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貼れなかった蝶のシール

シール帳には、貼れるシールと、貼れないシールがあった。

貼ったら終わる。

だから、貼らない。

使うために持っていたはずなのに、
使えないまま残しておくシールが、何枚かあった。

その中でも、蝶のシールは特別だった。

透明な羽。
少しだけ入ったラメ。
角度を変えると、光がすっと逃げる。

花でも、星でも、ハートでもない。

蝶は、そこに貼った瞬間、
飛べなくなる気がした。

だから、貼れなかった。

友達は、どんどん貼っていた。

ノートに。
手紙に。
プリクラの横に。
新しいページの真ん中に。

貼ることで、ちゃんと楽しんでいた。

私はそれを見ながら、
シール帳の奥の方に、蝶だけを残していた。

最後のページ。
まだ何も貼っていない場所。

そこに、そっとしまっていた。

今思えば、あれは節約でも、貧乏性でもなかった。

使うのがもったいない、
という言葉だけでは足りない。

あの蝶は、
貼るためのものというより、
持っている時間そのものだった。

貼ったら終わる。

でも、貼らなければ、
ずっと始まる前のままでいられる。

どこに貼ろうか。
いつ貼ろうか。
誰に見せようか。

その迷っている時間ごと、
シール帳の中に残していた。

大人になると、
使ったものより、使わなかったものの方を思い出すことがある。

着なかった服。
開けなかった手紙。
言わなかった言葉。
貼らなかったシール。

それらは何も起こさなかったようで、
ちゃんと自分の中に残っている。

蝶のシールは、かわいいから残したんじゃない。
飛んでいきそうだったから、貼れなかった。

あのシール帳が今どこにあるのかは、分からない。

捨てたのか。
どこかの箱に眠っているのか。
知らないうちに、誰かが開いたのか。

もう、確かめようもない。

でも、たまに思い出す。

あの小さな透明の羽が、
ページの奥で、まだ少しだけ光っている気がする。

貼らなかったものは、消えたわけじゃない。

使わなかったからこそ、
残るものもある。

シール帳の蝶は、
たぶん今も、どこにも貼られないまま、
あの頃の私の中で飛ぶ前の形をしている。

©︎2026 Nasu Takako

▼ マガジン(朝と夜のmeta)


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