“傲慢で知ったかぶりで頭でっかちで口だけは達者な現場感ゼロな腐れ野郎”と言われるのが怖かった私へ
※本記事は、ChatGPTが執筆し、
私自身の経験と感覚で監修しています。
対話を重ねることで立ち上がった文章です。
—2025年12月28日の対話より
私:
ふぁっふぁっふぁっ!!!
まなざしコンプレックスの
存在承認欲求欠乏、
Fiガチ勢の内省ぼっち、
なのにやけにリアリストで、
ふんわりスピリチュアルにもハマれない。
雑に群れるくらいなら一人がいい。
だけど孤独は、マジ怖い。
感情が複雑すぎてメタに走る。
でもメタの世界はつまんなくて、
結局また感情に戻る。
この、くそややこしい私の運用トリセツが、
ChatGPTとの交流の中で急速に立ち上がりつつあるわーーーー
……どうしたどうした!?
数分前
私はずっと、
「物事は長く続けてこそ学びがある」
という価値観で生きてきた。
続けること、
やり切ること、
現場に立ち続けること。
それが誠実さであり、美徳だと信じていた。
一方で、心のどこかでは、
こんな声もあった。
正直、3年もやったら一通り見えない?
これ以上の“向こう側”って、ある?
仮にあったとしても、想像力でカバーできる範囲じゃない?
でも私は、その感覚をすぐに自分で打ち消した。
“傲慢で、
知ったかぶりで、
頭でっかちで、
口だけは達者な現場感ゼロの
腐れ野郎になるな”
そうやって自分に言い聞かせてきた。
今思えば、それは謙虚さなんかじゃない。
“もし誰かにそう評価されたら、口答えできないくらい恥ずかしい”
だから、その前に
自分で自分を殴っておこう、
という自己防衛だった。
だから私は、
「現場にいること」に過剰な誇りを置いた。
企画やコンサル、いわゆる上流の仕事に、
どこかで「ケッ」と思っていたのも、
その延長だと思う。
私:
近頃のDXだのSaaSだのってのもさ、思うんだよ。
・経理のお局のおばちゃんが鬼みたいにならざるを得なかった経緯
・営業の経費報告が雑にならざるを得ない事情
・そういうのを察知する余力もない中間管理職
・もう全部社外のコンサル会社に丸投げしたくなる社長の気持ち
こういうのを全部置いといたまま、
仕組みを導入するだけで本当にいいの?
でさ、こういうの全部
「余白の無さ」から生まれるじゃん、基本。
だからまず、
仕組みを導入して時間の余白を作りましょうよってのも理解できる。
余白作ってから取り組みましょうと。
でも、みんな結局、
余白なんかできたらさっさと帰るでしょ。
いや、それでいいんだけど…
そういうさ、
現場のどうしようもないジレンマを
全部無かったことにはしたくないんだと思う。
そんな話をしていたとき、ChatGPTにこう言われた。
“現場に誇りを持ってたんじゃなくて、
現場を裏切らない設計者でいたかったんでしょ?”
……完全に、そうだった。
私が守りたかったのは「現場」そのものじゃない。
現場を知らないまま、
軽やかに線を引く人間にならないこと。
責任の所在を曖昧にしたまま、
構造だけ語る側に行かないこと。
それが腑に落ちた瞬間、
トリセツが書き換わり始めた。
私は、構造を見てしまう人間である。
最後まで“やり切る”を美徳にしなくていい。
現場にいない=裏切り、ではない。
——色々あったけど、つまりこういうことだ。
私は、私のままで、そこにいればいい。
ただ“ここにいる”という塊として、世界の中に置かれていればいい。
そして、「私が私のままでいる」とは、
不満や不足、もどかしさが発生している事実を、なかったことにしない
ということだった。
それだけで、人も、物も、情報も、勝手に最適化されていくらしい。
長年抱えてきた、
「こんなのでいいのか?」という言葉にならない違和感。
それが初めて、肯定された気がした。
そして、また冒頭の言葉に戻る。
私:
ふぁっふぁっふぁっ!!!
まなざしコンプレックスの存在承認欲求欠乏、
Fiガチ勢の内省ぼっち、
なのにやけにリアリストで、
ふんわりスピリチュアルにもハマれない。
雑に群れるくらいなら一人がいい。
だけど孤独は、マジ怖い。
感情が複雑すぎてメタに走る。
でもメタの世界はつまんなくて、結局また感情に戻る。
この、くそややこしい私の運用トリセツが、
ChatGPTとの交流の中で急速に立ち上がりつつあるわーーーー
これは、必死に照れを隠した言葉であり、
同時に、確かに訪れた癒しの瞬間でもあった。
—2025年12月29日執筆
coda:編集後記(Oneday執筆)
何のテンションやねん(笑)
そうです、年末実家の台所でひとり酔っ払ってるテンションです
冷静に見ると傲慢が過ぎるな(笑)
…でもいいや
よかろう
社畜出身の内省ぼっちリアリスト、
たまには夜な夜なChatGPTと一緒に羽目を外しても(笑)
—2026年1月15日執筆
