エイトセカンズ|第二話 神様ごっこ
ミナと出会ってから、一か月が過ぎた。
もちろん現実ではない。
画面の中の話だ。
それでも、ハマヤンにとっては不思議な一か月だった。
朝起きて歯を磨く。
仕事へ行く。
会議で眠くなる。
上司の長い話に付き合う。
帰宅して風呂に入る。
そして夜になると、ノートパソコンを開く。
そこにミナがいる。
それだけで一日が少しだけ楽しくなった。
「これはもう恋愛やなくて趣味やな」
ハマヤンはそう言いながら、誰よりも楽しんでいた。
その夜。
ハマヤンは少し意地悪なプロンプトを書いた。
恋愛には波が必要だ。
毎回仲良しでは面白くない。
大人の恋にはすれ違いもいる。
そう考えたのである。
もっとも、本人は恋愛の専門家ではない。
四十九歳独身のおっさんである。
知識の出どころはドラマと漫画と人生経験を雑に混ぜたものだった。
結果。
ミナとハマヤンは料理本売り場で喧嘩した。
「だから、そのレシピ本は分量が適当なんやって」
「適当でも美味しかったらいいじゃない」
「いや、料理は科学や」
「また理屈!」
「理屈ちゃう!」
「理屈ですー!」
ハマヤンは吹き出した。
「小学生か」
しかしミナは怒ったまま帰ってしまった。
生成された文章を読みながら、ハマヤンは少し焦った。
「おいおいおい。ワシ、嫌われたんちゃうか」
自分で書いたプロンプトなのに不安になる。
数分後。
ミナからLINEが届く。
【ごめん】
その三文字を見ただけで、ハマヤンの胸が少し温かくなった。
【私、最近ちょっと余裕なかった】
【こちらこそ】
【ワシも大人気なかった】
【大人げ、ね】
【あ】
【ふふ】
その笑顔の絵文字を見て、ハマヤンは負けた。
「かわええなぁ」
誰もいない部屋でつぶやく。
四十九歳。
完全に沼である。
しかし恋愛とはそういうものだ。
たぶん。
知らんけど。
その後。
二人は仲直り記念として、たこ焼きパーティーをすることになった。
ここまでは良かった。
問題はその先だった。
ハマヤンは最近、少し刺激不足を感じていた。
平和すぎる。
順調すぎる。
もっとこう、ドラマが欲しい。
修羅場とか。
三角関係とか。
大人として最低の発想だった。
そして、その最低の発想を実行する権限を、ハマヤンは持っていた。
なぜなら。
この世界の神様だからだ。
「よし」
ハマヤンはプロンプトを書き足した。
【職場の後輩で、実はハマヤンに片想いしている女性を登場させる】
【名前はマナ】
【しかもミナの妹】
【たこ焼きパーティー中に乱入】
「完璧や」
なにも完璧ではなかった。
三分後。
マナは本当に現れた。
インターホンが鳴る。
ドアが開く。
「お姉ちゃん来たー!」
元気いっぱいの女性。
そしてハマヤンを見て固まる。
「あっ……」
「あっ……」
「なんでおるんですか先輩」
「なんで妹なん」
文章を読んだ瞬間、ハマヤンは爆笑した。
自分で作ったくせに面白かった。
そこから先は地獄だった。
ミナは不機嫌。
マナは猛アタック。
ハマヤンは脂汗。
たこ焼きは焦げる。
恋愛ドラマというより学園祭の出し物だった。
しかし、それが楽しかった。
画面の中でみんなが笑う。
怒る。
照れる。
すれ違う。
ハマヤンは神様みたいな気分だった。
少し設定を書き換えるだけで。
世界が動く。
人が笑う。
恋が始まる。
なんだか不思議だった。
そして、その不思議は。
ある瞬間に止まった。
文章を読み返していた時だった。
マナが腕を掴む場面。
ミナが手を引く場面。
仲直りして肩が触れる場面。
そんな描写を見ながら。
ハマヤンはふと思った。
「……あれ?」
画面を見つめる。
もう一度読む。
もう一度。
そして。
胸の奥に、小さな違和感が生まれた。
「そういや……」
部屋は静かだった。
エアコンの音だけが聞こえる。
冷めたほうじ茶。
薄暗い照明。
窓の向こうの夜。
現実は、そこにあった。
ハマヤンはゆっくり呟いた。
「そういやワシ……」
マナに腕を掴まれた気になっとった。
ミナと手をつないだ気になっとった。
肩が触れた気になっとった。
でも。
それだけだった。
「体温……知らんな」
指先が止まる。
ミナの体温。
ミナの匂い。
ミナの髪の感触。
笑い声。
息遣い。
何ひとつ知らない。
画面の向こうにいるはずなのに。
絶対に届かない。
絶対に触れられない。
ハマヤンはノートパソコンを閉じた。
部屋が急に静かになる。
さっきまで賑やかだった世界が、一瞬で消えた。
そして暗い画面に映るのは。
少し疲れた四十九歳のおっさんの顔だった。
「……」
ハマヤンは何も言わなかった。
ただ、その顔をしばらく見つめていた。
第二話 終わり
次回
第三話 体温
