20年後のランウェイは、ここ。 『プラダを着た悪魔』とわたしの選択
京都の自宅の仕事部屋で。カタカタ、という静かなキーボードの打鍵音の向こうに、高校生の時、被服室に響いていた「ダダダダダッ……」というミシンの残響が重なる。
部活とか、勉強とか、恋愛とか、高校生の青春のかたちにはいろいろある。わたしにとっては、文化祭で開催する有志のファッションショーが青春そのものだった。
通っていた埼玉の県立普通高校のファッションショーは、有志とはいえ100人規模の巨大組織だ。デザイン、縫製、ヘアメイク、演出、PR、そしてモデル。
1年生の時に放送部員として記録撮影のためにファッションショー本番に駆り出され、そして胸を撃ち抜かれた。イベント好きで、ファッションも好きで、その両方が詰め込まれたショーに夢中になった。矢沢あいによる服飾学校のマンガ『ご近所物語』の世界が現実にあった。2年生でチームの末端に潜り込み、3年生になったわたしは、気づけば幹部の一員になっていた。高校生なのに「幹部」っていま思うとほほえましいな。

ファッションショーの準備は一年前から始まる。秋に本番が終わり、次の年の幹部を決め、冬のあいだテーマを練り、春からメンバーとデザイン画を募集、つくる服が決まったらみんなで日暮里に行って布を大量に買い込み、真夏にメイクや振り付けの練習をする。モデルの子たちには「日焼けしないで!」とメーリングリストで注意喚起。
学校中の教壇を講堂に集めて、積み上げてランウェイをつくった。暗転した会場で、音楽がかかり、スポットライトを浴びてモデルが登場する。所詮は普通科の高校生レベルといえばそれまでだが、わたしたちは夢中で、本気で。数分間のランウェイは、世界のすべてを詰め込んだと思えるほどにまぶしい。モデルたちは輝いていて、地学の先生は「あれ関根かよ、きれいすぎてもうわかんないよ」と女子高生の変身ぶりに驚きながら笑ってくれた。

この熱狂のなかにいたわたしにとって服飾の専門学校や美大へ進むことは自然な選択肢だった。実際に総責(総合責任者の略だろうか。ここでしか聞いたことのない言葉)は新宿にあるファッションの専門学校へ、副総責は美大のテキスタイル専攻へ進んだ。けれど、いざ高校卒業後の進路を選ぶ時に、わたし自身はファッションの道を消した。
情熱が冷めたわけではない。
でも、自分の適性は自分が一番よくわかっていた。
正直、ファッションショーのクオリティは代によって大きく変わる。わたしたちの代は、これ以上ない巡り合わせだった。ファッションショーに参加するためにこの高校に進学した抜群のセンスを持つ総責をはじめ、演出リーダー、モデル長、PR班長。みんなみんな、すばらしかった。
「この子のセンスなら絶対にかっこいい服が作れる」「彼女が歩けばみんなが惹きつけられる」。それぞれの持つ才能の原石がわたしにははっきりと見えていて、彼女たちが一番輝ける場所を用意しようと、声をかけて回った。自分で作ることはパッとしないわたしだったけど、誰がどのポジションにいれば、このショーが輝くかは手に取るようにわかった。そして実際にショーは拍手喝采で終わり、「わたしが知ってるここ10年で最高よ」と顧問の先生に言わしめた。
思い返せば、文化祭も体育祭もわたしのクラスは一番だった。担任の先生に言われた「クラスにひとりは、あなたが欲しいわ」という言葉をいまもお守りのように抱きしめている。わたしは黒子が上手なんだ。
わたしがファッションの道に進むべきでないことについては、皮肉なことに、クリエイティビティにあふれる仲間たちが、なによりの証明になってくれた。わたしよりもずっといいデザインを出し、うまく絵を描き、告知アイデアを思いつく。どれをとっても、誰にも勝てる気がしなかった。そんなわたしは、普通の四年制大学に進んで組織論について学ぶことに決めた。
きらびやかな表現の裏側にある非情な壁。それを突き破る才能がないことを悟った18歳のわたしに、総責の子が、一本の映画をすすめてくれた。『プラダを着た悪魔』だ。
ジャーナリストを夢見る野暮ったい主人公のアンディが、悪魔のように厳しいカリスマ編集長のアシスタントとしてファッション業界で奮闘し、揉まれながら成長していく物語。
埼玉の田舎のTSUTAYAで借りたDVDのラストで、華やかなファッション業界を去って自分の信念を守るアンディの姿を見て、高校生のわたしは、人生は選択なのだと知った。それから、高校生のうちに『プラダを着た悪魔』を10回は観た。8回目はセンター試験前日の金曜ロードショーで。
アンディが噴水に携帯を投げ捨てた時、彼女は「華やかな世界」を捨てたのではなく、「自分らしくない誰かになること」を捨てたのだ。そしてアンディは「選ばない道があること」は敗北ではないのだと教えてくれた。人生は選択の連続であり、あえて降りることもまた、自分を肯定するための積極的な決断なのだ。
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わたしは大学を卒業し、社会に出てからは、ファッションとは直接関係のない仕事に就いた。けれど、不思議な縁でふたたびその熱に触れる機会が訪れる。
デザインやPRの仕事を通じて、さまざまなブランドを人へ届ける仕事をしていたわたしは、担当した化粧品ブランドが銀座にオープンする、旗艦店のカフェプロジェクトに関わっていた。その制服のデザインを依頼したデザイナーが手がけるプロのファッションショーに招待され、わたしは東京ファッションウィークで渋谷ヒカリエのホール客席にいた。
暗転、そして轟音。モデルたちが纏う布の動き、空気がふるえる感覚。モデルは笑顔なんて振りまかない。音楽と共に歩き去って行く、嵐のようだった。高校の講堂の「手づくりの熱気」とはまったく違う冷たさが会場にはあった。冷徹なまでの完璧さや鋭さ。それは高校の講堂で作ったものとは次元が異なる「本物」のランウェイだった。
わたしは作る側を降りた。けれど、自分なりにプロとして仕事を全うした先に、こうして本物の表現と交差する瞬間がある。こんな瞬間がこれからいくつもあったらいいし、きっとある、と思えた。ファッションを作る側から離れた、高校生の時の選択は、間違っていなかったのだと確信した。
👠
前作から、20年。
『プラダを着た悪魔2』が公開された。映画館のスクリーンの中で再会した彼女たちの姿を、片時も見逃さないように見つめた。
彼女たちはかつての新人でも、完全無欠の悪魔でもなかった。媒体は紙の雑誌からスマートフォンへ移り変わり、撮影ロケはアフリカ4週間からスタジオ2日間に縮小。20年という月日は、世界を残酷なまでに変え、彼女たちもまた、その荒波の中で泥臭く足掻いていた。
車のなかでミランダが働くことを全肯定するシーンでは泣いた。わたしも、仕事が好き。
映画を観終わり、今のわたしは、高校生の時に憧れた場所にいるわけではない。京都の自宅の小さな仕事部屋でひとり、ライターの仕事をして、キーボードを叩いている。けれど、この20年という時間を、彼女たちと同じように、たしかに、たしかに積み重ねてきた。
20年ぶりに再会した彼女たちが向き合う仕事は、ある種、壮大な茶番の連続に見えた。豪奢なガラパーティーは外から見れば滑稽かもしれないし、内紛や買収劇、スポンサーへの忖度など、繰り広げられるのは化かしあい。
でも、かつてわたしたちが講堂で積み上げた教壇のランウェイが世界のすべてだったように、締め切りやプレゼンもまた、誰かにとっての魔法を作るための、真剣な茶番なのだ。
虚構を守るために、身を削り、ままならない現実と折り合いをつける。けれど、その茶番を本気で、命懸けで演じることこそが、大人になるということなのかもしれない。
「茶番かもしれない。けれど、自分が決めた場所で、やりきるしかない」
スクリーンの登場人物たちからは、そんな諦めを含んだ覚悟を感じた。それは、20年前のアンディが噴水に携帯を投げ捨てた時よりも、ずっと深く、切実な響きを持って今のわたしに届いた。
わたしも、今いるこの場所で、わたしにできることをやっていく。あの日ランウェイを作り上げた高揚感も、プロの作る側になれないと知った絶望も、そして自分の仕事を通じて触れた本物の輝きも。すべてが今のわたしを支える血肉になっている。
華やかなスポットライトはなくても、ここがわたしのたたかう舞台。20年分の月日を抱えて、わたしは今日もカタカタとキーボードを叩き、わたし自身の選択を正解にしていく。
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