朝の静けさに流れる曲|ボレロ
朝のウォーキングを始めた。
別に心が新しく生まれ変わるような高尚な出来事ではない。
日頃の運動不足と、過剰に摂取しすぎたカロリーの行き場に困り、消去法として思いついた日常の小さな修正にすぎない。
ただ、それだけのことだ。
そんなささやかな目論見のお供として、耳の穴を塞がない骨伝導のイヤフォンを選んだ。夜が明けたばかりの街は、まだどこか現実と夢のあわいに取り残されている。空気はどこか冷たく澄んでいた。
耳元で静かに鳴り響く音楽は、不思議な感覚をもたらしてくれる。頭蓋骨の振動を通して直接脳内に届くメロディは、まるで世界そのものが低音でささやいているかのようだ。耳を塞いでいないおかげで、遠くでカラスが交わす他愛のない朝の挨拶や、どこかの家庭から漂う味噌汁の匂い、そして自分の浅い呼吸音が、音楽と心地よく混ざり合う。
その境界線のあいまいさが、なんだか少しだけ心地よかった。
今朝の耳元を飾ったのは、ラヴェルの『ボレロ』だった。
なぜ僕のスマートフォンの中に、こんな重厚なクラシックの名曲が潜んでいたのかはわからない。きっと遠い昔に、何かの気の迷いでCDを買い、そのままデータとして持ち歩いていたのだろう。今となっては、それを買い求めた日のことなど、綺麗に忘れてしまっていた。
ボレロ、と僕は歩きながら心の中で呟いてみる。
僕の頭に浮かぶのは、ふたつの極端な映像だ。ひとつはアニメ『銀河英雄伝説』で描かれた、広大な宇宙を舞台にした巨大な戦闘シーン。もうひとつは、数年前にインターネットの動画で見かけたフラッシュモブの映像である。どちらも僕の日常とは少しばかりかけ離れた場所にあった。
あの曲は、とても奇妙で誠実な構造を持っている。たった2つのメロディ。小太鼓が刻み続ける淡々とした一定のリズムを土台にして、新しい楽器たちが次々と上に乗っかっていく。
最初はまるで誰にも気づかれない小さな囁きのように静かに始まり、主旋律のバトンを木管から金管へ、ゆっくりと手渡していくのだ。
そして約15分後、すべての楽器が集結した世界で、天地を揺らすような大合奏とともに唐突な終わりを迎える。
毎朝のジョギングにするには少し退屈なテンポかもしれないけれど、重い腰を上げてただ前へと歩き出すには、これ以上ないほどあつらえ向きの歩調をくれた。
誰もが知るこの名曲に対して、野暮な批評をするつもりは毛頭ない。若い頃の僕は、この曲が最後に見せる爆発的な幕切れに、素直に心を奪われていた。というより、クラシック音楽特有の「感動を最大に盛り上げて、大音量で強引に終わらせる」という力技そのものが好きだったのだと思う。
人は集まり、少しずつ音量を上げ、熱量を高めながらひとつの目的に向かって進んでいく。大きくなった集団はやがて大きな事を成し遂げ、最高のピークを迎えて拍手喝采の中で結末へと至る。
そこには熱量があり、協力があり、勝利がある。まるで人間の輝かしい人生そのものを、たった15分間の楽譜の中にぎゅっと押し込めたかのようだ。
けれど、いま静かに靴底を鳴らしながら聴いていると、ふと歪んだ別のシナリオが頭をかすめる。
最初は小さく集まり、徐々に熱を帯びて盛り上がっていく。そこまではいい。だが終盤に向かうにつれて、今度はひとつ、またひとつと楽器が音を潜めていき、少しずつ音量が下がっていく。
そうして最後は、最初に鳴っていた小太鼓の音だけが残り、それすらも朝の静寂へと溶けていく——そんな引き算の終わり方があってもいいのではないか、と。
もちろん、あの偉大な作曲家ラヴェルに対して途方もなく失礼なイマジネーションであることは百も承知だ。それでも僕は、世界中の誰かがそっとその「静かな続き」を書き足してくれないだろうかと思ってしまう。
大歓声のピークを過ぎたあと、静かに、ただ一人で元の場所へと戻っていくような、そんな終わりの曲を。
そんな取り留めのないことを考えながら、僕は今朝もただ、静けさの中を歩いていた。
ラヴェルのボレロ Rave'ls Bolero フラッシュモブ Flashmob
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