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津屋崎と若松

ある週の金曜日の労働を終えた晩、ウェザーニュースとSCWを眺めて旅先を探す。

厳しい残暑は続いているが、週末は必ずどこか遠くへ出掛けたかった。
今週は在宅勤務が多めだったから、よけいに閉塞感を覚えたのだ。

毎週木曜日くらいの、確度が高まったタイミングから週末の天気を確かめるようになる。
天気は、私の土日の過ごし方を左右するのに極めて重要な因子なのだ。

ぐずつく予報が多勢を占める中、福岡県の日本海側にだけ晴れマークが並ぶ。
自ずと行き先はこの辺りになる。

次にGoogleマップを眺める。海岸線をたどる。ちょうど今は剣先イカが旬なはずだ。道中で活き造りなどにありつくことができたなら、どんなに幸せなことだろうか。

福津市の海岸景色が美しいという情報を思い出した。夕方に全力を発揮するらしいが、今回は日帰りにつきあまり遅い時間までは滞在することができない。しかし、イカも美味いらしいとの情報も得た。

早速新幹線のチケットを手配し、日帰り福岡旅行を敢行する。

津屋崎に向かう

博多へ

新大阪6:00発

新大阪から「みずほ601号」に乗り込む。この列車を使えば、一刻も早く西に向かうことができる。
2列シートの指定席はとても快適だが、この日は自由席の気分だった。

朝一番の下り列車なので混雑を覚悟したが、幸い杞憂に終わった。
土曜日や大型連休の初日ともなれば、きっと違った景色になるのだろう。

3列席の窓側A席を陣取ったが、結局のところ、博多で下車するまでB,C席には誰も来なかった。

817系3000番台のロングシートはオシャレなカラー

博多から鹿児島本線に乗り換える。
817系3000番台を先頭にしてやって来た普通列車・折尾行きに乗り込んだ。

実は後続の快速・門司港行きに途中の福工大前で抜かされるので、それを待てば良いのだが、817系3000番台には乗ったことが無かったのでこれに乗ることにした。

日曜日の朝9時前、博多を発車した後の上り列車、しかも折尾止まりということもあってか、車内はご覧の通り閑散としていた。大きな窓の向こうを街並みが飛び去って行く。

目覚めよ脳みそ

滋賀の自宅を発ったのは夜明け前。以来、お茶しか口にしていなかったことを思い出す。

さすがに空腹だった。しかし、あいにく駅のホームにあるラーメン屋で麺を啜るほどの時間的余裕は無く、ホームの自販機で買い求めた貴婦人のカフェオレで血糖値を上げる。

味が濃くてとても美味しい。
らくのうマザーズのカフェオレは、右を向いた貴婦人のパッケージがとても特徴的だ。

実は「コーヒー」という兄弟商品もあって、そのパッケージには左を向いた貴人が描かれている。ちなみに私はまだ飲んだことがない。

詳細はメーカーのウェブサイトをご参照いただき、ぜひ九州の地にてご賞味いただきたい。


福工大前で後続の快速に乗り換え、福間で下車した。

西鉄バス

福間駅から津屋崎までは西鉄バスが出ている。
休日は概ね1本/hの頻度で走っており、これに合わせて計画を組めば利便性は決して悪くない。

数を減らしつつ赤バスの最後部に腰掛け、過ぎゆく車窓を眺める。バスの運行はスムーズそのもので、途中の停留所では時間調整のためにしばらく停まることもあった。

津屋崎




終点でバスを下りると、「津屋崎」の名から想像できる通りの光景が眼の前に広がった。

思わず「おお〜」と独りごちるほど鮮やかな光景だった。

ここ津屋崎は、江戸時代から明治前期にかけて製塩と海運で栄えた街だ。その後、鉄道の発達と塩田の廃止により港町としての役割は縮小していったが、今の街並みには「津屋崎千軒」と呼ばれたかつての栄華の面影を見ることができる。

2007年までは津屋崎にも鉄路が伸びていた。西鉄宮地岳線である。

現在は西鉄貝塚線と名を変え、福岡市営地下鉄と接続する貝塚から西鉄新宮までを結んでいるが、さらにその先があったのだ。

今回は博多からJRとバスを乗り継いでやって来たが、せっかくなら途中の新宮までは地下鉄と西鉄を使うのもアリだったな、とこれを書きながら思う。




いか未入荷!残念!

しばらく津屋崎の街を散策した。

昼食にイカの活き造りでも、と目星をつけておいた店に向かってみると、悲しい張り紙が貼ってあった。

落ち込んでも仕方がない。
もうしばらく散策をして、次のバスで福間駅まで戻ることにしよう。

湿気の多い日だった


タイルに懐かしさを覚えるのはなぜか


漁具


のれん


オールスター

「そうだ、東筑軒でうどんとかしわめしを食べよう」

イカ未入荷の現実を目の当たりにし、私はすっかり気を落としていた。そこに一縷の希みを与えたのが「東筑軒」だった。
海鮮は他の場所でもありつける。が、東筑軒のナレッジはここにしか無い。

福間駅でバスを降りた。駅舎の1F部分に東筑軒の店舗が入居している。

早速自動ドアをくぐる。颯爽と。立ち食い式のカウンターで自分の居場所を見つけ、壁に貼られたメニューに目を通す。残念ながら「かしわめし」は見当たらない。その代わりに「かしわおにぎり」を見つけたので、それと「ごぼ天うどん」を発注した。

やがてお客がやって来て、「かしわめし3つ」と注文しているのを見た。

入店時には気が付かなかったが、持ち帰り用駅弁の販売もしているらしい。

ショーケースに目をやると、ミニサイズの「小さなかしわめし」があった。
それを店内で頂けるか店員さんに尋ねてみたところ、「もちろん」と即答されたので、追加で注文した。

店員さんは「おにぎりはどうします?」と気遣ってくれたが、もう発注してしまったし、何なら眼の前に到着したところだから、そのまま頂いた。

感動的だったのがうどんの出汁だった。
甘みが行き過ぎておらず、魚介の奥深さがよく感じられる仕上がり。まさに好みの味。

炎天下を歩き回った後、冷房のよく効いた室内ですする熱いうどんはとても美味いことを知った。

東筑軒のうどんとかしわめし、また食べに来よう。

若松

ゴールデンゲートブリッジ(のようなもの)が見える

バッテリーで非電化区間を走行する819系に乗ってみたかったので、折尾から筑豊本線に乗り換えて若松を目指した。

折尾〜若松の通称「若松線」は、非電化ローカル線であるにもかかわらずご立派な複線となっている。

若松港は筑豊炭田で採れた石炭の積み出し港として発展した。筑豊本線は、石炭を内陸部の炭田から港まで運ぶ手段として大活躍したのだ。

引き続き街を散策する。





国指定重要文化財に指定されている


街のどこにいても目に入る若戸大橋は、まさしくこの街のシンボルだ。

若戸大橋の供用開始は1962年のこと。とうに還暦を過ぎたベテランだが、修繕を重ねながら今日まで大切に使われてきた。今は自動車専用道路だが、昔は歩道もあったらしい。

同じ「赤い吊り橋」という点でサンフランシスコにあるゴールデンゲートブリッジが想起されるが、両者の技術的・歴史的な繋がりは薄い。主塔の形状の違いからもそれがわかる。

若戸大橋の設計で参考にされたのは、フィラデルフィアにあるウォルト・ホイットマン橋である。ググればすぐにわかるが、若戸大橋を緑色に塗ったらウォルト・ホイットマン橋と完全に一致する。

若戸大橋が建造された背景など、より詳しい情報については北九州市のウェブサイトをご覧いただくのがベストだ。

北九州市営若戸渡船

若松と戸畑の直線距離は、洞海湾を挟んでわずか400m。時間距離にしてたった3分。この間を今日も小さな渡船がピストン運行している。この渡船が、かつては若松と戸畑を直線で結ぶ唯一の交通手段だった。

その後、若戸大橋に続いて若戸トンネルまで開通するなど、代わりの交通手段が整備されるも、渡船はバリバリの現役である。

当初の計画では若戸大橋開通後に廃止されるはずだったが、利用者からの強い要望により以降も存続、今日でも年間40万人以上の旅客を数える。片道運賃は100円だから、年間の売上高は4,000万円くらいだろう。

一方で、令和7年度における北九州市の渡船特別会計予算額は約5億円に上る。これは小倉航路も合わせた金額なので、およそ半分の2.5億が若戸航路分だと見積もっても、経営的にはとても厳しい状態にある。

橋もトンネルも自動車専用道だから、歩きや自転車で若松と戸畑を行き来するには渡船を使うしかない。

そういう事情から、毎年多額の赤字を計上しながらも北九州市が運航を続けてくれている。




対岸の戸畑は目と鼻の先の距離


戸畑桟橋に到着した船はすぐに若松へ折り返していく

あっという間に着いてしまった。

船はまるでトラックのようなディーゼル音を響かせ、軽快さと力強さを併せ持った足どりで前進した。公共施設の冷暖房は控えめなことが多いのに、この船の客室の冷房はめちゃくちゃしっかり効いていたので大変好印象だった。

どの自治体も、そういう部分にはきちんとお金を投じてほしいと思う。公務に奉仕するみなさんの働きやすさにも直結するだろう。

そんなことを考えた3分間の穏やかな船旅だった。

終わりに

関西発の日帰り弾丸で、福岡県北部の海沿いにある街を2つ訪れてみた。

津屋崎は江戸時代から明治前期にかけて製塩と海運で栄えた。若松は明治後期に鉄道と連携した石炭の積出港として発展した後、昭和前期には鉄鋼・化学工業でも栄えた。

どちらの街も同じ海域に開かれていて、扱っている物こそ違うが海運で発達した点は共通している。しかし、光が当たった時代が違ったために、街並みの趣は全く異なっている。

旅程を計画した時には企図していなかったが、結果、時代の流れを追いかけるような面白い旅になった。

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