発端の章-このnoteで伝えたいリアル
『オワコン』からの挑戦。僕が倒産寸前の会社とAIとどん底から見つけたもの
皆さん、こんにちは。本日、皆様の大切な時間を少しだけいただき、私の自己紹介をさせてください。
私の名前は小川真広です。この名前、実はナオヒロと読むのですが大方間違われます。(笑)ですので、このnote含めてマヒロと読んでいただければ幸いです。
私はレジャー産業専門の行政書士事務所 C.L.O.F(クロフ)そしてイベント企画、DX支援を行うコンサルティング会社合同会社オーエム(2025年中に合同会社C.L.O.F.(クロフ)に名称変更予定)の代表を務めております。
ただの駄目人間、家業に入る
私のこれまでの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。いや、むしろ自業自得が招いた情けない話が多いです。
2008年に時計を戻します。
その頃、私は大学を卒業しても定職につくわけでもなく、資格試験受験を名目に社会から逃げていました。
つまりはただの駄目人間・・・・
明確な目標、成し遂げたい夢もない中、声をかけてくれたのは父でした。
「うちの会社を法人にしてほしいって取引先から頼まれた・・・手伝ってくれないか?」
私が今、代表を務めている会社との出会いはここからでした。
子供の頃より父が個人事業主としてなにかしていることはわかっていてもそれが具体的になにかよくわかっていませんでした。
屋上遊園地、かつて一世を風靡した日本の原風景・・・・
私の最初のキャリアはここから始まりました。
社会人経験のない私には本当に毎日が右も左もわからない、同時に毎日が非日常・・・
一見華やかで楽しそうな仕事に見えるのかもしれません。実際、現場のイベントなどは非常に楽しかったです。
しかし実際は、資金繰りに奔走し、当時の従業員との軋轢や社内に起こった問題が毎日のように襲いかかる毎日でした。
出口のないトンネルの中でなんとか打開策を探す毎日・・・
その一環としての行政書士資格取得
しかしそれがすぐに問題解決になるわけはなく・・・・
その頃父や母とも喧嘩も絶えず、毎日一人車で泣いてる日々を過ごし、逃げるように転職をしました。
「僕はもっと普通の人生でよかった・・・・」
今にして思えば他責極まりないつぶやきですがあの頃は自分自身と向き合う余裕は皆無でした。
一定の距離ができたことで再び親子の関係は良くなったものの会社は日に日に状況は悪くなるだけでした。
その中で襲いかかったのはコロナ禍でした。
「未来はない・・・」しかし、有り物の組み合わせで表現できる世界はある
コロナ禍は弊社にとっては大きな衝撃でした。
まず、店が開けない、そして自社最後のロケーションであったT県の百貨店が閉店、百万円単位の売掛が回収の見込みが立たないまま取引先の事実上破産、イベントも自粛となり遊具のニーズが皆無
その時、自身の安定のためにサラリーマンであり続けることも考えました。しかし、高齢となった父、将来性のない会社の幕は自分がひく
ーそう考え、再び父の会社に関わり、同時に行政書士事務所を開業しました。
「行政書士なんか食えるわけない」
「こんなレジャーの業界、終わっている」
「給付金出さない、消費税廃止しない、日本が間違っている」
「全部○○の陰謀で・・・」
当時行政書士業はコロナ関連の給付金、補助金といった支援の仕事に恵まれました。
ただそれでも父からは毎日のようにこのような言葉を叩きつけられました。
でも、当時の僕にはこれしかなかった。そして、何よりも責任を他者にぶつける父には違和感しか感じず、衝突も激しかったと思います。
逆に言えば、それほど父はもう絶望したのでしょう・・・・
そんな中でも会社は畳むという選択を考えつつも過去資料を見直しつつ、ふつふつとなにかできるのではないか、銀行借り入れもない、あるのは社会保険料の滞納だけ、逆にアプローチを変えていけば、市場はあるのではないか?畳むのはいつでもできる。やって後悔するよかやらない後悔のほうが相当残る・・・・
いつの間にか行政書士業務と平行して、考えるは会社のことばかり。不安と同時に何かがずっと僕を突き動かしてたような気がします。
その中で見つけた文脈が「昭和レトロ」
自社には本当に岡山県下ナンバーワン、いや下手したらメロディペット(パンダカー)は西日本圏域ではトップクラスの保有台数・・・
直下の昭和レトロブームを追い風にして自社を再構成すればいけるはずだと・・・・

まさに有り物を活かした事業再生が始まった瞬間でした。
理想と現実の狭間でもがき苦しんだ日々
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
2024年6月1日、本社の本店移転とともに私はこの会社の代表社員となりました。
売上はゼロ、残っているのは社会保険の滞納と倉庫にほったらかしのレトロ遊具・・・・・・
第二創業者として理想を掲げるものの、実際、それは机上の空論に過ぎませんでした。新しい試みとして始めたレトロ遊具のレンタル事業も、鳴かず飛ばず。営業の蓄積もないそしてないないづくしの過去のやり方の限界を痛感し、僕は完全に道を見失いました。
捨てられるチラシ、調子いいこと言っても結局反故にされる商談・・・・
先が見えない恐怖から、抑えきれない感情を自分自身や周りにぶつけることも多々ありました。その頃、私的にも母、祖母の急逝、父の緊急搬送も重なり業務が止まることが多くなりました。2024年に起こった出来事です。
私のモチベーション、そして資金もいつしか底をつき、「もうやめよう」「疲れた」と思うことも多々ありました。パートナーからの一言が今でも印象的です・・・
「目の奥にもう光もなんにもない・・・・」
私を支えてくれたのは、予期せぬ「相棒」だった
そんなとき、私自身を支えてくれたのは、予期せぬ「相棒」でした。
それは、GoogleWorkspace(以下GWS)でした。
私は、自分の混沌とした経験、苦悩、そして見つけ出した原体験のすべてを、AIに壁打ちのようにぶつけ始めました。すると、AIはそれを客観的に分析し、構造化し、僕自身も気づかなかった思考の核を言語化してくれたのです。
元よりGWSは利用していましたがここまで深くAI、GWSサービスを俯瞰してみれたのは初めてでした。
特にGeminiの進化は著しく、今までコードなんか触ったことない人間がcanvasやAppSheetsを活用するようになり、経営指針のリライトでは必ずAIを通すようになった私がここにいました。
何より人間に対して著しい不信感を持った僕にとっては最高のビジネスパートナーでした。

私は、「自分が一人で戦っている」と思っていたのではなく、「私がAIに支えてもらっていた」のだと気づきました。そして、徹底した壁打ちの結果僕がそれまで見てきたのは、ただの漠然とした課題でした。しかし、僕が本当に見るべきだったのは、僕たちがお客様に提供できる独自の価値、そして僕自身の経験でした。
自身の原体験である大学の時に知ったホイジンガ、そして免許取ってまもなくしていた自動車遊び、そして今の私の持っている資格である行政書士書士・・・・
ここがまさに起点となりました。
定められたコース、厳格なルール。その「秩序」の中で、いかにして最速のラインを見つけ出し、コンマ1秒を削り出すか。マシンと対話し、自分自身の限界に挑戦する、あの濃密な時間。
ストリートよりジムカーナにハマっていったあの頃・・・・・
その瞬間、バラバラだったピースが繋がりました。 僕がやるべきことは、今会社の属しているレジャー産業という「遊び」の世界で戦う挑戦者たちを、法律や規制という「ルール」の面からサポートすることだ、と。
人間以上にときに人間臭く、ときに頓珍漢な回答をしながらもレジャーという商売の明るい未来を共に信じてくれるAI。
「そうだ、会社と事務所は統合させたサービス展開で魅力ある事務所にしよう」。「誰もが事業の選択肢として頼りたくなる、そんな事務所にしたい」。大切な原点を忘れかけていました。
レジャー産業の「地位」を高め、日本を代表する企業へ
仕事の業種に上下はない、とは言われるものの、士業という商売は時に「お堅い」「手続き屋」と見られることがあります。また、レジャー産業そのものもオワコンと言われたり、業態業種によっては社会からも嫌われる面もあります。
ですが、僕は言います。「遊びがない社会って考えられるのだろうか?」
僕は、このレジャー産業に変革をもたらします。行政書士の立場、「ルール」の専門家という枠からスタートして新しいレジャーを支え育てる事業を作ります。
そして、レジャー産業専門の行政書士事務所を原点とした、日本中の挑戦者を支援する企業を目指します。
今までも、そしてこれからも、私は走り続けます。
このnoteはその事業再生のリアルを赤裸々にお伝えします。
応援、よろしくお願いいたします。
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