「目には見えないけれど、いたら面白い」妖怪と私と京極夏彦
いつも哲学や宗教、文学について真面目に書いてきましたが、今回は少し趣向を変えて、「妖怪」について書いてみようと思います。なぜか怖いけれど魅かれてしまう存在、それが妖怪です。
本格的に妖怪に興味を持ったのは、大人になってからです。ある日、ブックオフの棚でやたら分厚い本を見つけました。手に取ってみると、それが京極夏彦の小説だと知りました。「妖怪についての小説らしい」とだけ思い、はじめて読んだのが『女郎蜘蛛の理』でした。
ところが……その分厚さと難解さに、一度は挫折してしまいます。
それでも妖怪の世界は忘れがたく、しばらくして再会したのが、ユーモアたっぷりの薄めの京極作品でした。誰かに貸したか、あげたかしたので、タイトルは忘れてしまいましたが、製本会社に勤めながら全国を旅する妖怪研究家が主人公で、妖怪のことしか頭になくて、どこか笑える物語でした。それがきっかけで、「妖怪を通して語る大人の知性と遊び心」のような世界に、私も少しずつ引き込まれていったのです。
妖怪とは何でしょうか。
一言でいえば、「人びとの想像力が生んだ、目には見えない存在」です。
たとえば、「一反木綿(いったんもめん)」は布が空を飛んで人に巻きつく妖怪、「目目連(もくもくれん)」はふすまや障子に目がびっしりと現れる妖怪。そして、「唐傘おばけ」は、誰にも使われなくなった傘が妖怪となって現れる——なんとも健気な発想です。
これらの妖怪の姿を今に伝えるのが、**江戸時代の絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)**です。
彼の代表作『画図百鬼夜行』には、こうした妖怪たちの姿が豊かな発想とともに描かれています。
石燕の絵は、写実的というよりも、ユーモラスでどこか詩的。
たとえば「目目連」は、ただの怪談ではなく、人間が日常の中で感じる“視線”や“見られている感覚”を表現しているとも言われます。あるいは、障子の向こう側にいる「誰か」に対する想像力。つまり、目に見えないものを、形として描く力が石燕にはありました。

🖼️ 出典:「鳥山石燕『画図百鬼夜行』より」(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536533
このような妖怪たちは、現代においても、どこか私たちの心をとらえて離しません。
金をひたすらに稼いで、人より“良い”暮らしを目指すことが強いられる社会のなかで、「そんなの関係ない」と言わんばかりに跳ね回る妖怪の存在は、むしろ癒しです。
たとえば、妖怪研究家の小松和彦先生(国際日本文化研究センター名誉教授)は、「妖怪とは、人間の理屈を超えた“曖昧さ”や“不安”の象徴である」と述べています。つまり、妖怪の存在そのものが、社会の常識や論理を相対化するための「装置」なのかもしれません。
これは、文学批評家・小林秀雄が語った「ものごとの本質は、論理より直観で感じ取るものだ」という姿勢にも、どこか通じているように思います。人間が、見えるものだけで判断して生きるのではなく、「見えないもの」「見えにくいもの」にこそ、真理があるのではないかという態度です。
そんなことを真面目に考えながら、石燕の妖怪の絵をながめていると、どこか力が抜けます。
次回をお楽しみに👻
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出典『画図百鬼夜行』からの挿絵(国立国会図書館の高解像度画像より)
