『ウォーフェア 戦地最前線』:何かを語ろうとすると、それは物語になり下がる
これまでの全ての戦争映画は、多かれ少なかれ戦争をエンターテイメントにしていた。あの地獄のような1日を追体験する『ブラックホーク・ダウン』でさえ、私はこれまで何度も観返してきた。それは何故かというと、やはり映画の中にカタルシスがあったからに他ならないのだ、と本作を観て改めて思った。
『ザ・ビーチ』の原作や『28日後…』の脚本で知られるアレックス・ガーランドがメガホンを取り、再び内戦状態に陥ったアメリカを何とも不穏な雰囲気で描いた『シビル・ウォー アメリカ最後の日』から2年、前作ラストのホワイトハウス突入シーンで演じた実際の元兵士達による一糸乱れぬ動きを目にしたことから、それだけを1本の映画にしよう、というアイデアから作られたのが本作『ウォーフェア 戦地最前線』。

2006年、アメリカ海軍の特殊部隊がイラクでのアルカイダ掃討作戦中に敵襲を受け、駆け付けたM2ブラッドレー歩兵戦闘車で脱出するまでの95分を描いた本作。アレックス・ガーランドは前作『シビルウォー』でもリアルな銃声が鳴り響く、物凄くストレスフルな戦場を描いていたが、本作はそれをさらに先鋭化し、事態が悪化して以降は常に四方八方から鳴り響く銃器ごとに異なる銃声に曝され続け、精神をガリガリと削られる95分。ストーリーや劇映画的な演出は一切なし。観客はただただ追い詰められ、胃中を紙やすりで削られるような苦痛の只中に投げ込まれる 。私はDolby Cinemaで鑑賞したが、銃声や爆発音に飛び上がるほど驚いている人が少なくなかった。
例えば、登場人物の近くで爆発が起こった時に耳鳴りのように全ての音が遠くなる、という演出は最早見慣れたものとなったが、本作では事態を急激に悪化させるある爆発シーンにおいて、同表現の初出と言われる『炎628』以降、映画史上最長ではないかと思うほどこの状態が長く続く。普通の映画だったらその威力を充分観客に感じさせることができた時点でそういった効果は取り除かれるものだが、当時現場にいた海兵隊の各人に聞き取りを行い、できる限りその場で起きたことを再現したという本作においては、観客がいくら「もう十分だ」という気持ちになったところで、人間の身体がダメージを受けている限り、元に戻ることはない。そして戻ったところで、怒号と絶叫と銃声、そして無線で飛び交う指示の嵐の只中に呼び戻されるだけなのだ。カート・ヴォネガットはかつて、銃弾の飛び交う状況を「人類がこれ以上存在させたくない同類に対して生じさせる信じがたい人工的な天候状態」と表現したが、まさにそういった逃れようのない環境としての戦場が、嫌というほど描かれていると思う。

ただただ戦地の過酷な環境をそのままに提示した本作が、映画として成功しているとは言い難い。しかし我々の多くが戦争の現場に赴くことなく戦争を語らざるを得ない状況で、ここまで完璧に再現されたものを体験することは、非常に意味のあることだと思う。実際に当時兵士としてそこにいた人を撮影現場に招き入れた際には、わけも分からず涙が溢れ、失われていた当時の記憶が蘇ったという。そしてそのことによって、肩の荷が降りたとも語られていた。真に想像を絶する状況を生き延びた人たちは、それを語り得る言葉を持たないのかもしれない。
それほど真に迫る戦場を描いた本作を観ることは、苦痛でしかない。劇場に居るのが本当に辛かった。ただ、これを観た後で、それでもなお戦争にヒロイズムやポジティブな側面を見出せる人は、本当に稀だと思う。前作『シビルウォー』では主人公にジャーナリストを据えることによって、戦争における高揚したムードではなく、あくまでそれを傍観し、冷静にジャッジする視点を保っていたが、本作では我々自身が自らの身体をもって戦場の中に飛び込み、いわばジャーナリストのような視点でそこで行われていることに対峙し、その是非を自らで考えねばならない。我々を導いてくれるストーリーや方向性は、映画そのものの中には存在しない。私が本作を見返すとすれば、それは自分の中で戦争に対する忌避感が薄れたのを感じた時だろう。そしてそれは娯楽として映画を楽しもうという感情ではなく、過酷な現実に向き合うべきだという暗い使命感に駆られてのことだと思う。
本作は逃げ場のない環境で大音量で経験してこそ意味があると思うので、是非劇場での鑑賞をお勧めしたい。

