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#小説#恋愛ドラマ あの夏、キミと走った夏

1. 始まりは、追試だった

夏休み初日、職員室の前の廊下は、蝉の声で煮えていた。

「大西太一、数学、追試。補習は今日から三日間。サボったら留年だぞ」

担任に紙を押し付けられて、俺は天を仰いだ。3年の夏、受験生の夏が、始まる前から崩れ落ちた。

補習教室の扉を開けると、先客がいた。窓際の席で、ポニーテールを揺らしながらイヤホンを片方だけ外した女子。

同じクラスの、佐藤風花だった。

「あ、タイチも?仲間だね」

フウカは陸上部のエースだ。
推薦はほぼ決まっているのに、数学が壊滅的にできないことで有名だった。

「なんで陸上部のエースがここにいるんだよ」
「なんでサッカー部辞めたやつが留年しかけてんだよ。お互い様でしょ」

2人きりの補習。
エアコンの効かない教室で、プリントの裏に落書きをしながら、先生の小言をやり過ごした。

補習が終わったのは、夕方の5時。西日が廊下を真っ赤に染めていた。

「ね、タイチ。走らない?」

突然、フウカが言った。

「は?」
「私、最近走ってないんだ。インターハイ終わって、推薦も決まって、なんか、走る理由がなくなっちゃって。でも、走りたい気分なんだよね。あの堤防まで、一本だけ」

断る理由もなく、俺たちは鞄を置いて、校門を飛び出した。

学校の裏の堤防。
淀川の土手。
入道雲がもくもくと湧く下を、2人で並んで走った。
風が、汗をさらっていく。

ゴールでもない場所で、2人で倒れ込んで笑った。
肺が焼けるように熱いのに、頭の中はすごくクリアだった。

「久しぶりに、楽しいと思った」

息を切らしながら、フウカが言った。
汗で濡れた横顔が、夕日に透けて、やけに綺麗だった。

その時、俺の夏休みの予定は、まだ真っ白だった。

 2. 約束

次の日から、俺たちの放課後は決まった。

午前中は補習。
午後は堤防で走る。
ただそれだけ。

タイムを測るわけでも、勝負するわけでもない。
ただ並んで、同じ速さで、くだらない話をしながら走る。

「フウカはなんで陸上やってんの?」
「最初は、逃げるのが得意だったから。嫌なことから、全部。でも走ってる時だけは、追いつかれない気がしてた。タイチはなんでサッカー辞めたの?」

「……足が、怖くなったんだ。怪我してから。走り出す一歩目が」

フウカは、何も言わずに俺のペースに合わせてくれた。
速すぎず、遅すぎず。

ある日、土手の上でアイスを食べながら、フウカが言った。

「タイチ、8月31日まで一緒に走ろう。夏休みが終わるまで」

「なんで31日まで?」
「なんとなく。夏が終わるまで、走り続けたら、何か変われる気がしない?」

俺は頷いた。

「じゃ、約束。毎日。雨でも走る」

小指を絡めた。
子供みたいな約束。
でも、その時の俺たちには、それが世界の全てみたいに重要だった。

3. 雨の日

約束通り、雨の日も走った。

カッパを着て、びしょ濡れになって。
誰もいない堤防で、泥をはね上げながら。

「バカみたいだよね、私たち」
「バカだな」

笑い合って、土手の下の自販機で買った温かい缶コーヒーを分けた。
雨の匂いと、フウカのシャンプーの匂いが混ざった。

その日、初めてフウカの弱いところを見た。

「推薦、蹴ろうかと思ってる」

雨音の中で、小さな声で。

「走る理由が、見つからないんだ。高校で陸上、終わりにしようかなって。でも、終わったら私、何が残るんだろうって思ったら、怖くなって」

俺はなんて言えばいいか分からなかった。
だから、走るのをやめて、傘もさずに、ただ隣に立っていた。

「タイチはさ、もう一回走ってみればいいのに。怖いって言ってた一歩目、私が隣で数えてあげる。せーの、で」

雨の中、フウカは俺の手を引いた。

「せーの」

その一歩は、一年ぶりに、怖くなかった。

 4. 最後の夏

8月31日。
夏休み最後の日。

朝から空は晴れ渡って、夏の終わりとは思えないくらい、青かった。

今日で最後。
そう思うと、2人とも無口になった。

いつもの堤防、いつものコース。
でも、今日は少しだけ遠くまで行こうと、河口の方まで足を伸ばした。

10キロ近く走っただろうか。
海が見える場所まで来た時、フウカが立ち止まった。

「タイチ、私、決めた。大学でも陸上、続ける」

風に負けないくらい、はっきりした声で。

「走る理由、見つかったの。楽しいから、だって。タイチと走ってる時みたいに、楽しいって思える走りを、もっとしたい」

俺は息が上がって、うまく返事ができなかった。

「タイチは?」

「俺……受験、する。スポーツ推薦じゃなくて、一般で。お前が走り続けるなら、俺も、ちゃんと自分の足で行きたいと思った。怖いけど、やってみるよ」

沈黙が、一瞬だけ流れた。

それからフウカは、泣き笑いみたいな顔で言った。

「じゃあ、来年の夏も、ここで走ろう。大学生になった私たちで」

「約束な」

「約束」

海からの風が、2人の間の汗ばんだ空気をさらっていった。

俺たちは、もう一度だけ走り出した。
ゴールはない。
ただ、夏の終わりが、少しだけ名残惜しくて、2人の影は、どこまでも長く、堤防に伸びていた。

**- あの夏、キミと走った夏 - 完 -**

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