだ。行列を成す店が何の店なのか、すぐに調べられるところが好きだ。前を走る車のナンバーで、四則計算をして丁度10を作る遊びが出来るところが好きだ。あとタクシーが好きだ。
 先日、その話を友人にすると、「お前は男なのに助手席が好きなんて、変わっている」と言われた。運転は男の役目であり、運転してもらう方が気持ちが落ち着かないと、その友人は私の感覚が理解できないと言わんばかりに眉をひそめていた。
 時代錯誤もいいところだな、と思った。いつまでそんな男性観を持って生きているのだと薄ら笑いすらこみ上げる。
 だが同時に、そういうものか、とも思った。もしかしたら、私の助手席好きは異常なレベルで発達しているかもしれない。一応免許は持っているが、確かに友達と出かける時も、付き合っていた彼女とデートする時も、仕事で車を使う時も、全て私は助手席に座っていた。

 だが、一つ言わせてもらえるならば、助手席だってなにも呑気に、のほほんと乗っているわけではない。私はただのお荷物ではないのだ。
 名の通り、「助手席」の人間は運転者の助手をするものであり、「のみもの……」と言われればさっとキャップを外したペットボトルを渡し、「ここ右折かな?」と尋ねられればすぐに応答し、「この券持っといて」と指示されれば忠犬のように従う。プロ助手席者と言っても過言ではない。
 これは一度、適当に応答したがために函館の大通りを逆走させてしまった経験があるせいだが、それにしたって私はもう間違えない。運転者が快適に運転できるよう、最大の配慮を心掛けている。
 話題の提供だって欠かしたことはない。常に日本や世界に目を向け、時事的な興味深い話題から、SNSで拾ったミームや議論まで、多種多様な品を収集している。偶には役に立たない蘊蓄だって披露する。暇だと言われればいつだって縛りしりとり(国名や料理名、十文字以上等)の相手をするし、秘蔵のウミガメのスープだって出題する。助手席者には、運転者が楽しくドライブできるようにする能力も求められる。
 助手席で眠ることはもってのほかだ。私たちは例え運転者が眠ろうとも、眠ってはいけない。最後の防波堤である。
 従って、助手席は決して「楽だから」「運転したくないから」といった消極的選択ではない。私は、ゴールド免許を持っているのにもかかわらず、敢えて助手席を選んでいる。助手席は名誉ある仕事であり、研鑽したスキルを発揮する自己実現の場なのだ。

 助手席者にはもう一つ重要な素養が必要である。
 私たち助手席者は、何が起きても運転者を責めてはいけない。不注意による事故が起きても、目的地を大幅に間違えて反対方向に車を走らされても、ただそれを受け入れるしかない。曲がるときに膨らむことを指摘したり、ブレーキが雑だからといって、文句を垂れるのはご法度だ。
 全責任を運転者に背負わせる以上、その事実を受け入れること以外の能動的アクションを行うことは禁止されている。助手席者は「自分で運転すればこうはならないのに」とか、「こいつのせいで怪我をした」なんて考えることすら許されていないのだ。完全他責思考を超えた先の自責の念を、心に据え置かなければならない。
 予定があるので埼玉の家に送って欲しいと伝えたのに静岡まで連れていかれた時は気が狂いそうになったが、それでも私は受け入れた。私には助手席者に必要な素養があったからだ。

 そう考えると、運転者は運転するだけで済むのだからずいぶん楽だなと思う。
「運転は男の仕事だから」と思考を放棄し、役割を独占し、まるで自分の方が偉いかのように振舞う。そして、「助手席者たちは楽でいいよな」と見下す。しかし私たちは、これらの態度すら許し、包み込む器量がある。本当は私たち助手席者の方が偉いし大変なのにもかかわらずだ。
 助手席者と運転者は本来主従関係にあり、時には支え、時には支えられる、狭い空間で共生的な活動を強いられた同士であることを忘れてはいけない。それは、はるか昔の封建制度に近い。御恩と奉公でいうところの将軍と御家人である。勿論、助手席者が将軍様だ。

 運転者の偉ぶりには十分耐えられる。だが、虐げられる助手席者たちを見て悲しまないわけではない。私とて、これまでの助手席者・運転者の立場の逆転現象に納得いっていないのも事実だ。
 運転者は私たち助手席者が本当の、最後の最後に使える一手を考えたことは無いのだろうか。私たちが怒りに身を任せれば、走らせている車のハンドルを横から急にグイッと回し、全てを終わらせることだってできる。運命共同体による足の引っ張りはパニックホラーにつきものだ。それを実行する力が、私たちにはある。寛大な心を持っているから行わないだけであって、奴らは爆弾を隣に置いてドライブしていることに気付いていない。
 上記の反逆について、「自分も道連れならやる奴はいない」と高を括る運転者もいるだろう。そんな奴には、パトカーや警察署の前でこれ見よがしにシートベルトを外してやればいい。あいつらの光り輝くゴールドの免許が、受験生が使うマーカーのような安っぽい青に変わりゆく姿を見てせせら笑うのもまた一興である。
 どうやら、かもしれない運転について授業で学ぶ際に、「身内の謀反があるかもしれない」ということを学べてはいないらしい。

 助手席者たちよ、私たちは今こそ立ち上がるべきだ。平塚らいてふが『青鞜』を創刊した時の気持ちが分かる気がする。元始、助手席者は太陽であった。真正の人であった。今、助手席者は月である。
 助手席者には、多くのリスペクトを。運転者には裁きの雷を。
 私は助手席の地位向上とプロクオリティの助手席仕事を両肩に乗せ、いつだってそこに座る。機会があれば、是非私を助手席に乗せていただきたい。



追記:
 一応ですが、私の言った「身内の謀反」について、危険なので絶対にやらないようにしてください。脅し程度でお願いします。

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