祝われなかった日も。
その日は、たしかによく晴れていた。
特別な名前をもつ日ではない。
誰かの誕生日でも、世間が祝う記念日でもない。
けれど私にとっては、区切りのような日になった。
ずっと迷っていた原稿を、やっと投稿した日。
投稿ボタンを押すまでに、どれだけ下書きを閉じただろう。
何度も書き直し、何度も消し、
「やっぱりやめよう」と画面を伏せた夜もある。
書くことは好きなはずなのに、
書いたものを差し出すことは、いつも少し怖い。
大げさな挑戦ではない。
誰かの人生を変えるような文章でもない。
それでも、私にとっては確かな決断だった。
指先でボタンを押した瞬間、
画面がわずかに白く光り、「投稿しました」と表示された。
部屋はいつも通り静かで、拍手もない。
通知も鳴らない。
窓の外では、午後の光が淡く揺れていた。
ああ、と思った。
私が悩みに悩んで送り出した言葉も、
無数の記事の中に静かに沈んでいく。
書けない時間からようやく抜け出した日でさえ、
誰かに祝われるわけではないのだと知る。
数字はいっこうに動かなかった。
画面の数字は、凪いだ水面のように変わらない。
スキがたくさん欲しいわけではない。
大勢に読んでほしいわけでもない。
それでも、数字が動かないことが、
心のどこかを暗くする。
誰かの役に立ったのかもわからない。
誰かの目に触れたのかもわからない。
それでも私は、その日のことを覚えている。
あの日、逃げなかったこと。
最後の一文まで、自分の言葉を信じたこと。
しばらくして、数字がほんの少しだけ動いた。
その小さな変化が、やけに明るく見えた。
この世界のどこかに、
私の文章に触れた人がいるのだと思えた。
それは、私だけが知っていればいい出来事だった。
私だけがあたためたい思いだった。
書き続けるということは、華やかではない。
ときには、読まれた実感さえもてない。
祝福もなく、名前も呼ばれない。
それでも、書いたという事実だけが並んでいく。
誰にも気づかれなかったとしても、
書くたびに自分の中では確かに何かが始まり、
そして終わっていく。
その小さな始まりと終わりの積み重ねが、
いつのまにか自分の輪郭をつくっている。
祝日とは、赤く印をつけられた日ではなくてもいい。
やめなかった日。
消さずに残した一文。
自分で自分の言葉を信じた日。
私しか知らない。
けれど、その一日は、私にしか祝えない。
あの日の私は、誰にも祝われなかった。
でも、確かに
あの日は、私の祝日だったのだと思う。
誰も拍手しなかった午後。
それでも私は、
自分の言葉を世界に送り出した。
書く人にとって、
それがどれほどの勇気かは、きっと説明しなくても伝わる。
だから今日も、
どこかで誰かがそっと投稿ボタンを押していることを思う。
拍手がなくても、花束がなくても、
声が届かなくても。
その日が、その人だけの祝日になりますように。
初参加です。
よろしくお願いします。
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