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【解体日誌(7)】 捨てることの果てに、それでも捨てられないものがあるならば 【家/イエの解体】



©︎『解体日誌』編集室


2022年1月23日 《ただぼんやりと、旅行雑誌を眺めていた》


二〇二二年一月二十三日(日)
下野庄(曇りのち雪)

 ・解体(二階の壁)←撮影
 ・舞楽の動画のダウンロード、視聴
 ・充子さんと昼食(ステーキ宮)
 ・休憩(コメダ珈琲店、福永さんに電話)

 今朝の夢で「お前は声が高い」と誰かに言われ、声を出してみたら確かに気持ち高い気がして、低い声を出せるか試してみたけれどあまり変化がない、そんな夢を見た。

 八時に起きて九時から作業にかかろうとしていたが、結局八時半すぎに起き、作業は十時から始めた。寒さか、起きぬけの不調か、昨日のがんばりの反動か。一日のリズムを作りたい。それでも予定の作業はおおむね済ますことができた。

 (1)二階洋間の東側、西側の壁の解体:
    部屋のおよそ半分の壁について、伯父が改修して施したのであろう層を剥がし、古い層を出した、残り半分は部屋の荷物を移動させてから行う、剥がした瓦礫は土嚢袋に詰める

 (2)二階納戸の壁の解体:
    明日にする

 今日は十三時で作業を終え、町に出て充子さんと昼食をとる。差し入れに食料をもらい、ステーキ宮でハンバーグをごちそうになる。旅行支援を使いおばあちゃんと外食や旅行に出た話など。二人でもそれなりにやっているようで少しだけ安心する。

 十五時半、充子さんと別れてダイソーに行き、十六時からコメダ珈琲店で休憩する。店内は穏やかで暖かく、また食後の満腹感で、ただぼんやりと旅行雑誌を眺めていた。奥日光、中禅寺湖、二荒山。そして伊豆のいくつかの温泉地。視覚的な情報に飢えていたのか隈なく雑誌に目を通す。自身の作業から離れ、目的を持たない時間に身を任せるのは久しぶりのことだった。また青海波など舞楽の動画をダウンロードする。昨日の阿地神社で思いつき、今日の作業中にも思ったこと。舞楽の練習をしてみようと思ったこと。指導謝金の件で電話した福永さんには繋がらない。

 十八時近く、家に帰ろうと表に出ると雪が降っていた。風はあまりない、けれど速度が風に変わるから、雪は走るほどにフロントガラスに吹きつけた。いくつもいくつも、大きな粒が白くライトに照らされて、目に入りそうなほど視界めがけて吹きつける。道を見ているのか、雪を見ているのか、視点がばらばらにされて変だった。それも夕食の後には氷の粒になっていた。暖かな夜で珍しく氷点下にならない。


2022年1月24日 《裏から古い壁と梁が現れて、直接触れられるようになる》


二〇二二年一月二十四日(月)
下野庄(晴れ)

 ・解体(二階の壁(西側、南側))←撮影
 ・舞楽の練習(阿地神社奥宮)
 ・休憩(コメダ珈琲店、電気配線、福永さんに電話)
 ・父親到着(埼玉から下野庄へ)

 寒さがやわらいで過ごしやすい朝だった。今朝はセンター試験のようなテストを受けている夢を見た。答えの数字を紙に書き、それをまとめてマークシートに写そうとするが、マークシートが見当たらずに困惑している夢だった。暖かさもあってか九時すぎには作業にかかる。

 (1)二階の西側の壁、その上部の解体
 (2)二階の南側の壁、その上部の解体

 ともに一時間ほどかけて改修で施されたセメントと石膏ボードを剥がす。これまでのようにノミと槌で細かく砕きながら剥ぎ取るのではなく、グラインダーで溝をつけ、板の状態のまま、溝で囲まれた区画ごとに取り外した。裏からは古い壁と梁が現れ、直接触れられるようになる。少し崩れた土壁の端から小舞竹が見えている。少しずつ作業の要領を掴み始めている。

 十二時半すぎに作業を終えた。昼食をとり、十三時半に姫神へ行く。湯ったりの里も鶴舞荘も休業していた。すぐ近くの阿地神社奥宮で舞楽の練習をする。スマートフォンで動画を見て、青海波の練習を行った。昨晩降り、今日はもう解け始めた雪で靴の中が濡れる。日に照らされ、杉の枝に溜まった雪は雨のように降る。落ちてざらざらと鳴っていた。

 十五時、星川で温泉に入り、十六時半すぎにコメダ珈琲店で休憩する。アルバイト先のメールを確認し、電気配線の撤去の方法を調べ、メルカリで売れた美術の招待券を用意する。福永さんに電話をすると謝金の申請書類は京都のアパートに送ったとのことだった。明日、家を見に来ると言う。

 十八時すぎ、店を出て家に帰る。今夜の二十四時頃、父親が埼玉から到着する。

 (1)原(屋号)の松尾さんの離れに家財を置かせてもらうことになった(一月二十日、父親が了承を得たとのこと)、荷物の内容と運搬の記録を映像でとる

 (2)解体はいったん止め、家財の搬出と廃棄を優先する

 毎晩遅く、二十三時頃、家の上空を飛行機が飛んでいく。東京−大阪間の航空機の発着時刻を調べると、遅い便でも二十三時五十分には各地に到着する。勘違いかと思いながら日誌を書いていると、二十二時ちょうど、立て続けに二機、それから二機と飛行機が通過した。その音がした。

 今はまだ一日中作業をしなくていい。少し壊し、手応えを確認し、半日は父親を観察しながら作業に充て、もう半日は温泉や喫茶店で休憩するくらいでいい。もちろん締め切りのようなものはあるけれど、今は時間に余裕を持たせ、細かな気づきができるようにする。

 生活の流れはできてきた。朝はしっかり起き、午前中に作業を充実させれば今は問題ない。

 父親は二十四時二十分に到着した。


2022年1月25日 《理屈に合わない悔しさがあった》


二〇二二年一月二十五日(火)
下野庄(曇り、ときどき雨)

 ・松尾さんの離れへの荷物の移動←撮影
 ・田中さん来訪(父親の知り合い)

 朝七時すぎ、二人ともまだ布団に入ったまま父親の今回の予定を聞く。父親は二十七日まで三日間いる。

 父親の予定、これらをできる範囲で進めるとのこと、
 (1)物置となる松尾さんの離れの掃除
 (2)松尾さんの離れへの荷物の運搬
 (3)村内で処分できる物の廃棄方法の検討
 (4)仏壇の整理と移動(松尾さんの離れに置く)
 (5)埼玉から訪れる田中さんの案内

 今朝はこれまでで最も早く七時四十分に起きる。日中は父親の作業を手伝う。余計な事はできるだけ言わないように決め、手を貸して動くようにする。

 (1)松尾さんの離れの掃除:
    箒とちりとりを持参して部屋を簡単に掃く、八畳ほどの二間の小屋、松尾さんの箪笥や引き出し、農機具が少しだけ置かれていた

 (2)松尾さんの離れへの荷物の運搬:
    二回に分けて行う、あらかじめ段ボール箱や紐で縛って梱包されたものを少しだけ運ぶ

    ・一回目:夏用タイヤ、ジャッキ、堆肥
    ・二回目:絨毯、長机、ござ、草刈機

 (3)田中さんの案内:
    父親がフリーマーケットで知り合ったという田中さんが埼玉から家を見に来た、その間は部屋で休憩し、案内を終えた父親と田中さんと少しだけ世間話をした、お茶を出しただけでほとんど黙っていた、目ぼしい物があれば分けてもらうことが田中さんの目的だったと思う、これらの物を四万円で買っていった、受け取りは後日トラックで来る

 (4)田中さんが購入したもの:
    神棚×二、恵比寿小像、松の板、広間の上り口の、敷板×二、蔵の入口の敷板、箪笥、長持ち、こね鉢、ほうろく

 田中さんに気持ちのいいことを言われ、あれこれと気をよくして話し始める父親の姿が想像されたため、家の案内には同行せずにいた。予想していた通り田中さんは目ぼしいものを見つけ、四万円でいいですかと、いくつかのものを買っていった。この家も荷物も自分のものではない。保管し、維持することもできない。解体し、処分して、全部なくならせるつもりでいた。それが処分を免れてどこかに渡り、そこで大切にされるのはいいことである。多少の金にもなった。けれどそれでも、それらが誰かの欲に晒されて、何らかの、別の意味や価値を与えられ、壊されることなく存続し続けることに、素性も目的もよくわからない者の手に買われていくことに、理屈に合わない悔しさがあった。特に神棚が買われることになった時、とても悔しかった。自分の中にも矛盾したものがある。田中さんの目を見て話すことができなかった。

 自分の中にある矛盾した感情に向き合わなければいけない。壊すこと、手離すこと、他人の手へと譲ること。物の冥利ということにも。父親が喜んで譲るのなら、それでいいはずなのだけれど。

 また神棚を作品に使えないかとどこかでずっと思っていた。だから買われるのが惜しかった。神棚はうつくしく、象徴的で、作品の素材として利用する価値が充分にある。けれど今は解体をすることが、建物も、イエという概念をも壊すことが制作の軸にある。作品を成り立たせる便宜のためにものを残すことは自らの節を曲げることである。作品は虚構である。けれど自身の動機まで都合よく作り替えるようなことはしたくない。それよりは捨てることに徹し、その行為にこそ向き合うべきである。

 捨てること、壊すことの果てに、それでも捨てられない、壊せないものがあるとすれば、それを見つめるべきである。

 例えば母親がどうしても取っておくと言う子供たちの絵や工作物など。

 松尾さんの敷地から見た家はいつもとはまた違う景色だった。

 今日も暖かかった。



【解体日誌(8)】につづく

本記事の転載を禁止します。
なお一部の地名、施設等は仮称を用いています。







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