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落合陽一「 nullの木漏れ日 」メディアアート作品展示に行ってみた件

落合陽一さんは,2022年6月,日本一のビジネス街である大手町——
ビジネスパーソンが絶えず往来するオフィス街のただ中に存在する“本物の森”「大手町の森」でメディアアート展を開催した.

会期時間は17:00-22:00に変更になった

「大手町の森」は,大手町タワーに隣接するテニスコート約14面分の空間に,「自然の,本物の森の創造」を掲げて造成された場所である.
都市のど真ん中に「自然の森」「郷土の森」を再構成する試みとして,千葉・君津市から移植された広葉樹が群生し,絶滅危惧種の生物さえ姿を見せるという.

その都心の森のなかで立ち上がったのが,森とデジタルの親和性を探るように構成された“デジタルネイチャー”の作品である.
ここでは,都市と自然の境界面にそっと差し込まれた「nullの木漏れ日」をご紹介します.

インスタレーション装置

輝度が高いLED光源がライン状についたブレードを高速回転させることで,光の残像により映像として表現できるホログラム装置『3D Phantom』を使用.通常のディスプレイと異なり,透過型の装置なのでリアル空間との親和性を高める空間演出を実現していました.

前後左右に絶妙に重なりあって光の残像による映像を可能にしている

横11本×縦2列,合計22本のブレードで8Kの映像表現を可能にしていました.

BOSEの屋外型スピーカー

スピーカーはBOSEの360度全方位型が2台設置され,映像だけでなく音質にもこだわりを感じる装置が設置されていました. なお,地被類保護のためインスタレーション装置を広葉樹林の中には入れず,通路に設置されていました.

作品について

横から見ると奥行きさらに感じることができる

水盆をたてたようなインスタレーション.
重力化では水盆はたてられない…水をたてにすることができない. 
作品のようにたてにしてみると,どこかの木漏れ日を,水盆の下から見ているような絵が,ガラスケースの中にすごく薄く入っている.

落合陽一のデジタルアート作品《nullの木漏れ日》」より
森と融合する作品

大手町の森の木漏れ日を,1930年代のオールドレンズで解像度の高いカメラでひたすら撮って,ゴリゴリとプログラムを書きながら加工していった.
サウンドインスタレーションと,映像の親和性が見られるような作品.

落合陽一のデジタルアート作品《nullの木漏れ日》」より
外灯・信号・車の灯り.社会の騒音さえも作品の一部に感じる世界観

“null” とはデータが入っていないことを意味する文字.
データのむこうからやってくる,『空(くう)』になりうるものとは何か?
 
よく聴くと鳥ではなく,イルカの鳴き声を聴くことができる.
よく聴くと車のクラクションではなく,クジラの鳴き声が聴こえる.
 
結局,無茶苦茶な音が,意外と自然に森の中に入っている.
人間というものは,意味を感じようとあらゆるものの繋がりを考えてくことをする.
それについて想いながら,ボォ〜っと見ていただければと想います.

落合陽一のデジタルアート作品《nullの木漏れ日》」より

会期中には,一度作品のアップデートが実施されました.

落合さん自身は『明るい時がオススメ』とのことでしたが,陽が落ち周りが暗くなり静観した森の中での作品は,高精細な映像と高音質なサウンドに引き込まれていく感覚になり,時が経つのを忘れて観入っていました

アップデート版 -夕暮れ-

アップデート版 -宵の口-

リリース時版

(YouTubeチャンネル「落合陽一録」より)

最終日の2022年7月8日(金)は,身体と心のズレをどう処理していいかわからない日だった.
現実とは思えない残虐な事件が起き,街の空気が重力を増したように感じられ,人の多い場所へ向かうだけで胸の奥がざわついた.
友だちとの約束も,直前まで『今日はやめておこうか…』と迷っていたほどだ.

それでも足を運び,友と森の中で作品に向き合っていると,わずかに呼吸が整っていく自分がいた.
光や揺らぎに触れることで,社会のノイズから一段だけ距離が生まれ,心の内部に“余白”が戻ってくる.
その隙間に,新しい思考がそっと入り込んでくるのを感じた.

さいごに

大手町という,情報と速度が絶えず交換される場所に,本物の森が呼吸している.そこにデジタルの光が差し込むとき,森は単なる緑地でも,都会の演出でもなく,“人が世界をどう感じ取り直すか”という問いを静かに浮かび上がらせる.

このメディアアート展は,鑑賞者に強い答えを提示するものではない.
むしろ,葉の揺れと光の分布とデータの律動が,境界をぼかすように絡まり合い,人間の内部にある古い感覚を,もう一度起動させる装置のように働いていた

そして,自分自身は思わぬかたちでその作用を受けた.
社会の空気が大きく揺れ,心が硬直しそうになったあの日,森の中で光と影を浴びながら作品と向き合った時間が,世界の輪郭をほんの少しだけやわらかくしてくれたのだ.

それは“大事件を忘れる”ための慰めではなく,
“世界と再びつながるために必要な微小な再起動”だった.

都市の中心に植えられた森と,計算機の光が編む新しい自然.
その交差点で生まれた「nullの木漏れ日」は,喧騒のただ中で人間が生き続けるための,ごく小さなゆらぎとして,いまも記憶の奥で静かに揺れ続けている.

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