What is競技推手?――68歳の私が挑み続ける理由【前編1】
「ハードなのに安全」という不思議な魅力
競技推手について書いた前回の記事を読んでくれた知己の武術家から、こんな感想をいただきました。 「確かに、その視点で捉えると面白いですね」 特に興味を持ってくれたのが、 「ハードなのに安全」 「技をあえて制限するという発想」 という部分でした。 私自身、競技推手に惹かれた理由を改めて考えてみると、まさにそこに大きな魅力がありました。 競技推手は、決して楽な競技ではありません。 相手は本気で崩しに来ます。 投げに来ます。 場外へ押し出そうとします。 こちらも本気で防ぎ、本気で技を掛けなければなりません。 勝敗も明確に出ます。 それなのに、打撃系の格闘技と比べれば、比較的安全に本気の勝負ができる。 この一見矛盾した特徴が、競技推手の面白さなのだと思います。 2025年4月、私はこんなことを書いていた 以下は、2025年4月29日に私がJUGEMに書いたブログ記事からの抜粋です。 ―――――――――― 【競技推手】は 踏ん張る 頑張る (踵が浮けば負け) 競技の特性上当然ですね。 一方、 太極拳は 踏ん張らない。 逆に「放鬆」(体から無駄な力を抜き、心身ともにリラックスした状態にすること)を究極の目的とする。 私は彼らと手合わせしていただいた時、ほとんど歯が立ちませんでした。 最初は、私があまりにも簡単に跳ぶのを見て、相手が驚いていたくらいです。 しかし、あまり負け続けるのも悔しい(笑)。 そこで踏ん張ったり、時にはゴリ押ししたりするようになり、二十回に一回は勝てるようになりました。 おかげで次の日、上腕三頭筋が断裂したのではないかと思うほど痛くなりました。
あくまで自分のスタイルを、どれだけ【競技推手】の中で活かしていけるか。 それが私の課題です。 ですから、太極拳を中心に練功しながら、それぞれの集まりの中で【競技推手】への対応を磨いていきたいと思っています。 ―――――――――― 太極拳と競技推手の違い 今この文章を読み返してみると、当時から私の中に、 「太極拳と競技推手をどう融合させるのか」 という課題が、はっきり存在していたことが分かります。 競技推手では、勝とうと思えば当然踏ん張ります。 簡単に踵を浮かされるわけにはいきません。 一方、私が長く研究してきた太極拳の「放鬆」では、むしろ逆の練習をすることがあります。 力に力で抵抗しない。 相手から力を受けた時、自分から跳ばされるような練習さえする。 だから最初、競技推手をやると負ける(笑)。 これは当然なのです。 ところが競技として勝とうとすると、今度は踏ん張る、頑張る、力を使う。 そうすると、少し勝てるようになる。 しかし、それだけでは私が長年やってきたものとは違ってしまいます。 だから、 「自分の武術を捨てて競技推手に合わせる」のではなく、 「自分の武術を競技推手というルールの中で、どこまで機能させられるか」 ということが、今でも私の大きなテーマになっています。 68歳。でも、まだ戦いたい 私は現在68歳です。 当然、若い頃と比べれば体力は落ちています。 しかし気持ちの上では、まだまだ戦いたい。 勝負したい。 自分の技が通用するのか試してみたい。 そこは全然変わっていません。 ただし、現実は認めなければなりません。 例えば、散打、柔道、フルコンタクト空手、グローブ空手などは、出場さえ許可されないでしょう。 出場できたとしても、怪我や後遺症のリスクはかなり高くなります。 「気持ちは戦える。しかし身体には年齢がある」 これは、シニア武術家なら多かれ少なかれ直面する問題だと思います。 そこで競技推手だった 競技推手も、決して楽な競技ではありません。 むしろ実際にやってみれば、相当にハードです。 相手は本気で崩しに来る。 投げに来る。 場外へ押し出そうとする。 こちらも本気でそれを防ぎ、本気で技を掛ける。 それでも、競技推手には大きな特徴があります。 使える技が、意図的に制限されているのです。 打撃はない。 危険な部位への攻撃もない。 掴める場所にも制限がある。 首から上を掴めない。 下半身を直接掴めない。 両手でのクラッチもできない。 レスリングのグレコローマンスタイルから、首から上への攻撃をなくしたものと考えると、イメージしやすいかもしれません。 もともと太極拳の推手をベースにしているため、このようなルールになったのです。 つまり、「安全にするために、後から技を制限した」というだけではありません。 推手という練習体系を競技化するために、必要な技術と不要な技術を整理した結果、このルールが生まれたのだと思います。 相手のバランスを崩す。 押し出す。 投げる。 そして、それを相手も同じように狙ってくる。 だから競技そのものはハードなのに、比較的安全に成立する。 ここに、競技推手独特の設計思想があるように、私は感じています。 シニア武術家にとっての「戦う場所」 もちろん、競技推手がシニア武術家のために作られた競技だと言うつもりはありません。 太極拳の推手をベースに成立した事情があったという話です。 そして、ここから先はあくまで私個人の見方です。 しかし68歳の私自身が競技をしてみて、 「これは年齢を重ねた武術家が、本気で勝負できる場所にもなり得るのではないか」 と思うようになりました。 若い選手は若い選手で、身体能力を存分に使えばいい。 レスリング経験者、柔道経験者、散打経験者が入ってきてもいい。 太極拳や意拳などの中国武術家が、自分の技を試してもいい。 そして私のようなシニア世代も、 「もう歳だから型だけやっておこう」 ではなく、 まだ勝負できる。 もちろん、勝てるかどうかは別問題です(笑)。 でも、本気で技を掛け、本気で防ぎ、勝った負けたと言える場所がある。 私にとって、これは大きいのです。 私以外にも、70歳の男性が定歩、活歩ともに出場し、2位、3位に入賞されています。 年齢を重ねても、勝負の場に立つことはできる。 その事実は、私にとって大きな励みになっています。 私は「自分の武術」でどこまで行けるのか だから私はこれからも、競技推手だけの技術に自分を完全に作り替えるつもりはありません。 私が長年研究してきたのは太極拳です。 踏ん張らない。 力と力でぶつからない。 相手の力を受け、崩し、返す。 それを、踏ん張ることが要求される競技推手の世界で、どこまで活かせるのか。 これは一見、矛盾しています。 だからこそ面白い。 競技に勝つためだけなら、もっと違う方法もあるでしょう。 しかし私は、自分の武術を持ち込んで戦いたい。 負ければ、また考える。 練功する。 試してみる。 また負ける(笑)。 そして少しずつ、通用するものを増やしていく。 競技推手との出会い、そして世界大会へ 私は1年前、競技推手に出会いました。 最初は、競技推手のルールの中で完敗しました。 自分では動けているつもりでも、実際の勝負になると簡単に崩される。 太極拳で身につけてきた感覚が、そのまま競技推手で通用するわけではありませんでした。 それでも、そこで諦めることはできませんでした。 自分の今までの武術スタイルで、競技推手にどこまで挑戦できるのか。 その課題を持って練習を続けました。 そして、世界競技推手東京大会にも出場しました。 しかし、結果はやはり完敗でした。 正直に言えば、悔しいです。 けれども同時に、自分の現在地がはっきり分かりました。 何が足りないのか。 どこで力んでいるのか。 どの場面で競技推手のルールに対応できていないのか。 負けたからこそ、見えたものがあります。 68歳になった今も、実験は続く 68歳になった今でも、こうして自分の武術を試すことができる。 負けても、また練功できる。 考えて、工夫して、もう一度挑戦できる。 それもまた、私が競技推手を気に入っている理由の一つです。 競技推手は、私にとって単なる勝ち負けの競技ではありません。 太極拳を中心に積み重ねてきた自分の武術が、どこまで通用するのかを確かめる場です。 そして同時に、自分の武術を見直し、鍛え直す場でもあります。 「ハードなのに安全」 「技を制限しているからこそ、本気で勝負できる」 この競技推手の特徴は、私のようなシニア武術家にとって、とても大きな意味を持っています。 まだ勝負できる。 まだ試せる。 まだ強くなれる。 もちろん、次も負けるかもしれません(笑)。 それでも私は、自分の武術で、もう一度競技推手に挑戦したいと思っています。
この動画は70歳で定歩・活歩二種目共上位入賞された倉持選手の正にいぶし銀の記録です。
https://youtu.be/xRPAhh4dmo4?si=7gX3dYAG3MY6ZoaP
