言葉のお座敷と 受け取りの作法
私は お世辞を言わない
嘘をつくのも 性分ではない
言わなくていいことを わざわざ口にして波風を立てるほど 野暮でもない
対面している人の 尊厳をふんわりと守る
それが 私の人間関係の 「会話の流儀」
例えば その場にいない誰かの話をするとき
「あの人が大好き」という直球は 一見ポジティブに聞こえるが 時に目の前の相手を 独りぼっちにさせる
だから私は 「あの人は 大好きな友達の一人なんだ」と 言葉を添える
私の心のお座敷に あなたもその一人として 座っているのだと
言葉の余白で そっと伝えるのだ
そして 相手から贈られた言葉は
お世辞であっても 言葉の奥にある意図をそのまま受け取る
「またまた〜」「お世辞でしょ」
謙遜という名の拒絶は 相手が差し出した「好意」をゴミ箱に捨てるのと同じこと
「ありがとう」を 感謝としてではなく
会話を彩る花びらのように 至る所に散りばめる
そんな私を見て 「ピュアすぎて騙されないか心配だ」と人は言うが 心配には及ばない
何百年生きてると思ってるんだ
ピュアは 「真に受ける」
私は 「受け入れる」
人一倍敏感な私のセンサーは 悪意や嘘という「違和感」を逃さない
ピュアな振る舞いは 世界を円滑に回すための 大人な演出に過ぎないのだから
なぜ私は ドロドロした言葉を投げられないのか
それは 私が先に『相手をリスペクトする』という旗を振るからだ
まともな人間なら 自分を大切に扱ってくれる相手に わざわざ泥を投げようとは思わない
もし 周りにドロドロをぶつけてくる人がいるのなら
自身の『お座敷』に 相手をリスペクトという名の客として招き入れていない証拠かもしれない
相手を『暴言を吐く敵』にするのも
『粋に振る舞う隣人』にするのも
実は『受け取りの作法』ひとつで決まる
裏側のからくりを リスペクトで包み込む
これこそが マタギ流の
お・も・て・な・し
ざんす
【マタギの脳内サバイバル】
お世辞を言うより 言葉の選び方に細心の敬意を払う
「ピュアすぎて騙されないか心配だ」
私からすれば そんなふうに人を真っ直ぐに心配できる ピュアさのほうが よっぽど尊くて 心配になってしまうよ
本当 かわいい人
さて
今日のお座敷は これにてお開きでありんす
