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好きなものシリーズ(徒然編)

かの有名な「君の膵臓をたべたい」を書いた住野よるの代表作の一つに「麦本三歩の好きなもの」という小説がある。何か突飛な出来事が起こるわけでもない、図書館に勤務する20代女性の何気なく愛おしい毎日を描いたエッセイ風の小説だが、この小説を読んでいると「自分の輪郭を見失いかけた時に立ち戻れる何か」を持っておくこと、その大切さについて想い知らされる。

... ということで、一部この小説から着想を得て私が自分を取り戻したい時に立ち戻るものたち、それぞれについて徒然と書き連ねていくシリーズ。

その壱 登山

決して登山を趣味と言い切れる程の頻度ではないが、山が好きな友人らと各シーズンに一度くらいの頻度では山に登りにいく。
八ヶ岳連峰の東天狗岳や神奈川表丹沢エリアの最高峰である塔ノ岳、浅間山の外輪山である黒斑山、... どの山に登るのか、どんな季節に登るのか、誰と共に登るのか、どのルートで登るのか、それぞれの組み合わせで無限の表情を見せてくれる、そんな山の奥深さと奥ゆかしさが私は好きでたまらない。

朝陽に照らされる八ヶ岳連峰の岩肌
土砂降りの日の宮之浦岳

ただひたすらに山の頂を目指し、目の前の登山道を一歩一歩前に進んでいく。その過程で自分と、自分の思考と否が応でも向き合わざるを得ない瞬間とが延々と積み重なっていく。
それが人生の生き方それ自体を象徴してもいるからこそ、人は何度でも山に登りたくなるのではないか。

かけがえのない日々の経験が、まだ見ぬ新しい星座を浮かび上がらせてくれてることを信じて、ただ歩き続けていくだけだ。
こんな時代になってしまったが、ぼくは未だ、旅の途上にいる。

石川直樹「地上に星座をつくる」より

その弐 深夜ラジオ

私が尊敬する表現者の一人である星野源が孤独に苛まれていた少年時代、深夜ラジオというエンターテイメントに救われていたというのは有名なエピソードだ。

彼はコミュニケーションが「下手」で、学校のどのグループにも馴染めず、居場所がないと感じていた。
そうした中で、彼に「居場所がある」...「生きる糧」を与えてくれていたのが、ラジオだった。

戸部田誠・つやちゃん・小田部仁「星野源論」より

私自身も同じく深夜ラジオを好むリスナーの一人で「オールナイトニッポン」シリーズや「(深夜ラジオではないが)安住紳一郎の日曜天国」は今でも忙しない平日の合間で毎週のように聴いている(ちなみに「オールナイトニッポン」の中では土曜日のオードリーが私の中のシンボルで、その中でも「睡眠導入音楽」のエピソードや「ユメちゃん日記」のシリーズは何度もリピートしているお気に入りだ。知っている方がいれば是非話しましょう)

これも星野源が語る深夜ラジオ論からの引用だが、テレビや映画などのメディアが「大衆(マス)」に向けて開かれたコンテンツであるのに対して、深夜ラジオは孤独の海に浮かぶ一人ひとりのリスナー「その人自身へ囁き語りかけられるように」届けられるコンテンツである。
何かと刺激が多い近年の娯楽の中で、敢えて引き算的な良さを追求しつつもリスナーの個別性を大切にしているところにラジオの良さがあるのだろう。

その参 公園

最近マイホームの購入を検討する中で不動産のエージェントさんと頻繁に話をしているのだが、最も優先したい条件の一つに「大きな公園が家の近くにあること」を伝えている、それ位に公園という空間が好きだ。

全員が何かに急かされるわけでもなくそれぞれの気の向くままに過ごす、凪のような時間と空間をその場にいる全員が浅く緩く共有している、そんな余白が、自分という存在の輪郭を取り戻してくれるような気がする。

中野四季の森公園でピクニックした日の一枚
雨の日の善福寺公園で遊ぶ妻
秋の昭和記念公園でボール遊び

自分が好きなものを好きでい続ける。
自分が大切にしたいものを、空間を、時間の過ごし方を大切にし続ける。

これからもそんな当たり前を過ごせる、大事な人たちと分かち合える自分でありたい。