読書メモ:読者に憐れみを/カート・ヴォネガット
約600ページ。
行間が広めなので、実際はそこまで読むのに苦戦しない。
良書過ぎて付箋だらけになってしまった。
図書館本だったけど、購入して何度も読みたい。
中古価格もそこまで安くなっていない。
まさに良書である。
ちなみにカート・ヴォネガットの小説は、僕の脳みそではついていけなかったので、ほとんど読んでない。
でも、この書籍を読んでいると、どういう作品をかくのかちょっとわかる気がする。
以下抜粋。
お気に入りの箇所が多すぎるので、急いで打ち込む。
誤字脱字は気にしない方向で。
小説家の武器は粘り強さだ。我々は書くことによって愚鈍な人間でも少しは賢く見えることを発見した。ただし、そのためには、同じことを何度も何度も繰り返し書き、書くたびに少しずつ質を上げていかなくてはならない。[...]必要なのは時間だけだ。
1.全力で打ち込むこと、
2.運命や自分の守護要請を信じること
3.真実を描くこと
4.こつこつとやり続けること
5.完璧な仕上がりをあきらめること
小説には登場人物という覆面が欠かせない。つまり、虚構の人の視点を借りることになり、それによって感情を表現しやすくなる。「人は覆面を与えたらほんとうのことを話す」とオスカーワイルドも言っている。
自分たちの文化が合理的に作られたものではないことを理解すべきだ。ほかにもさまざまな文化があること、どの文化もきわめてうまく機能していること、すべての文化は事実より信念に基づいて機能していること、我々の社会にもたくさんの選択肢があることなどを理解するべきだ。
すべての著作物は教えている―なにかについてなんらかの情報を伝えている。出来の悪いものでも”教える”ことはある。だから、もし誰かが何かを書いていたら、その人物は教えていることになる。必然的にそうならざるを得ない。
人に教えると、自分も学ぶことになる。[...]同じことは、書くことを通して”教える”時にも起こる。
その情熱を絶対失わないように。自分の作品に情熱をもってない作家が多すぎる。
シーゲルマンは[...]身近愛ユーモア小説を書いていた。[...]「君が書いたものを読んで笑う以上のことをする機会を読者に提供するんだ[...]外見を描くだけでなく、感情を描いて、中身のある登場人物をつくる[...]」
偉大な文学作品はすべて[...]人間であるということがいかに愚かなことであるかについて書いている(誰かにそう言ってもらうと、心からほっとするだろう?)
我々の体の、思考をつかさどる部分がまるで志望の層で覆われたように見えなくなるのだ。その層を切り開いて、中に埋もれているものを見つけるのが我々の仕事だ。[...]とにかく根気強くやり続けていれば、素敵な卵のような形をしたアイデアが浮かんできて、やっと自分の思考への経路が開通したことがわかる。しかしそれはのろのろじれったいプロセスだ。
「優れた作品を見分けるセンスがあるといい作家になれません」とヴォネガットはあるスピーチで断言している。「どういうわけか優れた作家はたいてい落ちこぼれです。文学部から優れた作家が一人も出てません。学生たちは、「自分ではまだあまり優れた作品をかけない段階」でどんなものが優れた作品とみなされるかを学んでしまい、その結果、自分が書くものを好きになれない。だから、そもそも本格的に書き始める前から書くのをやめてしまうのです」
成功する芸術家はみな、たったひとりのファンを念頭に置いて創作をする。それが芸術作品の統一性を与える秘訣だ。それは、たったひとりの人間を念頭に置きさえすれば、だれにでもできる。
作家業で食べていきたのであれば、何をおいても読者を楽しませること、惹きつけること、笑わせることが重要です。
できるだけ早く、できるだけ多くの情報を読者に与えること。[...]読者はいったい何が、どこで、何故起こっているのか、完全に理解する必要がある。もしゴキブリが最期の数ページを食べてしまっても、自分で結末を考えられるくらいに。
すべての登場人物には、一杯の水でも構わないので、何かを欲しがらせること。登場人物の誰かが、何かを欲しがれば、それがどんなものでも、読者の好奇心をかきたてる。サスペンスも生じる。その人物は欲しがっているものを手に入れられるのかどうか、知りたくなるからだ。
我々が自然の中で知覚するすべての色は、その補色の存在を浮かび上がらせる。しかもこれらの補色は、互いを引き立て合う。画の中に陽光に照らされた色を描くためには、[...]もしそれが草の画であれば、緑だけでなく、その緑を反響させる補色の赤が必要である。
1)人が読みたがらない部分はすべてカットすること
2)読者に早くページをめくらせること
枯れ枝は、人が読みたがらない部分だ。
枯れ枝とは:
不必要な言葉、くだり、登場人物、場面、出来事
最も大事な言葉や行為について、テンポを妨げたり、目立たなくしてしまうもの。
自分の外見に誇りを持つことをやめたら、死ぬのは近い。
物書きをしていれば、凡庸な人間でも、ばかげた考えを粘り強くコツコツと修正して、少しは自分を知的な人間に変えることができる。また、狂人でも、普通よりまともな人間に見せることができる。
書こうという鉄の意志によって、人生が生きる価値のないものになっているなら、その意思を弱めることを考えたほうがいい。小説を書くこと、作家になること、に取りつかれた生活をしていると、そもそも自分が書き始めた理由を見失ってしまいかねない。[...]小休止をした後、戻ってくればいい。書くことに関して、基本に立ち返るのだ。それは、自分が言わなければいけないことを吐き出し、形にすることに、情熱と喜びを感じることだ。
貧しい人が今作家としてスタートする方法はない。
ヴォネガットは私たちに家のペンキ塗りをする仕事をすることにした友人作家の話をした。その友人は、一日中、機械的にペンキを塗りながら、頭では小説のことを考えていられると思ったらしい。しかし、実際にはどうなったか。ヴォネガットは発作のように吹き出しながら「彼は一日中、ただペンキを塗っていただけだった」といった。仕事は仕事。集中して取り組まねばならない。小説に費やせる時間が長くなっても、ずっと書いていられるわけでもない。時間の使い方とその質が重要だ。
20人の学生がいたら、そのうちの6人は「素晴らしい才能があり」、二人は実際に本を出版するだろうと言っていた。そして、出版にこぎつける二人と、同じくらい才能がある学生との違いは何かと問われこう答えている。[...]頭の中に文学以外の何かを持っていることだ。それに、売り込みがうまいということもあるだろう。誰かに見てもらうまでじっと待っているようなことをしないという意味だ。何とかして読んでもらおうと頑張る。
一般的に愛しあうべきだと思われている人々が喧嘩したとき、こんな風に言い合ったらいい。
「お願いだから―愛を少し減らして、ごく普通の親切を少し増やして」
パパもお前も大した違いはない。自分の視点からみたら大きな違いがあるように見えるだろうけど、もっと大きな観点から見たら、パパはお前より0.5秒先にいるにすぎないだろう。[...]パパもお前も同じことを、同じ時に、初めて経験しているんだ。例えば、うちの犬が死んだのは、おまえにとってもパパにとっても始めての経験だ。いろいろなことに戸惑うのは、お前もパパも同じなんだよ。
小説を書くために、死や破壊や苦悩を経験する必要はない。ただ、なにかに関心を持つ必要があるだけだ。あなたの関心のあることは、もしかしたら楽しいことかもしれない。
カートはその科目で、チェーホフの短編小説を教えていた。私はその小説ねらいがわからなかった。なぜなら何も起こらない話だからだ。ある思春期の少女がいろんな少年に恋をする。[...]葛藤もないし、劇的な転機や変化もない。カートはこう指摘した。その少女は、人生の盛りにさしかかった純粋な喜び、生気に満ちている喜び、ロマンスが期待できる喜びを、表現する言葉を持ち合わせていない。口では言い表せないその喜びが、[...]笑いとして溢れ出す。[...]その少女が生き生きと喜びにあふれている様子を、カートはとても面白がっていて[...]なんでもない瞬間でも、捨てたものじゃないと教えられた。
もし貴方が自分のテーマについて切迫した思いを抱いている作家なら、この手紙から突破のための6つ目のアドバイスを拝借しよう「恐れるな」だ。
どんなアーティストも、あらゆる点で常に、目標に達しないことを我慢できるようになる必要がある。しかし、それが特に必要なのは、活動を初めて間もない頃だろう。詩人のウィリアムスタッフォードは学生たちによくこう言っていた。君たちは目標の水準を下げなければいけない、例えば、文学史上最高級の有名作家たちと自分を比べてはいけない。
もう一つ、良い作家になるのを邪魔するのは第三のプレイヤーだ。[...]画家たちが子供の頃は、関係者は彼らと宇宙だけだ。しかし、そこに批評家等第三のプレイヤーが混じってくる、子どもも第三のプレイヤーによって成長を阻害されることがある。[...]そして、最も陰険な第三のプレイヤーは自分の頭の中にもいる。それがどこからきたのか自分でもわからないことがある。用心しなければいけない。
