2度目の乳がん | わたしをさがすことをはじめる
まさかの2度目の乳がんの告知
ほんとうに、まさかのまさかだった。
2度目の乳がん。
絶対に避けたいことが起きてしまった。
今年6月、1度目の乳がんから5年目を迎えた。
「おめでとうございます。これで完治ですね。」
そんなドクターの言葉を聞くために、クリニックへ向かった。
ところが、告げられたのは、「うーん、左(一度目の乳房)は大丈夫なのだけど、右がちょっと石灰化してるんだよねー。
一応、病院のほうでもう一度、検査をしましょう」という言葉だった。
まさかだった。
すでに蒸し暑かった6月の中旬。
あの日から私は元気がなくなり、2度目の乳がんと言われるまで怯えていた。
息苦しくなったり、食欲がなくなったり。
主治医とは、すでに5年前からの関係なので、石灰化を見つけたときの表情から、なんとなく今回も悪性なんだろうなあ、とは思ったりした。
でも、またがんになるなんて想像もしたくなかったから、「きっと大丈夫。きっと大丈夫」と、自分に言い聞かせてみたりもしていた。
7月に生検をして、結果は2週間後の8月上旬。
良性であることを信じて、ライブの日程は予定通り進めていたが、結果は「残念ながら悪性でした」だった。
手術は部分切除を選んだ。
主治医曰く、全摘をしなくても、部分切除と放射線のセットであれば、再発のリスクは数%しか変わらないと。
であれば、迷わず部分切除にした。
手術を終え、昨日退院した。
わずか3泊4日の入院だったのは、一度目のときと同じだ。
心に溜まっていることばをさがしたい
自宅に戻ってきたが、幸い、痛みはさほど強くない。
身体は少しずつ元に戻っていくだろう。
でも、心の中には、ずっと何かが溜まっている。
どろどろとしたようなもの。
膿のようなもの。
感情の糸が、無数にこんがらがっている感じ。
病院のベッドでずっと考えていた。
わたしは、わたしの中にある感覚を、ちゃんとつかまえていなかったのか。
自分らしく生きているつもりだったけれど、どこか無理をしていたのだろうか。
どこか間違って生きていたのか。
もんもんとした渦。言いようのない重たいものがここに。
がんになったということが、心の傷になっていた。
治療は終えても、一生消えないもののような。でも、それは単に悪い傷というのではなくて、なにかのメッセージのような気もするのだ。
だって2度目だから。
再発とも転移とも違う、新しいがん細胞がわたしの体の中で生まれた。
そのことをちゃんとまっすぐに受け止めたい。
乳がんはタイプやステージが様々なため、経験者でないと、そのことはなかなか理解できない。
説明すると長くなるし、病気でない人に事細かに説明するのもちょっと違う気がする。
夫には理解してほしいと思う。
でも、やっぱり家族といえど、どこまでいっても多少は他人事みたいなところもあるのかもしれない。
傷の痛みは本人にしかわからないし、この先の治療への不安感も、きっと100%共有はできない。
(とはいえ、我が夫はスペシャルに素晴らしいので、特に問題なところはない)
それでも、自分の中にしかないものは、やっぱり自分の中に残る。
私の中に溜まってしまった、言葉にしていないことば。それをどこかに記しておかないと、先には進めないような気がする。
このもやもや、どこかで記憶があるなあと思った。
あ、まだ歌を始めていなかったころに抱えていたあれに似ているのかもしれない。
書くことを、もう少しやってみたい
今年制作した作品の中に、自分についての短い文章を載せた。
SNS以外に、ことばを綴ることは初めてだった。
それなりに苦労したのだけど、なんだかそれが楽しかった。
その感触が、ずっと残っていた。
話すことは得意だけど、書き言葉には苦手意識があり、文章を書くことはずっと避けてきたことだ。
でも、文を書くというのは、自分の中にあるものを、一度立ち止まって眺めるじかんがある。文章にしてみると「ああ、私はこんなことを考えていたんだ」と、自分でも知らなかった自分に気づくことがあった。
もしかしたら私は、自分のことを誰かに伝えることをやってみたかったことなのかもしれない。
病気になり、思いがけず時間が止まった。止まりたくはなかったけれど、そんな機会をいただいてしまったのだから、これまで当たり前のようにあったものから、一度離れてみることもいいかもしれない。
正直、立ち止まるなんてとても恐ろしいことだ。
ずっと避けてきたことだった。
ライブをしない私は私じゃない。
人前に出てアドレナリンを出すことで、生きている感覚を得てきたのだから。
ライブの予定も制作の予定も全部ゼロにするなんて一度もなかった。
でも、治療が終わったから、「はい、これで元通り!」というわけにはいかないなって思ってしまった。きっと、今回はそれはやっちゃだめな気がする。
私はシンガーだから私なのか
音楽をしなくなった私は何者なのか
何かを生産していない自分にも価値があるのか
頑張っていない自分は、自分らしいのか
ほんとうに私がしたいことはなんなのか
これらの答えがみつかるのだろうか。
いや、たぶんみつからないだろう。
答えを探すのではなくて、私はこれから「わたし」を探すのだから。
私はこの5年間、心地よさよりも、病気にならないように生きてきた
検診から手術までの3ヶ月あまり。
長かった。とても長かった。
そして今、手術を終えて、ようやくゼロ地点に立っている。
病理検査は1ヶ月後。そこから先の治療が決まる。
今のこの時間は、私にとって空白のスペース。スケジュールはまっしろ。こんなことって人生でなかった。
神様から与えていただいたゼロのじかん。なかなかの贅沢なことだ。無駄にしてはならない。
病気になったことを、何かの「きっかけ」にしていいのかは、まだわからない。でも、2度目の乳がんを経験したことで、立ち止まることになった。
そして、立ち止まったからこそ、今まで見ていなかった自分のことを、少し見てみようと思うようになった。
こんな、ささやかなミュージシャンを応援してくれていた方々へのお礼も兼ねて、少し先の未来に、何か「ことば」を届けることができたらいいな。
歌ではないものをみなさんに届けるなんて、想像もしていなかった。
わたしには歌しかないって思っていた。
でも、今、歌をやめてみることで、他の表現方法といえば、言葉を紡ぐことしかイメージが沸かない。
自分なりに気持ちのいい生活を送っていたつもりだった。
なのに、2回もがんが生まれるなんて。。
告知をされてからは、人知れず一人で泣いた。
ああまたか、と自分を悔いた。
今度こそ、本気で、自分にとっての心地よさを見つけたい。
だって、私はこの5年間、心地よさよりも、病気にならないように生きてきたのだから。再発もこわかったし、他の病気になることもこわかった。怖くて怖くて仕方なかった。
なのに、あっさりと2度目の乳がん。
これはね。もう、何かのお告げ。
だから、私はわたしを知り、わたしのことばをつかまえる。
そのために、本を読む。考える。観察する。そして、書く。
今の私には、ことばをつくることが必要な気がしている。
だから、ここに書いていこうと思う。
わたしという人間を観察し、わたしの内側にある心の言葉を探していきたい。


