距離をおいて得た心のゆとり
〜桜花見旅行記〜
「あ〜幸せ!」
夫がひとりごとを言った。
それを聞いた時、私は一瞬ピンク色の光に包まれたような気がした。
夫婦で久しぶりの一泊旅行で、桜の名所の花見をした帰りの観光列車の中。
昼食とフリードリンク付きだった。
夫はお酒好きで、いつもは清酒を飲んでいるけど、その日はワインや焼酎など合わせて6杯も注文し、喜んで飲み干した。
酔っ払って眠っちゃったらどうしようと心配しながらも、私は夫の幸せそうな様子を見て嬉しかった。

夫を幸せな気分にしたのはお酒の力?
珍しい食事をお腹一杯食べられたから?
それとも私と一緒に旅行できたから?
幸せにしたのは多分、夫本人だろうと思う。
今回の旅は夫が提案してくれたものだ。

訳あって夫と私は別々に暮らしている。単身赴任とも言うべきか。
夫は双極性気分障害で病休を経た後、定年退職をした。
退職して2年間は家で休んだり、知り合いの所で農作業をしたりしていたが、その後思いたって自分が育った故郷に仕事を見つけ移住した。
私は他の家族の事を優先し、一緒には行かなかった。
でも本心は、退職前後で調子が悪い頃の夫の言動に疲れ果てていて、少し距離をおきたかったのだ。
私は思いのたけを夫にぶつけ、夫も最後には納得してくれた。
それから3年間、お互いに葛藤の日々をすごしたと思う。

毎日メールをして、時には電話で話したけれど、いつも心が平穏とは限らない。
でもメールだとちょっと冷静になって言葉を選ぶことができた。
イライラしている時でも、「ありがとう」に変換できた。
私の中に、ムカッときている私も、本当はありがとうと思っている私も、どちらもいたから。
ひと呼吸おくと「ありがとう」の方に傾けることができた。
私は自分の気持ちを正直にはっきりと言えるようになった。
病気だからと自分の気持ちを押し込めてしまわずに、心からの気持ちを伝える方がいいことに気がついた。
雨の日も、晴れの日も、曇りの日もあったけど、距離をおくことが2人に心の余裕をもたらしたのだと思う。

私は素直に自分を表現でき、夫はそれを受け止めてくれるようになっていった。
いつもありがとう、生きてくれて嬉しい、元気で良かったと心からの言葉で夫を応援し続けた。
夫の尊敬するところが沢山あったから、それができた。
夫は持ち前の人懐こさと誠実さで、周りの人たちに協力してもらいながら元気に暮らしている。
自然の豊かさや、おいしい空気も夫を支えていると思う。
料理も作れなかったのに、今では簡単なものを作れるようになった夫。
心療内科の先生には「過疎地域ではやっていく事が難しい」と言われたこともあった。
沢山の患者さんを診てきた先生だからこそ、お勧めできないと言われたのだろう。
でもやってみないとわからないだろうと私は思ったし、夫が望んでいるんだから、そうさせてあげたいと思った。

もしうまくいかなかったら帰ってきたらいい。
他の方法も見つかるかもしれない。
生きてさえいたら何とでもなるよ。
そう言って夫を、そして私を励ました。
結局、夫の決断と行動力が通常をくつがえした。
私が「どうにかなったね」というと、夫は「そうやね」と嬉しそうに笑った。
家族で長い間つらい経験をしたから、今の幸せはきっとご褒美だ。

沢山食べて飲んで満腹になった私達は暫く無言で幸せなひとときに身をおいた。
列車に揺られながら私はふと心の中で彼の亡き両親に、「お義父さん、お義母さん、あなた達の息子さんが私にこんなに素敵な旅をプレゼントしてくれました。ありがとうございます」と言った。
その後に夫が「あ〜幸せ!」と言ったので、ちょっとびっくりしたけど、夫の両親に私の思いが通じたんだと思うことにした。
街中どこもかしこも桜ピンク色の景色を見ながら4月初めの一泊二日の短い旅が終わった。

旅行後数日私の所にいた夫が自分の住まいに帰る日、私は車で駅に送って行った。
夫が車のドアを閉める前に、「いい旅をありがとうね」と言うと、
夫も「いい旅だったね」と笑った。
また離れ離れの日々になる。
さぁ、これからまたいつもの日常に戻る。
今度会う日まで。
