【お笑い】推さずして推す【イベントレポート】
盛山晋太郎(見取り図)『しばけるもんならしばきたい』刊行イベント
先日、上記イベントに参加してきた。サイン付き書籍の「お渡し会」なるイベントだった。
東京や大阪の劇場に足を運び、見取り図さんがネタをしているのを拝見したことはある。画面ではなく、たまには客席から観るのもいいものだ。
さてイベントについて一言するなら、大盛況であったに尽きる。待機?しているファンを見渡してみると老若男女というよりは、女性ファンが多かったように拝察したし、そんな予感もしていた。いわゆる「#推し活」の波がお笑いにも波及しているのを再認識した次第である。
(「#推し活」を入力したことがない端末で予測変換させたところ、「#お死活」が出力されたのは、何者かの意思だろうか。どこに丁寧語を。。)
「推し」ではない
正直に言うと、見取り図さんも盛山晋太郎さんも、私の「推し」ではない。イベントに落選した方、行けなかった方には申し訳が立たない。ただ言い訳をするなら、誰でも参加可能だったので、好奇心を持ち応募した結果、当選した、という流れなので勘弁いただきたい。
さて、今ほど「好奇心」という言葉を使ったが、「推し」ではない、という見出しを付けた理由は、これに尽きると感じてる。
つまり、「推し」ではなく「好奇心」である。
一般的には興味とも言い換えられるだろうが、「奇になるモノを好む心」があるとすれば、それが私にはあるのでしょう。下記のような思考が頭の中でぐるぐるしているうちに、抽選に応募した次第である。
見取り図の盛山さんってどんな人?
ネタとか収録ではない場合どうしゃべるんだろう?
どんな書籍を出版したんだろう?
「お渡し会」ってどんなイベントなんだろう?
彼のファンってどんな人? 等々、、、
もちろん「奇になるモノ」は文字を使った言葉遊びなので、「気になる者」「気になる物」などの解釈も成立するだろう。
「気になる者」については、久保(川合)南海子(2022)『『推し』の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』集英社、などを参照されたい。
「気になる物」については、アーロン・アフーヴィア(2024)『人はなぜ物を愛するのか 『お気に入り』を生み出す心の仕組み』白揚社、などを参照されたい。
「『推し』ではない」ではない
他方で推してないかと言われると、なぜか推しているようにも思える。つまり、見取り図さんも盛山さんも、私の「推し」ではない、わけではない。
よしもと公式アプリ「FANY」にて見取り図さんはフォローしている芸人になっているし、見取り図さんが出演することを決め手に公演を選んだこともあるし、見取り図さんが出ている番組も拝見したし、何より見取り図さんに好意を抱いている。
見取り図さんと盛山さんが「推し」で、「#推し活」をしていると自覚しているファンからしてみれば、こうした行為は日常であり、当たり前のことだろう。むしろもっと挙げないと足りないくらいであるのではないか。
しかし、こうした行為が非日常である私にとっては当該行為を以って、「推し」ではない、わけではない、という状態に誘ってくれるのである。
「〇〇〇」ならば、「推し」である
ただ、例として先に挙げた行為は、「#推し活」の解像度が低い私からの一例であって、現状はもっと多岐に渡っているだろう。
「見取り図さんをフォローする」「見取り図さんが出演するものを観る」「見取り図さんに好意を抱いている」は、「推し」であることを示すために十分なのだろうか。
また「〇〇〇」⇒「推し」を前提としていたが、「推し」⇒「〇〇〇」の仮説も同様に考えられるものだろう。
論理学に「入門」していないし、推しについて語る「資格」もないので、この話はいったんここまでにしようと思う。
最後に
刊行イベントのレポートを失念していた。
先述の通り大盛況で、整理券の番号が呼ばれ案内された後でもおよそ30人以上が、衝立の向こう側にいる盛山さんとの「お目通り」が叶うことを心待ちにして並んでいたのである。もちろん、私の後ろにも行列であった。
あとでわかったことだが、ファン一人ひとりと盛山さんが30秒程度は話す時間が設けられていたようで、それがイベントの求心力にもなっていたようである。
そんなことも知らず、長時間の行列に待ちきれなくて、手元にあった整理券を折り曲げて昔の遊びをしていた。わかる人にはわかるだろう。それでは。
