実写映画『ルックバック』は青春映画として最良
実写映画『ルックバック』を観てきました。
私は原作もアニメも大好きという立場です。
その上で本作を観ると、描いているものの違いが浮き彫りになっていて面白いと思いました。
原作やアニメから感じていたものと、実写映画での描き方の違いを軸に『ルックバック』そのものに関する私の感想を記録します。
※この記事は作品の内容に触れています。原作や実写映画をご覧になっていない方はご注意ください。
原作およびアニメの二人と、実写映画の二人とでは描かれ方が違うと思った。原作とアニメの二人は作品を描く野心でつながる側面が前に出て、実写映画の二人は協力し合う青春物語としての側面が強く出ている。
二人の友情は「漫画を描くこと」を通じてだけ結ばれたものだと思っていた。原作やアニメでは、読切が入選して得た賞金をもとに街へ繰り出すか、漫画の資料撮影のための外出しかしていない。漫画で得たものによる遊びか、漫画のための遊びのみ。
しかし実写映画には自宅近辺の日常を楽しく過ごす場面が多い。藤野と京本が丘でたんぽぽの綿毛を飛ばす場面に驚いた。ここを観て、特に藤野は、「漫画しかないんだ」という感覚からは遠い位置で描かれていると思った。原作にはなかった、二人の静かな時間が実写映画にはある。
読切の受賞結果を二人がコンビニの立ち読みで確認する場面をサイレントで撮っているのも良かった。雪国のしんとした静けさ。窓越しにコンビニ内ではしゃぐ二人を捉えるカメラ。静と熱の対比が喜びの美しさを倍増させている。

藤野の「漫画なんて読むだけにしておいたほうがいい、描くもんじゃないよ」という台詞は重要だと思っているのだが、実写映画ではこれが前半と終盤とで二回出てくる。是枝監督も重要なものと感じたのだと思う。
原作とアニメでは「描くもんじゃないよ」で藤野の言葉は終わるが、実写映画ではその後に台詞が足されていた。一回目は「京本も他に違うことしたほうがいいよ」、二回目には「スポーツ選手にでもなろっかなぁ」。
漫画そのものから藤野を引き離していく台詞。実際、一回目の後にはリコーダーを吹いて作業から離れる。
夢の語り方も違う。実写映画の藤野は「自分の作品のアニメ化が夢だ」と言う。原作とアニメの藤野は「漫画を連載できたら、すっごい超作画でやりたい」と、漫画のことしか言わない。
ここで私は、実写映画では藤野をプライドのあるクリエイターとして描こうとはしていないと思った。実写映画の藤野が求めているのは漫画家としての野心よりも、規模感としての成功だ。作品の中身ではなく到達点を語っている。

「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」。作中で京本がそう尋ねる場面がある。原作でもアニメでも実写でも、藤野がこれに答える言葉はない。
言葉はないものの藤野が漫画を描く理由は、京本に読んでもらい作品の理解を得る瞬間のため、だと私は解釈していた。分かり合う喜びというより、自分の絵を認めてもらいたいというエゴに近い。
アニメだとわかりやすい。「なぜ描いているのか」の質問後には静止画が連続する。その流れの中で、京本が原稿を読んでいるときだけ、カメラがズームしたり、左右に動いたりする。これは藤野の緊張や喜びの躍動だ。
原作も同じ。「なんで描いてるの?」の後のコマは、すべて京本が藤野の漫画を読んでいる場面だけで占められている。読んで感動している笑顔、難しそうにしている顔、そして二人で読んで笑い転げている姿。
藤野が己の限界だと勘違いしてしまう壁を、京本だけが突き破ってくれる。京本から「ファンです」と言われた瞬間。あの高揚と自信は他の何にも代えられない。それを得るために藤野は描いて、京本に読ませる。教室の全員に認められることよりも、京本ひとりに認められることのほうが重い。

そんな解釈をしている私は、実写映画での藤野の描く理由を「この青春の日々のために描いている」と受け止めていた。十万円を手に街へ繰り出す場面のスローモーションは、「この時間が少しでも長くあれ」という思いが滲んでいた。
漫画執筆と同頻度で映し出される二人の輝く日常シーンの効果も相まって、作業中の二人から浮かび上がるのは野心的なそれよりも、夢中で、充実した毎日を送る楽しさ。それは葉露のような瑞々しさに溢れている。
ここにいる藤野にはクリエイター的なエゴを感じにくい。京本から「連載は手伝えない」と言われるシーンで藤野から滲み出るニュアンスは漫画家としてのスタートがつまずきかけるそれと同レベルの、離れ離れになる、友情ゆえの寂しさを感じる。

実写映画の京本は、そもそも壁としての存在ではない。藤野をたぎらせ、ぶつかっていく勇気を与えはしたが、それよりも藤野を解放した。私にはそう見えた。
それはあのスキップシーンにも表れている。爽やかな笑顔で駆ける横顔にフォーカスした映像。ここにみなぎるのは、高揚よりも解放のように思えた。無理に喜びを動きで演出せず、ただ駆ける少女の微笑みを捉える。素晴らしい判断だったと思う。
「藤野の絵ってフツーだな」と言われた日から抱えていた、京本に追いつかなければ描いてはいけないという藤野の思い込みからの解放。だから実写映画の藤野は二人の日々のために描ける。二人の喜びのために描ける。
クリエイターの物語としては原作とアニメに、友情の物語としては実写に軍配が上がる。ポスターコメントも「描いたから、出会えた」だ。この言葉に偽りはない。
「藤野の絵ってフツーだな」と言われ、世界からそっぽを向かれた気分になった藤野は、京本という最高のパートナーに出会う。是枝監督の世界にこの二人がいたら。そんな作品だった。実写映画『ルックバック』としては、最良の答えだったと思う。


