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気づけば、もう追いかける側になっていた。5歳の長女と自転車の練習。

5歳の長女は、もうすぐ小学生になる。

最近、自転車の練習ということでキックバイクに乗るようになった。

最初は、

「ちゃんと進めるかな」

「転ばないかな」

そんなことを考えながら見ていた。

でも、親の心配なんて関係ないように、長女は地面を蹴ってスーッと前へ進んでいく。

何度か乗るうちに、どんどん上手になっていった。

その姿を見ながら、

「ああ、また一つできることが増えたんだな」

と、少し感動した。

「まだ5歳」と「もう5歳」

毎日一緒にいると、子どもの成長って意外と気づきにくい。

朝起きて、ご飯を食べて、保育園へ行って。

いつもの日常を繰り返していると、昨日と今日で何かが大きく変わったようには感じない。

だから僕の中では、まだまだ「5歳の子ども」だ。

着替えを確認したり、忘れ物を気にしたり、道路では手をつないだり。

親が手を出す場面も多い。

でも、キックバイクに乗る長女を見ると、

「もう5歳なんだな」

とも思う。

同じ5歳なのに、「まだ」と「もう」が同時にある。

最近、その感覚が少しずつ増えてきた。

気づけば、両足を離していた

キックバイクなので、ペダルはない。

地面を足で蹴って進む。

最初は、ただ一生懸命に蹴っているだけだった。

でも、何度か乗っているうちに、勢いがついたところで両足を地面から離すようになった。

ほんの数秒。

それでも、本人は自分の身体でバランスを取っている。

僕が細かく教えたわけでもない。

何度かやって、少し失敗して、また乗って。

そうやって自分で感覚をつかんでいく。

子どもって、親が思っている以上に自分で覚えていくんだなと思った。

昨日できなかったことが、今日はできる。

今日ぎこちなかったことが、次の日には普通になる。

そのスピードに、少し驚かされる。

いつの間にか、待つ側が変わっていた

小さい頃は、僕たち親が長女を待つことの方が多かった。

歩くのを待つ。

靴を履くのを待つ。

階段を上るのを待つ。

「ゆっくりでいいよ」と言いながら、後ろについていた。

でも今は、キックバイクで先へ進む長女を見ながら、僕の方が追いかける。

まだすぐそこにいる。

呼べば止まるし、まだまだ親の手も必要だ。

それでも、

「親が連れていく子ども」から、

「自分で進んでいく子ども」へ。

少しずつ変わっているような気がした。

もうすぐ、小学生になる

来年には小学生になる。

ランドセルを背負って、自分の足で学校へ行く。

友達が増えて、親の知らない時間も増えていく。

これから先、「自分でできること」はもっと増えていくんだと思う。

それは嬉しい。

できることなら、自分で考えて、自分で進める子になってほしい。

でも同時に、少しだけ寂しい。

赤ちゃんの頃は、

「早く一人でできるようになってくれ」

と思っていたはずなのに。

いざできるようになると、

「そんなに早く大きくならなくてもいいのに」

なんて思ってしまう。

親って勝手だ。

今は、少し後ろから見ていたい

今回、長女はまだ普通の自転車に乗れるようになったわけではない。

ただ、キックバイクが少しずつ上手になっただけ。

でも僕にとっては、それだけで十分だった。

地面を蹴って、自分でバランスを取って、少しずつ前へ進んでいく。

その姿に、今までとは少し違う成長を感じた。

いつか本当の自転車にも乗れるようになるだろう。

「後ろ持っててね」

と言われて、

そのうち、

「もう離していいよ」

と言われる日も来るのかもしれない。

子育ても、きっと少し似ている。

最初は手を握る。

少しずつ手を離す。

それでも転びそうなときは、すぐ支えられる距離にいる。

5歳の長女が、キックバイクで前へ進んでいく。

嬉しい。

少し寂しい。

でも、やっぱり嬉しい。

もうすぐ小学生。

今はもう少しだけ、その後ろを追いかけながら、

「上手になったね」

と言える時間を楽しんでいたい。


子どもの成長を見ていて、

「嬉しいのに、少し寂しかった瞬間」ってありませんか?

自転車、ひとり歩き、初登園。

「うちはこんな瞬間だったよ」という出来事があれば、ぜひコメントで教えてください。

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