河合塾における「開かずの個室」現象【エッセイ】
まず、私自身の告白から始めなければなりません。かつて河合塾仙台校に、浪人生として在籍していました。そして、私は、河合塾仙台校の男子トイレの個室を長時間占拠していた一人でした。
自慢話のように響くかもしれませんが、私が河合塾仙台校の男子トイレの個室でオナニーを行った回数は、恐らく歴代の生徒の中でも屈指のものであったと自負しています。 来る日も来る日も、先の見えない不安とプレッシャーに押しつぶされそうになる中で、私は個室の鍵をかけ、自らを慰めていました。
私が個室を出た後、入れ替わりに入っていった彼もまた、少し充血した目をしていました。言葉を交わすことはありませんでしたが、すれ違う一瞬、私たちの間には奇妙な連帯感が漂っていたように思います。 「お前もか」。 そう問いかけたくなる衝動を飲み込み、私は再び無機質な自習室へと戻っていきました。
しかし、これは私だけの個人的な物語ではありません。 河合塾の男子トイレの個室が常に満室であることは、単にトイレが混雑している以上の意味を、私たちに問いかけてくるように思えます。
考えてもみてください。 人生で最も身体的エネルギーが溢れ、性ホルモンが活発になる18歳や19歳の時期に、朝から晩まで、ひたすら英単語や数式を脳に詰め込む。 これは生物学的に見れば、異常な「拘束」に他なりません。 社会は受験生に「合格」だけを求めますが、その過程で生じる膨大なストレスや、無視できない生理的衝動の処理については、あまりにも無関心です。
その結果、何が起きているか。 唯一のプライベート空間であるトイレが「アジール(避難所)」と化し、本来の用途である「排泄」というインフラ機能が麻痺しているのです。 私が籠もっていたあの30分の間、外では便意を抱えた誰かが、冷や汗を流しながら絶望的な時間を過ごしていたかもしれない。 私の「生の確認」は、誰かの「尊厳の危機」の上に成り立っていたのです。
これは、現代日本の縮図ではないでしょうか。 個人の切実な生存戦略(オナニー)が、公共のインフラ(トイレ)を圧迫し、全体としての生産性を下げてしまっています。
物価高・少子化・国際紛争…。世の中を見渡せば、不安なニュースばかりが流れています。 しかし、あえて私は声を大にして言いたい。 日本の未来を担うべき若者たちが、たった一つの個室を奪い合い、あるいは排泄の我慢に脳のリソースを割き、あるいは処理できない性欲に精神をすり減らしているこの現状こそが、どんな課題よりも優先して解決されるべき問題ではないのか、と。
彼らがスッキリとした顔で、万全の状態で机に向かえる環境を作ること。 それこそが、偏差値を上げ、ひいては国力を上げるための最短ルートであるはずです。
河合塾オナニー問題。 それは「たかが下ネタ」ではありません。 若者の心身の健康と、学習環境の適正化に関わる、今すぐ取り組まなければならない喫緊の課題です。
