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「映画ちいかわ」感想〜友情とは呪いのようなもの

※『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』の感想です。ネタバレを含みます。ご了承ください。


先日ちいかわの劇場版をみてきた。
周知の通り、ちいかわはただキャラクターが可愛いだけの作品ではない。
ちいかわの世界は、かなり理不尽だ。普通に生活しているだけなのに突然よくわからない化け物に襲われるし、仕事で討伐に行けば普通に死ぬ可能性もある。
それなのにちいかわたちは案外普通に暮らしていて、働いて、ご飯を食べて、友達と遊んで、怖いことがあれば泣く。
考えてみれば、仕事で疲れた大人が自分たちより過酷な労働環境で暮らす生き物を見て癒やされているわけで、なかなか不思議なコンテンツである。

今回の島編における登場キャラクターであるセイレーンは、まさにちいかわ世界の理不尽さと暴力性を体現したかのような存在だ。

この映画を見て誰しもが気になるのは、果たして一体誰が悪かったのかということであり、この島のいざこざは防げたのか、ということだと思う。

結論から言えば、誰が悪いという訳でもないし、どうしようもなかったと思う。
子供向けのアニメでそんな内容を??と思うが、どう見てもそうとしか解釈できないのだから困る。
ヒトハとフタバに起きたことは不慮の事故だ。原因をたどれば確かにセイレーンに行き着くので、二人がセイレーンを恨む気持ちはよくわかる。

ただ、ここがそもそもの間違いだったんじゃないかと思う。不慮の事故で人生を壊された人が台風を恨むようなもので、台風で家が壊れれば腹は立つし、「なんで自分が」とも思うだろうけど、台風にこちらを不幸にしてやろうという意思があるわけではない。世の中には誰も悪くないのに起きることがある。

ここで面白いのが人魚の扱いで、二人を直接傷つけたのはセイレーンなのに、二人が殺すのはセイレーンではなく、その従者である人魚だ。
なぜセイレーンに直接立ち向かわないのかといえば単純に勝てないからで、圧倒的に強いセイレーンではなく、その近くにいる弱い人魚を狙う。
さらに二人は単に不老不死になって助かるためだけに人魚を殺したのではなく、そこにはセイレーンへの恨みも乗っている。
彼らがセイレーンを恨んだのかを直接描写するシーンはないが、表情からそう読み取れるようになってる。この表現を顔もわからないデザインのキャラでやるのが凄い。

理不尽そのものには勝てないから、その近くにいる殴れるものを殴る。
でも、それもある意味では仕方がないことだと言える。
ヒトハとフタバのやったことを単純に悪いと片付ける気にもなれない。

人魚を殺したこと自体は明確にやらかしな訳だけど、理不尽に理由を求め、どうにもならない原因ではなく自分が手を出せるものに怒りを向けるという行為は、自分たちももっと小さく、もっと見えにくい形で日常的にやっている気がする。
この世界において、ヒトハとフタバはかなり「人間」に近い存在なのだと思う。
この作品のテーマは罪と罰、ではないと思うが、もしこの世界に罪があるとしたら、人間に近いことそのものかもしれない。

さらに嫌な話なのが、人魚を食べたことで不老不死になれるという設定だ。
そんなものが本当にあったとして、目の前で大切な人が死にかけているときに「人魚がかわいそうだからやめよう」と言える人がどれだけいるのだろう。自分なら絶対に食べさせない、と言い切れる自信はあまりない。

島編はずっとそんな話だ。セイレーンにも理由があるし、ヒトハとフタバにも理由がある。
島民にも事情があって、ちいかわたちはほぼ巻き込まれ事故である。それぞれの立場から見れば、やっていることはわからなくもない。
それぞれが自分の立場で正しいと思うことをやった結果、なぜか全体としてより悪い状況になっていく。
誰が悪いんだと言われても、よくわからないし、たぶん誰か一人を悪者にしても解決しない。

そして、ここまで考えて最初の疑問に戻る。なんで自分たちは、ちいかわの世界に魅力を感じるのか。

たぶん、あの世界が優しいからではない。むしろ全然優しくない。頑張っても普通に失敗するし、突然化け物が出てくるし、何も悪いことをしていなくてもひどい目に遭う。自分ではどうにもならないことが山ほどあって、その辺は現実とあまり変わらない。

でも、ちいかわたちはその理不尽にいちいち意味を求めない。怖ければ泣くし、無理なら逃げるし、友達に助けてもらう。腹が減ったらご飯を食べて、うまければ喜ぶ。そして次の日になればまた生活している。

ヒトハとフタバは違った。理不尽に意味を求め、原因を憎み、なんとか克服しようとして、その結果として人魚を殺した。この世界では人間に近いこと自体が罪なのかもしれない、というのはそういう意味だ。

この映画で、もう一つ誰しもが引っ掛かる点は、ラストでちいかわが真実を明らかにしないことを選んだことだと思う。
ちいかわは馬鹿ではない。むしろあの世界のなかでは考えすぎるくらい繊細で心配症で他人の機微に敏感なキャラクターとして描かれている。
真実に辿り着かないにしても、ヒトハとフタバが犯人かもしれない、というところまでは察しているを
それでも明らかにしないことを選んだのは、ヒトハとフタバの姿に自分とハチワレを重ねたからだと思う。

友情とは呪いに似ている。
それは作中でリフレインする「今日の日はさようなら」の歌詞が前半と後半で違う意味に聞こえることからも、半ば意図的に描かれていると思う。

この作品のテーマは罪と罰でもなく、理不尽を受け入れろという話でもなく、自分の力の及ばない理不尽なことが起こったときにどうするのかという話だと思う。

もしもハチワレの身に何かあったときに、ちいかわはどういう選択をするのか。
そういう不穏さを残したまま映画は終わる。
何とも言えない後味だ。

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