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「琵琶法師耳無譚」創作日記 たまご編 3 玉虫のこと

ヒロインをさがせ

「耳なし芳一」を素浄瑠璃で上演するというアイデアをあたためていた、文楽の豊竹芳穂太夫から、芳穂メモ(構想メモ)が届いた。「耳なし芳一」には出てこない、女性を登場させたいとある。

女性、女性、女性‥‥、あっ、“玉虫”!。下の絵の右ページ、舟の中で立っている女性だ。

『平家物語 7巻』 国立国会図書館デジタルコレクション

これは有名な、那須与一の「扇の的」の場面、場所は讃岐さぬきの国屋島やしまである。当時は、日が暮れるとその日の戦いは終わりだったようで、源氏方が引き上げようとしているところに、沖から一艘の舟が漕ぎ寄せてくる。80~90メートルぐらい離れたところで、陸に対して舟を横向きにした。そして‥‥。『平家物語』では、次のように書かれている。

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(源氏方は)「あれはどうしたことか」と見るうちに、舟の中から年の頃は十八、九歳ぐらいの、まことに優雅で美しい女房が、*柳襲やなぎかさね五衣いつつぎぬに紅の袴を着て、全面が紅色で、真ん中に金色の丸を描いた扇を、舟べりに突き出した板に挟んで立てて、陸に向かって手招きをしている。(「あれはいかに」とみる程に、舟のうちよりよはひ十八九ばかりなる女房の、まことに優にうつくしきが、柳のいつつぎぬに、くれなゐのはかま着て、みなぐれなゐの扇の日いだしたるを、舟のせがいにはさみたてて、くがへむいてぞまねゐたる。
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柳襲やなぎかさね五衣いつつぎぬ=表が白、裏が青色の着物を5枚重ねたもの。「青」といっても、青信号の“青”。裏地の緑色が、表に重ねた白から透けて見えている。

とてもドラマチックな場面だが、この優雅で美しい女性の名前を、『*源平盛衰記』は玉虫と記す。

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この女房というのは、建礼門院けんれいもんいんが中宮になられる時に、千人のなかから選び出された雑仕(下級の女官)で、玉虫の前ともいう、または舞の前ともいう。今年十九になった。つややかな髪、霞のかかったような眉、花のように美しい顔、雪のような肌、絵に描こうにも表現することはできない。
 ちょうどその時、夕日に輝いて、その美しさは一段ときわだっていた。このような女性なので、西国まで連れられてきたが、召し出されてここで扇を立てている。(この女房といふは、|建礼門院けんれいもんゐん后立きさきだちの御時、千人の中より撰び出せる雑仕ざふしに、玉虫前ともいふ、又は舞前とも申す。今年十九にぞなりける。雲のびんずら霞の眉、花のかほばせ雪の膚、絵に描くとも筆も及びがたし。折節をりふし夕日に耀きて、いとど色こそまさりけれ。かかりければ、西国さいこくまでも召し具されたりけるを、出されてこの扇を立てたり。
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*『源平盛衰記』 栄華を極めた平家が、滅亡するまでを述べる『平家物語』には、いくつかのバージョンがあって、『源平盛衰記』もそのひとつ。他の本にはないエピソードがたくさん書き加えられている。上の引用文(原文)は私に表記を整えた。

雲のびんずら霞の眉、花のかほばせ雪の膚」は漢文で美女を形容するときの常套句だが、玉虫はただ美しいだけではない。だって、戦さの最中に、敵の前に出ていき、手招きしたのよ。

玉虫にしようと思ったのは、この作品のことを思い出したからである。

岡本綺堂『平家蟹』の“玉虫”

明治時代に活躍した作家、岡本綺堂は新歌舞伎の脚本をたくさん書いているが、そのなかの一編『平家蟹』の主人公が、玉虫である。

壇の浦で平家が滅亡した約2カ月後、安徳天皇や建礼門院にお仕えしていた官女の多くはこの地に取り残され、都に帰ることができない。年若い官女たちは身を売って生計をたて、年老いた官女たちは磯で海藻などを拾って命をつないでいた。

誇り高い玉虫は、平家を滅亡に追い込んだ源氏を恨んで、密かに祭壇をつくり、神酒を供えて呪詛していた。玉虫の妹・玉琴が、那須与一の弟・与五郎と深い仲になっていることを知った玉虫は、「人もあろうに、源氏方‥‥しかも那須の一門に、狎れ馴染んだる憎い奴‥‥。一刻もここには置かれぬ。さあ出てゆきゃ」と玉琴を家から追い出す。

玉虫の妹・玉琴、那須与一の弟・与五郎宗春は作者が創作した人物。文楽や歌舞伎の脚本は、有名人の縁者を登場させることがよくある。

岡本綺堂『平家蟹』で印象的だったのが、夕刻、玉虫のもとに平家蟹が集まってくる場面である。

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(‥‥垣のかげより大いなる平家蟹這いいず)
玉虫 おお、新中納言殿‥‥。こよいも時刻をたがえずに、ようぞまいられた。これへ‥‥これへ‥‥。
(上のかたの木かげよりも、同じく平家蟹あらわる。)
玉虫 おお、能登どのか。今宵は知盛の卿の先を越されましたぞ。(打笑む。)
(左右よりつづいて二三匹、四五匹の蟹あらはれいず)
玉虫 おお、教盛の卿、行盛の卿‥‥。有盛、経盛、業盛の方々‥‥。みな打揃うて見えられましたの。[下略]
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玉虫は、集まってきた平家蟹に向かって、源氏を呪う言葉を切々と語っている。

平家蟹は甲羅が、怒ったような人の顔に見えるので,壇ノ浦で源氏との戦いに敗れた平家の亡霊がのり移ったものだという伝説がある。

赤間神宮にかざってあった平家蟹の標本

そのあとのストーリーを簡単に紹介すると、しばらくして玉琴が那須与五郎を連れて戻ってくる。与五郎は、明日、那須に帰ることになったので、玉琴を連れていきたいと告げ、姉の玉虫も那須に来るようすすめる。
 怒って玉琴を家から追い出した玉虫だったが、一転して、ふたりの結婚を許し、媒酌してやろうと、祭壇にまつっていた神酒で三三九度の酌をする。
 玉琴が呑み、与五郎が呑むが、それは平家蟹の甲羅をちぎって酒につけた、呪いの毒酒だった。死にゆく与五郎に、玉虫は「扇の的」の恨みを語る。二人を殺害した玉虫は、迎えに来た平家蟹とともに、海の底に向かった。
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わたくし、岡本綺堂『平家蟹』を読んで、『平家物語』の読みが、まだまだ甘かったなぁと思いました。

つまり、これまで何度も『平家物語』の扇の的の場面を読んだけれど、二十歳ぐらいの若者、那須与一が、揺れる舟の上に立つ扇の的を見事に射抜いて、源氏平家双方から喝采を浴びるところしか、注目していなかった。扇の的の前に立っていた美女(玉虫)はあの時、何を思ったのだろう。

『平家物語』に、美女(玉虫)の気持ちは書かれていないので、ここは読者が自由に想像して楽しむことができるプラチナ領域。正解はないので、いろいろ想像してみましょう。

玉虫の三つのトラウマ

『琵琶法師耳無譚』は、壇の浦で平家が滅亡した年(1185年)から、500年ぐらいあとの、江戸時代の話だが、ヒロインとして登場する、玉虫の人物像を知る手がかりとなるのが、三つのトラウマ(=恐怖・ショック・異常経験などにより精神に受けた傷)である。

【一つめのトラウマ】
『平家物語』の扇の的の場面で、玉虫は平家方を代表してあの場に立っていたのだから、源氏方の那須与一が成功したことを、お見事!と思うはずはなく、平家方の挑発が失敗したことを、自分の責任のように考えてしまったのではないか。加えて、その場で射殺されてもしかたがない場に立ち続ける恐怖があったはず。

【二つめのトラウマ】
千人に一人の美女、玉虫は、宮仕えで教養も優雅な振る舞いも身に着けて、「扇の的の前に誰を立たせる?」「玉虫にしよう」と選ばれるような、平家の公達のアイドル的存在だったのだろう。新中納言平知盛や能登殿平教経たちとも親しくしていて、その愛しい人たちが、壇の浦で次々と入水していく様子を目の前で見ていた。

【三つめのトラウマ】
平家滅亡のあと、建礼門院や大納言局(安徳天皇の乳母)など、高貴な家柄の女性は、源義経に連れられて都に帰ったが、下級女官の玉虫は、同僚とともに壇の浦に置き去りにされた。

『琵琶法師耳無譚』の玉虫は、これらの強烈なトラウマのために、500年以上ものあいだ、年も取らず、若くて美しいまま、壇の浦の地から離れることができないのです。

古典を楽しく未来につなごう!

語り×浄瑠璃 琵琶法師耳無譚
2026年10月17日(土)西宮公演/10月18日(日)岡山公演 開催




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