事実と幻を分けたら、本当の私が見えてきた
人は、起きた事実そのものだけで生きているわけじゃない。
その時に言われた言葉、聞いた言葉、
自分の中で生まれた解釈。
それらを持ったまま生きている。
私は過去、現実を変えたくて、
必死にできうる限りのことをした。
強くなろうとした。
工夫もした。
避けることも覚えた。
でも、望まない現実は続いた。
今ならわかる。
私は現実への対策はしていたけれど、
自分の中で起きていることには、
ほとんど目を向けていなかった。
私は自分の扱いを間違えていたんだ・・・。

私は、リアルな被害者。
そして同時に、被害者意識も持ち合わせていた。
この二つの区別が、私にはとても難しかった。
「全部自分だよ」
「いつまで人のせいにするの?」
「問題を作り出す自分を変えない限り、変わらないよ」
そんな言葉を聞くたびに、
どこまでが私の責任で、
どこからが私の責任ではないのか、
わからなくなっていった。
被害にあった事実は変わらない。
でも私は、
被害者という肩書きだけで生きたくなかった。
可哀想な子。
哀れな子。
そんな存在として、自分の人生を終わらせたくなかった。
だから私は、
なぜ私の人生がこうなったのかを知りたくなった。
何がどう繋がって、今の私を作っているのか。
それを一つずつ、紐解いていった。
そして行き着いたのが、
事実と、自分がそこに与えた意味。
他人の言葉と、自分の本音。
過去にできた解釈と、今の自分。

ノートを書くことは、過去を消すためではない。
傷をなかったことにしたり、
被害者であることを否定するためでもない。
「全部自分の責任」と背負うためでもない。
必要だったのは、
それらを分けて見て、明らかにすることだった。
その上で、
「私は本当はどう感じてる?」
「私はどう思ってる?」
「本当はどうしたかった?」
と、自分の中にある”本当”を拾っていく。
そこで、やっとわかった💡 ̖́-
変えられないのは「起きた事実」だけなんだと。
その出来事から自分の中に残った言葉や、
自分がつけた意味や解釈は、見直すことができる。
ノートは、単なる自己理解でも癒やしでもなく、
自分の内側にいるさまざまな”わたし”との関係を見直し、自分との関係を育てて行くものだと思う。

人間って、とても巧妙で巧み。
自分でも気づかないくらい、何重にも隠していたりする。
それを一つずつ紐解いていけるのが、
ノートだと思っている。
私自身、望んでいることがあるのに、
なぜかそっちへまっすぐ進めないことが何度もあった🥹
だからこそ思う。
みんなには、自分の望みをまっすぐ叶えにいってほしい。
望まない現実への対処ばかりに人生を使うのではなく、
自分が望む方へ進んでほしい。
置き去りにしてきた私と、仲直りしていく。
本当の私は、どこか遠くにいるんじゃない。
今の私の中に、ちゃんといる。

