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喫茶ロマン 三章

事件現場での調べが一通り終わって、近藤は、まだ眉間に皺を寄せたまま九条と二人で護送車へと……。
真っ黒な箱の車、観音開きの後部から中へ入ると小さな窓に鉄格子、木製ベンチの硬い椅子に腰をおろすと「ガチッ」と外の世界と隔てる重々しい音が響いた。
「九条、一体全体どう言う事なんだ?
何故お前のカフスが被害者の手の中にあったんだ?何か心あたりはないのか?」
その顔には隠しきれない心配の色が浮かんでいる。
一方で九条は、鉄格子から入る薄い明かりの中、車内を見回しながら、手錠を揺らして「カチャカチャ」と鳴らしている。
「九条大丈夫か?」
「近藤さん、まさか自分が護送車に乗る事ができるとは……!」
思いがけない貴重な体験を楽しむように目を輝かせながら話している。
近藤は額に手を当て、深いため息を吐いた。
二人を乗せた車は横浜警察署へと闇に覆われてゆく街並みの中進んでいった。

取り調べ室では霧のようにたちこめる紫煙が、向かい合う二人の間に漂っている。
改めて、この事件の容疑者たる九条に近藤は尋問を始めようとした、その瞬間。
「私には昨日の夜のアリバイがあります」
近藤の出鼻を挫くように九条がサラッと口を開いた。
近藤は机に預けていた肘を滑らせ、椅子から転げ落ちそうになりながら。
「なんだと、何故それを現場で言わないんだ、一体どう言うつもりだ!」
荒げた声で捲し立てる近藤に。
「いや、あの現場で話すと誰かに聞かれている恐れがあるので、二人で話が出来るまで黙っていたのです」
「なんだと、……どう言う事だそれは?」
九条は、紫煙の向こう側にいる近藤を冷ややかに見据え。
「まだ断定はできませんが、裏に何者かの影が見える」
近藤の表情がかたまる。
「あの事件には……その何者かによって仕組まれたものではないかと、私は考えています」
近藤はただ茫然と瞬きを繰り返す事しか出来なかった。

その頃警察署の受付では、女給の小夜といつもロマンの隅で売れない小説を書いている夏目文人が警官を相手に問答を続けている。
小夜は眉をつり上げても怖くない顔で。
「近藤警部を呼んでください」
の一点張り。
夏目は小夜の後ろで、「その通り」とばかりに頷いている。
取り調べ室で受付の騒ぎを聞きつけて近藤が到着するや否や。
小夜は待ってましたとばかりに詰め寄った。
「どう言う事なんですか?そちらから呼びつけておいて、いきなり店主が容疑者になるなんて、わかるように説明して下さい!」
近藤に噛み付く勢いで愛らしい顔が真っ赤なトマトみたいになっている。
あまりの剣幕に近藤も、
「まぁまぁ落ち着いて話をしよう」と、後退りながら苦笑いでやり過ごすしかなかった。

近藤の特別な計らいで小夜も取り調べ室に招き入れられた。
そこにいる九条の、何事もなかったような顔を見てホッとしたのか、落ち着きを取り戻している。
「店主、一体お出かけの後に何があったのですか……?」
さっきまで真っ赤なトマトみたいだった小夜の顔が、見る見るうちに蒼白になってゆく。
「小夜ちゃん、色々あって今は容疑者になっているけれど、昨夜の事を話してくれるかい?」
「はい、昨夜は私と店主、そして夏目さんの三人で浅草の木下サーカスを観に行ってました。夜の十二時過ぎまで楽しんでいたので、今朝は遅刻してしまいました」
九条は小夜の言葉に頷き、近藤に目を移す。
「そうなんです、念のため受付にいる夏目さんにも話しを聞いたみて下さい」
近藤は口を開けたまま固まっていたがハッと我に返って。
部下に確認を指示している。
「………なるほど、アリバイは間違いないんだな、そうなると九条は釈放とゆう事になる」
事件が再び振り出しに戻った。近藤は一旦は胸を撫で下ろした、が、腕を組み、難しい顔に戻って頭をボリボリ掻いた。

「九条くん、全員の証言も一致しているし、逃亡の恐れもない、とりあえず釈放になる、すまなかったな」
らしくない言葉で手錠を外している近藤に。
「まだ釈放の時ではないですよ警部」
「……なんだと?……どう言う事だ?」
近藤も小夜も首をかしげ、九条を見つめている。
「九条くん、訳を説明してくれないか?」
「この脚本を書いた犯人は、私が逮捕されすぐに裁かれると考えているはず」
「……脚本?」
「ええ。私を犯人に仕立て上げる為の手の込んだ脚本です、実際にアリバイがなければ私は数日後には裁判所に引き渡されるでしょう」
近藤は腕組みして頷いている。
「そこで、東洋財閥殺人事件、再捜査、九条容疑者、証拠不十分で容疑者勾留延長ーーこの見出しの新聞記事を出します」
「……何故わざわざそんな記事を出す?」
「その再捜査の記事を見たら真犯人の計画は大きく狂います、何故なら私が犯人で裁かれる筋書きが消え、筋書きを書いた本人に辿り着くかも知れない」
一瞬の沈黙。
「ここからは私が脚本を書き換えます」
九条のモノクルの奥の瞳はすべてを見通すように鋭い。
九条は微笑みながら。
「と言う訳だから小夜ちゃん、しばらくロマンは頼まれてくれるかい」
少し不安そうな顔ではあったが。
「はいお任せ下さい、しっかり留守をお守りいたします、夏目さんも毎日通ってきて半分は店員みたいなものだし」
小夜は悪戯っぽい微笑みを浮かべた。

翌日の各新聞の一面に「九条容疑者、証拠不十分により勾留延長」の見出しが出揃った。
近藤は執務室で黙々と捜査報告をまとめている、そして留置所では、九条は一点を見つめながら''その時"待っている。
廊下を叩く、ドタドタせわしない足音が近づいてくる。
ーーそれは意外なほど早く姿を現した。
「高宮恒一」
亡き先代総長とその座を争った男であり、今回の事件の後、新たに総長に就任していた人物だ。
高宮は「失礼する」とノックもせずいきなり近藤の執務室に踏み込むと、苛立ちを隠す事もなくデスクに両手を叩きつけた。
「警部、何故、九条は証拠不十分なんだ?奴のカフスが殺人現場にあった、それで十分なのではないのかね?」
近藤の眉がピクリと反応した。
当然だと言わんばかりに捲し立ててくる。
「私は新しく拝命した東洋財閥総長として早い解決を望んでいる、これは会社の信用と士気にも関わる事ですぞ!」
「そちらの事情は分かりますが、まだ捜査が続いておりますので、なにぶんにもその、………今すぐにとは……」
近藤も相手が東洋財閥のトップと言う立場を考えると、どう対応すべきか思いあぐねている。
どこか煮え切らない態度を見た高宮は、ふっ、と表情を変えて。
「まあいいせっかくここまで足を運んで来たのだから、犯人がどんな人物なのか一度この目で見ておきたい」
「九条に、……会うと?…」
「ええ、構いませんかな?」
近藤は顎に手を置いて………。
「でわ、……こちらへ」と留置所へと向かった。

鉄格子の中で九条は悠々と足を組んで到着した近藤と高宮を見上げている。
「これは、これは、ようこそおいでになりました」
九条は自分の応接間にお客を迎えるように涼しい顔で微笑んだ。
近藤は鉄格子に近づいて、
「九条君、こちらは新しく東洋財閥の総長になられた高宮殿だ」
近藤の紹介に高宮は嘲笑うかのように鉄格子の隙間から九条を見下ろして。
「なるほど、いかにも犯人は自分ではないと自信ありげな顔をしているが、君のカフスが死者の手の中にあった、言い逃れなどできない、さっさと自白したまえ」
その言葉に近藤の顔がまた反応する。
「……待ってください!」
高宮は怪訝そうに近藤を見る。
「高宮さん、あなたは九条くんのカフスが現場にあったと何故知っているのですか?」
高宮は目を大きく見開いて、
「そ、それはだな……新聞に載っていた……はず。」
「新聞に?」
その現場に残されていたカフスの事はまだ発表されていない、警察関係者しか知らないはずですが?」
高宮は目を大きく見開き視線をそらした。
「高宮さん!答えてください」
近藤が詰め寄る。
その時。
「まあまあ、警部」
九条はゆっくりと立ち上がり、懐から小さく鈍い光を放つカフスを取り出して、鉄格子の隙間から高宮に差し出した。
「高宮さんの仰っているのはこれですね?」
「違う…………!」
場の空気が一瞬止まった!
…………………沈黙!
高宮の顔色がみるみる変わってゆく!
……みずから口に出した言葉を押し殺すように口を押さえつけた。
九条は鉄格子の奥で薄い笑みを浮かべ。
「おや?」
九条はモノクルへ指を添えた。
「まだ何も申し上げていませんが?何故これが違うとお分かりになったのですか?」
高宮は真っ青になった顔で、後ずさる。
「ち、違う、俺は関係ない!」
「では何と関係がないので?」
「そ、……それはだな……!」
下を向いて言葉に詰まった高宮はふいに呟いた。
「………八神の奴め!」
近藤は聞き逃さなかった。
「八神?……だと?」
九条から、さっきまでの笑みが消えている。
高宮はもう、口を開かない。
九条は静かに目をほそめ。
「なるほど」
「語るに落ちましたね!」
警部これでフィニッシュです。
高宮は九条と入れ替わり、鉄格子の中へ入って行く。
「では、ごきげんよう。」
九条は何事もなかったように外へと歩を進める。
近藤は一度だけ鉄格子の中の高宮を振り返り、それから九条の後に続く。
二人は並んで拘置所の外へと歩き出した。

近藤は「九条君、またしても君のおかげで素早い事件解決に繋がった、感謝する」
近藤は頬を緩めて目をほそめている。
近藤さん。
「ここだけの話ですが、私が、あるパーティでワインを不注意でかけられてしまって、その後何も言わずに去って行った公爵に悪戯で脅迫状を送ったのですが」
近藤の足が止まる。
「………………!」
「何故かその後次々にあちこち脅迫状が送られて、ちょっと驚きました」
「………………えっ!」
近藤の目が点に変わっている。
…………しばらくして
「それは、ここだけの話にしておこう、九条くん」
「ええ、そうしてください」
                                     第一話 完

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