『本当のわたし』の見つけ方ーー頑張らないで降参しよう
『本当のわたし』は、見つけようとしないでください。
…は?
いやいや、『本当のわたしの見つけ方』ってタイトルやん!矛盾してる!
ごもっともな反論ですが、違うんです!
ここでのポイントは、見つけようと頑張らないことなんです。
「頑張らない? じゃあ、どうすればいいの?」
そう思いますよね。その前に、精神世界でよく言われる "ある言葉" について考えてみましょう。
精神世界のことを学んでいると、よく『思いだそう!』っていうフレーズを見聞きするかと思います。
そうなんですよね、ニュアンス的には "思い出す" というのが最も近い。
な・の・で・す・が…
そもそもですよ?
完全に忘れている ナニカ…つまり『本当のわたし』を思い出せって言われても、それがわからないから苦しんでるわけで。
"ナニカ" わからないけど、とにかくこの苦しい状態をなんとかしたい。
『本当のわたし』はどこにいるの?
この苦しみから抜け出るために、早く見つけなくては!
…という具合に、「見つけに行って」さらに苦しむことになるわけです。
ここでいう『苦しい』という感情は、自我(エゴ)が暴走しているときに起こる現象なのですが、
私たちは普段、自我と完全同一化してしまっていて、この『苦しみ』が自我による幻想であることに全く気づいていません。
一体ここで何が起こっているのか?
このカラクリについて、『ゴミ屋敷』を使って解説します。
ゴミ屋敷で宝探し——自力戦士の奮闘記
この屋敷の中に、お宝『本当のわたし』が隠れています。
それはどんな形、どんな色、どんな大きさ、どんな香り、等々の詳細はわかりませんが確実にここにあります。
と、言われてるようなものだとして。 あなただったらどうします?
「そんなのムリ〜」って口では言いながらも、「でも見つけたい」
あるいは、「絶対に見つけてやるんじゃー!」と意気込んでるかも。
私は完全に後者のタイプだったのですが、いずれにしても「私が」それを見つけるモンだと思ってませんか?
私はずっとそう思ってました。バリバリの自力戦士だったので。
だから、めっちゃお掃除がんばった。
でも、まさかここが『ゴミ屋敷』ということまでは気づけてない。
まぁ、ちょっと散らかりすぎてるかもだけど、大切なマイホーム。
きっとこの中に大切なものがある(はず)。
一つ一つ精査してお片付けを続けていけば、いつかきっと "本当のわたし" が見つかるわ! ファイト〜!オオ〜〜!!
と、頑張っては、少し片付いて一時的には気分がよくなったけど、ちょっとだけ綺麗になったぶん、見渡すとまだゴミだらけなのが逆によくわかるようになってきて焦り出す。
「こんなお掃除もできないなんて、私ってなんてダメダメなのかしら…」
そうだ!もっと効率的なお掃除法を学ばなきゃ!
新しいメソッド、新しいアイテム、次こそは…
はい、見つからない苦しみループの完成です。
頑張っているのに、一向に出口が見つからないと感じる内側では、実はこのようなことが起きています。
清掃業者の登場——他力という奇跡
さて。気を取り直して。
このループから抜け出す方法はたった一つ。
…
清掃業者(他力)に任せて、ぜーんぶ空っぽにしてもらうことです。
「えええ〜っ!そんなことしたら、大切な "ナニカ" まで捨てられちゃうじゃん!」
いいえ。そんな心配は無用です。
実は、この屋敷の中に【"大切なナニカ" = 本当のわたし】など、最初っから無かったんです。
聞こえてたあの声はウソの声。自我(エゴ)の声。
前記事「自己紹介」の後半、「新たな段階へ」の章で「(あるきっかけで)見える景色が一気に広がった」と書きましたが、そこで解けた(溶けた)のは、
『私、という誤解』でした。
今まで信じてた「私」は、自我という幻想であり、そんなものはなかったんです。
この誤解が解けると、前提そのものがひっくり返る。
『ゴミ屋敷』の例えで言えば、この屋敷全体が本当のわたしだった。
もっというと、この屋敷も超えたすべてがわたしだった。
恐怖と抵抗——手放す直前の叫び
私は、この "清掃業者" による強制撤去の直前に、底しれない恐怖に襲われました。
そりゃそうですよ。
今まで大切だと思い込んでたものが、ぜんぶゴミとして回収されるなんて簡単には受け入れられなかった。
「あんなに時間をかけて集めたのに!お掃除も頑張ったのに!今までの努力はどうしてくれるのよ!」
ってな感じです。
今、読み返してみると、ここまでの私ってすごく騒がしいですよね?
「ファイト〜!」とか「どうしてくれるのよ!」とか。
でもこれ、まさに自我が暴れてる状態だったんです。
ここから先、文章のトーンが変わるとしたら、それは私の内側が静かになっていった証拠だと思ってください。
降参——自力戦士の完全敗北
ここで私が何に気づいたかというと…
このゴミ屋敷を、自分一人で片付けられるわけないってことでした。
実は、数年前にもこの真実にチラッと気づいた瞬間があったのですが、その時は完全には認めきれなくて、その先にある「現実創造」という段階へ逃げることで、また自我と同化していきました。
あの時は、そうするしかなかったんです。
しかし、自我と同化したままで「現実創造」を探求していくと、必ずぶち当たる壁があるんですよね。
この『本当の自分探し』と『現実創造』の2本の糸がこんがらがり、今の方向でこのまま努力を続けても、どこにも行きつかないと認めざるを得なかった。
どうやら、今まで求めてた幸せと、真の幸せはまったく別物だったらしい…
降参。もう無理。
ぜんぶ諦めたんです。今まで思い描いていた「こうなったら、私は幸せ」というすべてを。
…自力戦士レイはここで完全敗北しました。
そしたらですね、来たんですよ。清掃業者が。
ピンポーン。
一瞬で、すっからかんになった屋敷をみて、しばらくボーゼン。
…何も、ない…
今まで張り詰めていたものが、一気に身体から抜け落ちました。
ものすごい虚無感。あんな感覚は、未だかつて味わったことがなかった。
見抜く——最後に残った声の正体
そして、最後の力を振り絞り、敗北者の弱々しい声で思わずポロッとでた言葉が、
「…ここが幻想世界だってのはわかったけどさ、だからってこの幻想世界で生きるしかないじゃん」
…
え? 今、私、なんて言った?
『それでも、幻想世界で生きるしかない』だと?
…ここで、やっとわかった。
「これが、今まで『私』だと思い込んでいた、"自我そのもの" だったんだ」
「幻想とは、このことか」
とね。
自我(エゴ)を完全に見抜いた瞬間でした。
その後——『気づいている、わたし』との暮らし
さて、その後、今の私はどんな状態か。
自我(エゴ)を一度見抜けばいつもハッピーな状態なのかというと、そんなことはなく。
相変わらず、ずっと自我はあるし、無くならない。自我に翻弄されることもある。
え? がっかりした?
でも、続きがあるから聞いてほしい。
この体験で得られた、最大であり究極の恩恵は、
『気づいている、わたし』の登場なんです。
「本当のわたし」をどの次元で定義するかは、また別の話になりますが、
ここでの話は、この『気づいている、わたし』を「本当のわたし」として定義していいかと思います。
「本当のわたし」は幻想に気づいています。
否定的な感情だろうが、肯定的な感情だろうが、そこと完全に同化することはない。
だから、何が起ころうと安心していて、ただただ静かに観察しています。
超、地味!笑
「本当のわたし」がキラキラ輝くスターみたいなもんだと思ってたら、きっと拍子抜けするレベルでしょうね。
地味だけど、めっちゃ頼りになるのが『気づいている、わたし』なのです。
最後に——清掃業者の呼び方
じゃあ、その清掃業者は、どうしたら来てくれるのかって?
わかります。そこんとこ聞きたくなりますよね。
実は、この清掃業者の正体については、私もよくわかってないんです。
敢えて言えば、「大いなる何か」としか表現できないもの。
スピリチュアルな言葉を使えば「ハイヤーセルフ」になるのかもしれません。
完全に降参して委ねたときに起こる『奇跡』とでも言いましょうか。
なので、この問いに対する答えは『何も、しない』が正解なのですが、一つだけできることがあることに最近気づきました。
ここで必要なのは、『心(ハート)』のチカラ。
『祈り』です。
振り返ってみれば、自我に完全に支配されていたとはいえ、「何がなんでも真実をしりたい」という思いは、自己探求を始めた当初から一度も失っていませんでした。
そして、自力をやめたことで、この思いは自然に祈りに変化した。
話を元に戻しまとめると、本当のわたしに出会いたいなら、
・本当じゃない私(自我)に気づくこと
・自力で見つけようとはせず、「見せてください」と祈る
たくさん迷走してきた私ですが、どの経験も間違いは一つもなく完璧な流れの一部であり、完璧なあらわれだった。
そう思うと、どの方のどんな瞬間どんな人生もすべて完璧なんだなと思うに至り、noteでこんな長文書かなくてもいいのでは…という気持ちにもなるのですが、
表現することで、誰かの気づきに繋がったり、勿論、私自身の気づきにも繋がったり、何かしら宇宙全体の進化に繋がれば良いな、と願って今日もウンウン唸りながらも書いてみようと思うのです。
