オランダの「含み益課税」が示す警告―日本の税制はどこへ向かうのか―個人投資家目線で読み解く、富裕層課税の世界的潮流
はじめに
2028年、オランダで前例のない課税制度が始まる。株式やETFを売っていなくても、年末時点の評価益に36%の税がかかる「含み益課税」だ。
「それはヨーロッパの話」と思うかもしれない。しかし、この制度が生まれた経緯を丁寧に追うと、日本が今まさに歩んでいる道と、驚くほど重なる部分がある。そして、その先に何が待ち受けているかも。
個人投資家として、この問題から目を逸らすわけにはいかない。
第一章 オランダ:「みなし課税」の失敗から含み益課税へ
2001年――便宜上の制度が生んだ歪み
オランダは2001年に「Box3」と呼ばれる資産課税制度を導入した。仕組みはシンプルで、「誰でも資産の4%の利回りを得られる」と仮定し、そのみなし利回りに税をかける。
実際の運用成績を追跡するのは行政コストが高すぎる、という理由で選ばれた"便宜上の設計"だった。
しかし2008年のリーマンショック以降、預金金利はゼロどころかマイナスに沈んだ。それでもオランダ議会はみなし利回りの4%を修正しなかった。結果、実際の収益の250%もの税を徴収されるケースが続出した。
2021年12月24日――最高裁の「クリスマス判決」
「Kerstarrest(クリスマス判決)」と呼ばれるこの判決で、オランダ最高裁は固定みなし利回り課税を違憲と判断した。欧州人権条約が保護する財産権の侵害にあたる、というのがその理由だ。
裁判所が示した方向は明確だった。「実際に得た収益に課税せよ」。
なぜ「売却時課税」ではなく「含み益課税」を選んだのか
ここが最も重要なポイントだ。「実際の収益に課税する」方法は2つある。
キャピタルゲイン税(売却時課税):売った時点で課税。
→日本・米国・英国が採用
キャピタル・アクルーアル税(含み益課税):毎年の評価増に課税。
→今回オランダが選択
オランダが含み益課税を選んだ理由は3つある。
① 経済学上の優位性:売却を先延ばしして課税を回避する「ロックイン効果」を防げる。
② 行政実装の制約:2028年という期限までに間に合う設計が含み益課税しかなかった。1月1日と12月31日の評価額の差を計算するだけでよく、金融機関からのデータ自動報告と組み合わせれば比較的シンプルに実装できる。
③ 政治的な「追い詰められた選択」:法案に賛成した議員自身が「2028年中に売却時課税への移行案を出すよう求める動議」を同時に可決した。これは確信から生まれた制度ではなく、憲法上の必要性から絞り出された暫定策だ。
現在地:上院で審議中、施行は流動的
2026年2月、下院は93対75で可決した。しかし「損失繰越規定がない」「流動性を無視した課税だ」という批判が噴出し、財務大臣自身が修正を表明。上院の採決は修正案の準備が整うまで先送りされている。2028年施行は確実ではない。
ただし、現行制度の混乱で税収が毎年23〜24億ユーロ失われており、「何もしない」という選択肢は政府にない。何らかの形で実施される可能性は高い。
第二章 日本との類似性――「一億円の壁」という同じ歪み
構造は同じ
日本でも根本的な矛盾は同じだ。給与所得への課税は最大55%まで累進されるのに、株式売却益などの金融所得は一律20%に固定されている。そのため金融所得の割合が高い超富裕層ほど実質的な税負担率が下がる「逆累進」が生じている。
これが「一億円の壁」だ。オランダの「みなし利回り課税が現実と乖離する」という問題と、根本の論理は同じである。
日本が選んだ道:漸進的な締め付け
オランダには最高裁という「外部の強制力」があった。日本にはそれがない。だから日本は時間をかけた段階的強化という戦略を取っている。
2025年〜現行:年間所得から3億3000万円を控除した残額に22.5%を追加課税するミニマムタックスを導入。対象は年収約30億円前後の超富裕層に限定。
2027年〜予定:2026年度税制改正大綱に、控除額を1億6500万円に半減し税率を30%に引き上げる案が盛り込まれた。対象の目安が「年収約6億円」まで下がる。
日本の「先手」:出口税という蓋
オランダが苦しんでいる「富裕層の国外逃避」問題に対し、日本はすでに2015年に手を打っている。1億円以上の金融資産を持って出国する場合、含み益に所得税を課す「国外転出時課税(出国税)」だ。さらにOECDの自動情報交換制度により、各国の税務当局が口座情報を国際的に共有している。
「出口に蓋をしてから、中の課税を強化する」という順序で制度を積み上げているのだ。EU法の制約でこの出口対策が作りにくいオランダとは、対照的な状況にある。
第三章 これから何が起きるか――個人投資家が見ておくべき4つのリスク
リスク① 金融所得課税の本則引き上げ
現在のミニマムタックスは超富裕層限定だが、本則税率20%の引き上げ議論は継続している。数年内に税率が引き上げられる可能性は否定できない。その場合、影響を受ける層は一般的な個人投資家レベルまで広がる可能性がある。
リスク② 優秀な起業家の静かな流出
日本でスタートアップを育てて売却すると、かなりの金額が税に消える。シンガポールではキャピタルゲインがゼロだ。OECDの「人材魅力度2023」ランキングで、日本は外国人起業家・スタートアップ創業者向けの魅力度が国際比較で低位にある。円安・低金利という「引力」があっても、税制という「斥力」がそれを相殺している。
リスク③ 海外優秀人材の流入阻害
政府は「スタートアップ育成5か年計画」でユニコーン100社創出を掲げ、外国人起業家向けスタートアップビザを整備している。しかし来た後の出口課税が高ければ、合理的な起業家は最初から日本を選ばない。誘致策と課税強化の同時進行という矛盾がここにある。
リスク④ 「静かな空洞化」
オランダのような急激な流出ショックは日本では起きにくい。言語・文化・家族基盤の障壁が大きいからだ。しかし、それはより深刻な問題を示唆する。目に見えにくい形で優秀な人材と資本が少しずつ流れ出ていく、英国が何十年もかけて経験したような「静かな空洞化」が日本の現実的なリスクだ。
おわりに:個人投資家としての現在のスタンス
オランダの含み益課税は「違憲判決に追い詰められた政府が、やむを得ず選んだ暫定策」として生まれた。日本はその轍を踏まない位置にいる。しかしそれは「日本は安泰」を意味しない。
むしろ日本は、外からの強制なしに、静かに・着実に課税の網を広げていける環境にある。その変化は劇的ではないぶん、気づいたときには手遅れになっているリスクがある。
私が今注目しているのは以下の点だ。
金融所得課税の本則税率の動向(20%が維持されるかどうか)
出国税の対象拡大・要件厳格化の議論
スタートアップエコシステムの実態(優秀な起業家が日本を選ぶかどうか)
課税は投資の大敵ではあるが、制度を正確に理解した上で資産配置を考えることが、個人投資家にできる最善の対策だ。
オランダの実験は、まだ終わっていない。その結末を、他人事として見ているわけにはいかない。
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