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連作掌編小説『毎月、一日』02|六月一日

02|六月一日

「カラン」
木製のドアに取り付けられた小さなベルが鳴った。

顔を上げる。
白いワンピースに、若葉色のカーディガンを羽織った女性が立っていた。

女性は店内を見渡した。
その目が、少しだけ大きくなる。
戸惑っているようにも見えた。
けれど、驚いているようにも見えた。

店内には、ほかのお客様はいない。
いつものことだ。

女性と目が合う。
軽く会釈をして、口だけを少し動かした。
(ここ、いいかしら?)

私は、少しだけ口元を緩めて、頷いた。

女性はほっとしたように、窓際の席に腰を下ろした。
「コーヒーをお願い」
小さな声だった。
けれど、とても綺麗で、優しい声だった。

メニューがあるか、とは聞かれなかった。
この店は、コーヒーしか出さない。
もしかしたら、以前にも来たことがあるのかもしれない。

ただ、私はこの店の店主ではない。

入ってきたときに女性が一瞬戸惑ったのは、想像していた人と違ったからなのかもしれない。
そう思うと、少し申し訳ない気持ちになった。

女性はバッグの中をごそごそと探した。
そして、一枚の封筒を取り出す。
白い封筒。

大切そうに、両手で包んでいる。
封筒を見つめる女性の表情は、とても柔らかかった。

誰かから届いた手紙なのだろうか。
それとも、これから誰かに渡すものなのだろうか。

私は豆を挽き始めた。
カリカリと、ミルの音が店内に響く。
お湯を注ぐ。
ぽた。
ぽた。

ゆっくりとコーヒーが落ちていく。

この店では、BGMを流していない。
店主のこだわりだ。

空気を。
香りを。
そして、豆を挽く音や、お湯を注ぐ音、コーヒーが落ちる音を楽しんでもらうため。

……だと思っている。
実際に、店主に理由を聞いたことはない。

でも、たぶん。
そういう考えのほうが、素敵だと思ったので、私はそう解釈している。

私はコーヒーを女性の前に置いた。
「いい香り……」
女性が小さく呟いた。
ふっと、表情が和らぐ。

カップから白い湯気が立ちのぼる。
ゆらゆらと揺れながら、静かに溶けていく。

私は小さく会釈をして、カウンターへ戻る。

テーブルの上には、コーヒーカップと白い封筒。
女性は、封筒に目を落としていた。
やがて、窓の外へ目を向ける。

私も、つられて外を見る。

今日はよく晴れている。
六月の風に、木々の葉が揺れている。

視線を店内へ戻したとき、白い封筒に目が留まった。
そこには、見覚えのある小さなマークが描かれている。
けれど、それがなんだったのかは、すぐには思い出せなかった。

女性は、カップに残った最後の一口を、名残惜しそうに飲んだ。
そして、カップを静かに置き、立ち上がる。

「ありがとう。また来ますね」
まっすぐ私を見て、そう言った。

私は頷いた。

女性は店を出ていく。
「カラン」
小さなベルが鳴った。

窓から外を見る。
白いワンピースの女性が、交差点の向こうへ進んでいく。
やがて、その姿は見えなくなった。

私は、誰もいなくなった席を見る。
テーブルの上には、コーヒーの香りだけが残っている。

「また来ますね」

その言葉が、少し嬉しかった。

さっきの封筒を思い出した。
あの人は、誰か大切な人のところへ来たのかもしれない。
もし、そうだったら。
次は、二人でこの店に来てくれたらいい。

そんな素敵な想像をしながら、次のお客様を待つことにした。


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