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10年前の今日(2015年11月27日):銃撃事件と家族映画が映す、分断されたアメリカ

プロローグ:感謝祭の週末に起きた悲劇

2015年11月27日、アメリカは感謝祭の翌日、ブラックフライデーの買い物客で賑わっていました。家族が集い、一年で最も平和であるべき週末のはずでした。

しかし、コロラド州コロラドスプリングスでは、その平和が銃声によって打ち砕かれていました。

午前11時38分、プランド・ペアレントフッド(Planned Parenthood)の施設に、武装した男が押し入りました。施設内には、医療サービスを受けに来た患者やスタッフ、そして隣接するショッピングセンターには買い物客がいました。

銃撃は5時間以上続きました。警察との銃撃戦の末、3人が死亡、9人が負傷する惨事となりました。犠牲者の中には、現場に急行した警察官も含まれていました。

一方、その同じ週末、全米の映画館では、ピクサーの新作『アーロと少年(The Good Dinosaur)』が公開されていました。恐竜と人間の少年の友情を描いた、心温まる家族向けアニメーション映画です。

銃撃事件と家族映画――この対照的な二つの出来事は、2015年のアメリカ社会が抱えていた深刻な分断を象徴していました。

本稿では、10年前のこの日に起きた出来事を振り返りながら、銃規制、妊娠中絶、そして文化の分断という、今もなお解決していないアメリカの根深い問題を考察します。


第1章:コロラドスプリングス銃撃事件の衝撃

事件の概要

2015年11月27日午前11時38分、ロバート・ルイス・ディア(当時57歳)は、コロラドスプリングスのプランド・ペアレントフッド施設に武装して侵入しました。

プランド・ペアレントフッドは、女性の健康サービスを提供する非営利組織です。避妊具の提供、性感染症の検査、がん検診、そして妊娠中絶サービスなどを行っています。特に、低所得者層の女性にとって、重要な医療アクセスの場となっていました。

しかし、この組織は、妊娠中絶サービスを提供していることから、中絶反対派から激しい批判と攻撃の対象となっていました。

ディアは、ライフルを持って施設に押し入り、無差別に発砲しました。施設内にいた人々は、恐怖の中で身を隠しました。通報を受けた警察が現場に急行すると、ディアは警察官にも発砲しました。

銃撃戦は5時間以上続きました。その間、施設内の人々や隣接するショッピングセンターにいた買い物客は、身を潜めて救助を待ちました。

午後4時52分、ディアはようやく投降し、逮捕されました。

犠牲者たち

この事件で、3人が命を落としました。

ケ・アン・スチュワート(29歳) 施設を訪れていた女性で、二人の子どもの母親でした。

ジェニファー・マーコフスキー(36歳) 同じく施設を訪れていた女性で、陸軍のベテランでした。

ギャレット・スウェイジー巡査(44歳) 現場に急行したコロラドスプリングス大学警察の巡査で、6人の子どもの父親でした。彼は教会の牧師でもあり、地域で尊敬されていた人物でした。

さらに、9人が負傷しました。その中には、他の警察官や、施設の近くにいた市民も含まれていました。

スウェイジー巡査の葬儀には、数千人が参列しました。彼は英雄として称えられましたが、遺族は深い悲しみに暮れました。

犯人の動機

逮捕されたディアは、尋問の際に「もう赤ちゃんの部位は売られない(no more baby parts)」と発言したと報じられました。

この発言は、事件の数ヶ月前に起きた、プランド・ペアレントフッドをめぐる政治的論争と関連していました。

2015年夏、中絶反対派の団体が、プランド・ペアレントフッドの職員を隠し撮りした映像を公開しました。映像では、中絶された胎児の組織を研究機関に提供する話が録音されていました(実際には、研究機関への提供は合法であり、プランド・ペアレントフッドは違法行為を行っていませんでしたが、映像は編集され、誤解を招く形で公開されました)。

この映像をきっかけに、保守派の政治家やメディアが、プランド・ペアレントフッドを激しく批判しました。「赤ちゃんの部位を売っている」という誤った情報が拡散され、組織への攻撃が激化していました。

ディアは、こうした扇動的な言説に影響を受けたと見られています。彼は、プランド・ペアレントフッドを攻撃することで、「命を守る」と信じていたのかもしれません。

しかし、その結果、3人の命が奪われ、9人が傷つけられました。「命を守る」という大義名分のもとに、命が奪われるという皮肉な事件でした。

政治的反応

事件後、政治家たちの反応は、党派によって大きく分かれました。

民主党側の反応: バラク・オバマ大統領(当時)は声明を発表し、犠牲者を悼むとともに、銃規制の必要性を訴えました。「このような悲劇が繰り返されることを防ぐために、常識的な銃規制が必要だ」と述べました。

また、民主党の政治家たちは、プランド・ペアレントフッドへの攻撃的な言説が、このような事件を誘発したと批判しました。「扇動的なレトリックが、暴力を生んでいる」と主張したのです。

共和党側の反応: 共和党の政治家の多くは、犠牲者への哀悼を表明しましたが、銃規制には慎重な姿勢を示しました。「問題は銃ではなく、犯人の精神状態だ」という主張が繰り返されました。

また、プランド・ペアレントフッドへの批判を控えるべきだという民主党側の主張には、強く反発しました。「中絶反対の言論の自由を制限するのか」と反論したのです。

この事件は、アメリカ社会の深刻な分断を浮き彫りにしました。銃規制、妊娠中絶、言論の自由――これらの問題をめぐって、両陣営は真っ向から対立し、歩み寄る気配はありませんでした。

アメリカの銃暴力の現実

コロラドスプリングスの事件は、アメリカで頻発する銃暴力の一例に過ぎません。

アメリカでは、銃による死者が年間4万人を超えています(自殺を含む)。これは、交通事故死者数に匹敵する規模です。

特に、「mass shooting(マス・シューティング)」と呼ばれる無差別銃撃事件は、深刻な社会問題となっています。学校、映画館、教会、コンサート会場、ショッピングモール――公共の場での銃撃事件が、繰り返し発生しています。

Gun Violence Archiveによれば、2015年には、4人以上が死傷した銃撃事件が333件発生しました。ほぼ毎日、どこかで銃撃事件が起きている計算です。

しかし、銃規制は一向に進みません。全米ライフル協会(NRA)などの銃擁護団体が強い政治的影響力を持ち、規制強化の動きを阻んでいます。憲法修正第2条の「武器を保有する権利」を盾に、あらゆる規制に反対しているのです。

2015年当時、オバマ大統領は銃規制を推進しようとしましたが、共和党が多数を占める議会に阻まれ、ほとんど前進しませんでした。

そして、この状況は10年経った今も、基本的には変わっていません。

第2章:プランド・ペアレントフッドと中絶論争

プランド・ペアレントフッドとは

プランド・ペアレントフッド(Planned Parenthood)は、1916年に設立された、女性の健康サービスを提供する非営利組織です。

全米に約600の施設を持ち、年間約200万人の女性にサービスを提供しています。主なサービスは以下の通りです。

  • 避妊具の提供と避妊指導

  • 性感染症の検査と治療

  • 子宮頸がん検診

  • 妊娠検査と出産前ケア

  • 妊娠中絶サービス

重要なのは、妊娠中絶は、この組織が提供するサービスの一部に過ぎないということです。実際、中絶はサービス全体の約3%程度を占めるに過ぎません。大部分は、避妊や検診などの予防的な医療サービスです。

また、プランド・ペアレントフッドは、低所得者層に対して、無料または低料金でサービスを提供しています。医療保険を持たない女性にとって、貴重な医療アクセスの場となっているのです。

アメリカの中絶論争

妊娠中絶は、アメリカで最も論争的な政治的・道徳的問題の一つです。

1973年、連邦最高裁判所は「ロー対ウェイド判決」で、女性の中絶の権利を認めました。この判決により、全米で中絶が合法化されました。

しかし、この判決は激しい論争を引き起こしました。中絶を「女性の選択の自由(pro-choice)」と考える人々と、「生命の尊重(pro-life)」の観点から中絶に反対する人々が、真っ向から対立したのです。

中絶反対派は、「胎児も生命であり、中絶は殺人だ」と主張します。彼らの多くは、宗教的な信念に基づいており、特にカトリック教会や福音派プロテスタントが中心となっています。

一方、中絶賛成派は、「女性には自分の身体について決定する権利がある」と主張します。望まない妊娠を継続することを強制されるべきではない、というのが彼らの論理です。

この論争は、単なる医療の問題ではなく、宗教、道徳、女性の権利、政治が絡み合った、極めて複雑な問題となっています。

2015年の「ビデオ論争」

2015年夏、中絶反対派の団体「Center for Medical Progress」が、プランド・ペアレントフッドの職員を隠し撮りした映像を公開しました。

映像では、職員が中絶された胎児の組織を研究機関に提供する話をしていました。中絶反対派は、これを「赤ちゃんの部位を売っている」と批判し、大きな論争となりました。

しかし、調査の結果、以下のことが明らかになりました。

  1. 映像は編集されていた: 文脈を無視した編集で、誤解を招く内容になっていました。

  2. 組織提供は合法: 研究目的での胎児組織の提供は、適切な手続きを経れば合法です。プランド・ペアレントフッドは、違法行為を行っていませんでした。

  3. 利益は得ていない: 組織提供で利益を得ることは違法ですが、プランド・ペアレントフッドは輸送費などの実費のみを請求しており、利益は得ていませんでした。

複数の州が調査を行いましたが、プランド・ペアレントフッドの違法行為は確認されませんでした。

しかし、政治的には大きな影響がありました。共和党の政治家たちは、プランド・ペアレントフッドへの連邦政府の補助金を打ち切るべきだと主張しました。議会では、補助金削減の法案が提出されました(ただし、大統領の拒否権で阻止されました)。

また、保守派のメディアやソーシャルメディアで、プランド・ペアレントフッドへの攻撃的な言説が拡散されました。「赤ちゃん殺し」「殺人組織」といった過激な言葉が飛び交いました。

こうした扇動的な言説が、コロラドスプリングスの犯人のような過激派を生んだのではないか、と批判されたのです。

言論の自由と暴力の扇動

この事件は、「言論の自由」と「暴力の扇動」の境界線という、難しい問題を提起しました。

アメリカでは、憲法修正第1条により、言論の自由が強く保護されています。政府を批判する権利、不人気な意見を表明する権利は、民主主義の根幹です。

中絶反対派には、自分たちの信念を表明し、中絶を批判する権利があります。プランド・ペアレントフッドを批判することも、言論の自由の範囲内です。

しかし、その言説が暴力を誘発する場合はどうでしょうか。

過激な言葉で特定の組織を攻撃し、「赤ちゃん殺し」と呼ぶことは、一部の人々に暴力を正当化させる危険性があります。「殺人組織を攻撃することは正義だ」と考える人が出てくるかもしれません。

実際、プランド・ペアレントフッドの施設は、過去にも繰り返し攻撃の対象となってきました。1993年から2015年までの間に、11人が中絶提供者や施設の関係者として殺害されています。

言論の自由は守られるべきですが、その言論が暴力を扇動する場合、どこまで許容されるべきなのか。この問いに、簡単な答えはありません。

その後の展開

コロラドスプリングスの事件後も、プランド・ペアレントフッドをめぐる論争は続きました。

2016年の大統領選挙では、中絶問題が大きな争点の一つとなりました。共和党のドナルド・トランプ候補は、プランド・ペアレントフッドへの補助金削減を公約に掲げました。

トランプ政権下では、中絶反対派の政策が推進されました。連邦最高裁の判事に保守派が任命され、中絶の権利を制限する動きが加速しました。

そして2022年、最高裁は「ロー対ウェイド判決」を覆す判決を下しました。これにより、中絶の合法性は州ごとに判断されることになり、複数の州で中絶が禁止または大幅に制限されました。

10年前のコロラドスプリングス事件は、この長い闘争の一つの節目だったのです。

第3章:『アーロと少年』が映す、もう一つのアメリカ

ピクサーの新作

コロラドスプリングスで悲劇が起きていた同じ週末、全米の映画館では、ピクサーの新作『アーロと少年(The Good Dinosaur)』が公開されていました。

この映画は、「もし恐竜が絶滅していなかったら?」という想定で作られた物語です。恐竜が農業を営み、文明を築いている世界で、臆病な恐竜アーロが、人間の少年スポットと出会い、冒険を通じて成長していく姿を描いています。

ピクサーらしい美しいCGアニメーションと、家族の絆をテーマにした心温まるストーリーが特徴でした。

対照的な二つの現実

銃撃事件と家族映画――この二つの出来事は、2015年のアメリカが抱えていた分断を象徴していました。

一方では、イデオロギーの対立が暴力を生み、命が奪われていました。中絶、銃規制、宗教――これらの問題をめぐって、アメリカ社会は深く分裂していました。

他方では、家族が映画館に集い、恐竜と少年の友情に心を温めていました。多様性を認め、違いを乗り越えて絆を築く――映画が伝えるメッセージは、現実社会とは対照的でした。

この対比は、アメリカの矛盾を表しています。

アメリカは、自由と多様性を尊重する国として建国されました。しかし、その自由が、時に対立と暴力を生んでいます。多様性を認めるはずが、価値観の違いから分断が深まっています。

映画の興行成績

『アーロと少年』は、感謝祭の週末に公開され、オープニング週末で約3,900万ドルの興行収入を記録しました。しかし、これはピクサー作品としては、期待を下回る結果でした。

同じ年の夏に公開されたピクサーの『インサイド・ヘッド』が大ヒットしていたこともあり、『アーロと少年』への期待は高かったのです。しかし、批評家の評価は賛否が分かれ、興行的にも伸び悩みました。

最終的な全世界興行収入は約3億3,200万ドルで、制作費(推定2億ドル以上)を考えると、ピクサーとしては不振な結果でした。

この不振の理由として、いくつかの要因が指摘されています。

  1. 公開時期の問題: 同じ年に『インサイド・ヘッド』があり、ピクサーの年2本公開は初めてでした。観客が分散した可能性があります。

  2. ストーリーの弱さ: 『アーロと少年』のストーリーは、ピクサーの他の作品と比べて、やや平凡だと評されました。

  3. マーケティングの難しさ: 「恐竜が農業をする」という設定が、予告編だけでは伝わりにくかったかもしれません。

  4. 社会的な雰囲気: 感謝祭の週末に銃撃事件が起き、社会全体が暗い雰囲気に包まれていたことも、影響した可能性があります。

ピクサーの転換点

『アーロと少年』は、ピクサーにとって一つの転換点となった作品でした。

それまでのピクサーは、『トイ・ストーリー』『ファインディング・ニモ』『Mr.インクレディブル』『ウォーリー』『カールじいさんの空飛ぶ家』『トイ・ストーリー3』など、次々とヒット作を生み出してきました。批評的にも商業的にも成功を収め、「ピクサーは外さない」という評価が定着していました。

しかし、『アーロと少年』の不振は、ピクサーも完璧ではないことを示しました。

また、この作品の制作過程では、困難がありました。当初の監督が途中で交代し、ストーリーも大幅に変更されました。制作期間も延びました。

ピクサーは、この経験から学び、その後の作品制作に活かしていきます。『リメンバー・ミー』『ソウルフル・ワールド』など、文化的に深いテーマを扱った作品で再び高い評価を得ることになります。

エンターテインメントの役割

『アーロと少年』のような家族向け映画は、社会にどのような役割を果たしているのでしょうか。

一つには、現実逃避の場です。日常の困難や社会の問題から離れ、映画の世界に没入することで、心の休息を得ることができます。

また、共有体験の場でもあります。家族や友人と一緒に映画を見て、笑ったり感動したりする。そうした体験は、人と人とのつながりを強めます。

さらに、価値観を伝える媒体でもあります。友情、勇気、家族の絆――映画が描くテーマは、特に子どもたちに影響を与えます。

銃撃事件が起きた暗い週末に、映画館で『アーロと少年』を見た家族は、束の間でも平和な時間を過ごせたかもしれません。

エンターテインメントは、社会の問題を解決しません。しかし、人々に希望を与え、つながりを生む力があります。それもまた、重要な役割なのです。

第4章:10年後の今、何が変わったのか

銃暴力は減ったのか?

2015年のコロラドスプリングス事件から10年が経過しました。アメリカの銃暴力問題は、改善したのでしょうか。

残念ながら、答えは「ノー」です。

Gun Violence Archiveのデータによれば、マス・シューティング(4人以上が死傷した事件)の件数は、増加傾向にあります。2015年の333件に対し、2023年には656件と、ほぼ倍増しています。

特に記憶に残る事件としては、以下があります。

  • 2016年、オーランドのナイトクラブ銃撃事件(49人死亡)

  • 2017年、ラスベガスのコンサート会場銃撃事件(60人死亡、史上最悪)

  • 2018年、パークランドの高校銃撃事件(17人死亡)

  • 2022年、ユバルディの小学校銃撃事件(21人死亡)

学校、教会、コンサート会場、スーパーマーケット――あらゆる場所が、銃撃事件の現場となっています。

銃規制をめぐる政治的対立は、依然として続いています。一部の州では規制が強化されましたが、連邦レベルでの包括的な規制は実現していません。

中絶の権利はどうなったのか?

2022年6月、連邦最高裁判所は「ドブス対ジャクソン女性健康機構事件」で、1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆しました。

これにより、中絶の合法性を決める権限は、連邦政府から各州に移されました。結果として、多くの州で中絶が禁止または大幅に制限されました。

2024年現在、14の州で中絶がほぼ全面的に禁止されています。これらの州では、レイプや近親相姦による妊娠でさえ、中絶が認められないケースがあります。

プランド・ペアレントフッドは、引き続き活動を続けていますが、多くの州で施設の閉鎖を余儀なくされています。

中絶が禁止された州の女性たちは、中絶が合法な州へ移動するか、違法な中絶を選ぶか、あるいは望まない妊娠を継続するしかありません。これは、特に貧困層の女性に深刻な影響を与えています。

2015年のコロラドスプリングス事件で犯人が求めた「もう中絶はさせない」という目標は、ある意味で実現してしまったのです。ただし、それは暴力によってではなく、政治的なプロセスを通じてでした。

社会の分断は深まったのか?

アメリカ社会の政治的・イデオロギー的分断は、10年前よりもさらに深刻化しています。

2016年の大統領選挙でドナルド・トランプが勝利したことは、この分断を象徴する出来事でした。トランプ政権の4年間で、保守派とリベラル派の対立は激化しました。

2021年1月6日には、トランプ支持者が連邦議会議事堂を襲撃するという、前代未聞の事件が起きました。民主主義そのものが脅かされる事態となったのです。

メディアの分断も進みました。保守派はFox Newsを見、リベラル派はCNNやMSNBCを見る。それぞれが異なる「事実」を信じ、共通の土台を失っています。

ソーシャルメディアは、この分断をさらに加速させました。アルゴリズムは、人々を同じ意見の「エコーチェンバー」に閉じ込め、異なる意見に触れる機会を減らしています。

2015年のコロラドスプリングス事件は、こうした分断の暴力的な表れでした。そして10年後の今、分断は解消されるどころか、より深刻化しているのです。

ピクサーはどうなったのか?

一方、ピクサーは、『アーロと少年』の不振から立ち直りました。

2017年の『リメンバー・ミー』は批評的にも商業的にも大成功を収め、アカデミー賞を受賞しました。メキシコ文化を題材にした作品で、多様性と文化的な深みが高く評価されました。

2020年の『ソウルフル・ワールド』も、人生の意味を問う哲学的な作品として絶賛されました。

しかし、ピクサーも課題に直面しています。ディズニー+などのストリーミングサービスの台頭により、劇場公開の重要性が低下しています。コロナ禍を経て、多くのピクサー作品が劇場を経ずに直接配信されるようになりました。

また、『トイ・ストーリー4』『ファインディング・ドリー』『インクレディブル・ファミリー』など、続編が増えています。オリジナル作品の創造力が、やや衰えているとの指摘もあります。

それでも、ピクサーは、家族向けエンターテインメントの分野で、依然として重要な位置を占めています。分断された社会の中で、世代を超えて共有できる物語を提供し続けているのです。

エピローグ:分断を超えるために

10年前の教訓

2015年11月27日という一日に起きた二つの出来事――銃撃事件と家族映画の公開――は、アメリカ社会の光と影を象徴していました。

暴力と対立の影。そして、希望とつながりの光。

10年が経過した今、影はより濃くなっています。銃暴力は増え、中絶の権利は制限され、社会の分断は深まりました。

しかし、光も消えてはいません。家族は映画を見に行き、友人と笑い合い、お互いを思いやる人々がいます。

コロラドスプリングスの事件で命を落としたスウェイジー巡査は、危険を顧みず現場に駆けつけました。彼は、見知らぬ人々を守るために、自分の命を危険にさらしました。

こうした勇気と献身は、今も存在します。

対話の可能性

分断を乗り越えるには、どうすればよいのでしょうか。

簡単な答えはありません。しかし、一つ確かなことは、対話の重要性です。

異なる意見を持つ人々が、お互いを「敵」と見なすのではなく、「意見の異なる隣人」と認識すること。相手の人間性を尊重し、なぜそのような意見を持つのかを理解しようとすること。

中絶問題について、両陣営は激しく対立しています。しかし、双方とも「良いこと」を目指しているのです。中絶反対派は生命を守りたい、中絶賛成派は女性の権利を守りたい。どちらも、価値ある目標です。

問題は、その目標の実現方法です。暴力で相手を攻撃することは、どちらの目標も達成しません。

対話を通じて、共通の基盤を見出すこと。完全な合意に達しなくても、相手の立場を理解すること。それが、分断を和らげる第一歩です。

メディアとプラットフォームの責任

メディアとソーシャルメディアのプラットフォームも、責任を負っています。

扇動的な言説は、注目を集め、クリックを生みます。しかし、それは社会に毒を撒き散らす行為でもあります。

メディアは、真実を伝える責任があります。編集された映像や誤解を招く情報を拡散することは、暴力を誘発する危険性があります。

ソーシャルメディアのプラットフォームは、アルゴリズムを見直す必要があります。人々を分断するのではなく、多様な意見に触れる機会を提供するアルゴリズムへ。

簡単ではありませんが、努力する価値はあります。

希望を持ち続けること

アメリカは、多くの困難を乗り越えてきました。南北戦争、大恐慌、二度の世界大戦、公民権運動――歴史を振り返れば、今よりも深刻な危機がありました。

それでも、アメリカは立ち直ってきました。完璧ではありませんが、少しずつ前進してきました。

10年前のコロラドスプリングスで起きた悲劇を忘れてはなりません。しかし、絶望してもいけません。

変化は、一人ひとりの行動から始まります。暴力ではなく対話を選ぶこと。憎しみではなく理解を求めること。分断ではなくつながりを築くこと。

『アーロと少年』が描いたように、異なる存在が友情を築くことは可能です。それは、ファンタジーではなく、現実にも実現できることです。

希望を持ち続けること。それが、10年前のあの日が私たちに教えてくれる、最も重要な教訓なのかもしれません。

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