noteを書いている人たちの意見交換できる同人会を開催してみてはどうだろうか?
noteやブログを書いた、公表した。
公表した文章を読んだ人は、どう思ったのだろうか、と常に考えている、考えない?
面白かったのだろうか、ためになったのだろうか、はたまたツマラナイと思われたのだろうか。
またnoteやブログであれば読んでもらえた回数はわかる、しかし、いいねやスキを押してもらえない理由はわからない、だから考えるしかない。
やはり、ツマラナカッタのか、文章が長すぎて、最後まで読んでもらえなかったのだろうか、と中学性の若者のように悶々としている。
ツイッターで書いたnoteやブログを紹介している。ありがたいことに、読んだ文章の感想を教えてもらえる。また、追記したほうがよい情報や、分かりにくい文章を教えてもらえる。
その感想と意見は、砂漠の水よりも貴重なものだと私は思っている。感想と意見をもらえた文章は、私の手だけでなく、他人の手によって磨かれ輝きピカリとよきものになる。
また、私はWebライターの仕事をしている。このキーワード、この出来事について何文字ほど書いてちょうだい、とお仕事をもらう。書きあげた文章を、そのまま受けとってもらえることはまずない。
てにをはがおかしい、脱字がおおい、主語と述語は近づけるなどなど、文章を提出するたびに読みやすくなる文章のルールと技術を教えてもらえる。
編集者に文章を読んでもらい、文章の技術までも教えてもらえる、さらには、お給金までいただけるという、ありがたいことでございます。
さて、スキをたくさん集めているnoteや、ツイッターのリプがめちゃくちゃついているブログなどを読んだことはあるだろうか。
私はよく読む。スキを集めているnoteやツイッターのリプがおおいブログを読み、なぜスキを集めているのか、なぜリプがおおいのかを分析するために読んでいる。
その答えはでないんですけどね!!
人気のある他人の記事を読んだ読者さまは、どう思ったのか、どう考えたのかをnoteのコメントやツイッターのリプで確認する。
わらえました
おもしろかった
ためになりました
( ^ω^)・・・
ツイッターなので文字数の関係もあるのかもしれない。5W1Hのひとつぐらいつけたした意見があると嬉しいのだが滅多にみない。
noteを書いた、ブログを書いた、でも、反応がなくてサミシイ。私の文章はどう思われいるのだろうか。そのうちスキ数やPV数のすくなさにゼツボウし、文章を書かなくなり、筆を折った人もいるのではないだろうか。
文章は他人に読んでもらいアドバイスをもらうことでよい文章になる、と私は思っている。
noteやブログを書けば、すくなくとも読んでもらえる、がアドバイスはもらえない。自分ひとりの力で文章力をあげるには限界があると思う(いちぶの天才をのぞく)。
どうすれば文章のアドバイスをもらえるのかなと考えていた。開高健の同人時代のエッセイ、筒井康隆さんの『 大いなる助走 』を読んでいると、同人誌を発行し、文章についての意見を交換している場面があった。書いた文章を見せあい、読み、批評する意見交換できる場があればいいのではないか。
どう思います?
noteやブログを書く人たちでグループを作る。締め切り日をもうけ、その日までに1記事書き、グループに提出する。そして、提出された記事をすべて読み感想を書く。
つぎに記事の感想や意見を伝える会議のような場をもうける。
noteではコンテストも開催されている。そのコンテストのお題で文章を書き、みなでコンテストに参加するのもたのしいだろう。また、みなで意見を交換し、磨かれた文章は、noteのコンテストを受賞するかもしない。そこから、ドロドロの嫉妬があふれ場が崩壊する恐れもあるかもしれないが。
いまならChatWorkやツイッターでグループを容易に作れる。オンライン会議で意見交換もできるか。顔を見せたくない人は、見せなくてもかまわないだろう。
締め切り日をもうけることで、文章を書かなければと思わせるメリットがある。締め切り日があるので、屁のツッパリはいらない火事場のクソ力で記事を書けるかもしれない。
そして、意見交換をするために、人の文章をしっかりと読みこむ必要がでてくる。この文章いいな、とメモ帳にこっそり書きとめたり、このセリフまわしがグッドだと付箋をはったり、ここは分かりにくいな、私ならどう書くだろうかと他人の文章を熟読するだろう。漠然と目的もなく文章を読むよりは、本気(マジ)に文章とむきあえる。
提出された順番に意見交換をすればよいだろう。
さて、むずかしい問題がモッコリと現れる。他人の記事をホメることはできるだろう。しかし、他人の記事をホメるだけで文章力はあがるだろうか。
駄サイクルの輪の中で需要と供給が成立し、自称ア~チストが何人か集まって、見る→ホメる→作る→ホメられる→見る→ホメる(以下略)を繰り返している。
ぐるぐる廻り続けるだけで一歩も前進しない駄目なサイクル
ホメられ感想をもらえる。それは心地よいことだと思う。ただ、ホメるだけでは、ハムスターのごとく駄サイクルを輪廻するだけにはなってしまわないだろうか。
かといって、他人の文章をケチョンケチョンにけなしていては、開高健の同人誌のように、けなされるのがイヤになり誰も文章を書いてこなくなった、という不毛な破滅エンドをむかえる可能性がある。
文章を書きつづける、文章力をあげるための場なのに、文章を書かんようになっては、アカンがな。
ではどうすればよいのか、文章を添削してもらったときに、この編集者デキルと思わされた技術をつかってみてはどうだろうか。
まずは、ホメる。そして、つけ足し的に修正箇所をポロッと伝える。または、最初に修正箇所を伝える。そして、次にホメてホメちぎる、ハトやコイにパンをあげるぐらいホメちぎる。
ホメかたも5W1Hをつかい、具体的にホメるように心がける。オブラートに包んで文章の問題を指摘するように心がける。この作業をくり返すことで語彙がふえ、文章力もあがると考えられる。
さしすせそ、さすがですね、しらなかったです、すきです、など使いたおされた陳腐な言葉をつかわずにホメるように心がけれることで語彙がふえるのではないだろうか。
どう思います?
だいたい、これで人間は単純なものでニッコリ、すんなりと感想と意見をうけいれるだろう。私もうけいれてきた。人をホメて、オトしたりしているうちに、語彙も増えるだろう。
他人に読まれ、感想や意見をもらえた、あなたの文章は、宝石の原石を研磨するが如く鋭敏になりキラリと光る文章に。
つぎに文章の意見交換している場で問題になるのが、人が話しているときにさえぎる行為ね。朝まで◯論会でよく見るよね。非常に見苦しいよね、アレ。
古代ローマの夫婦喧嘩を仲裁する神様のまえでは、どちらか一方の話が終わってからしか会話できなかったんだってさ。いまに生きる日本人は、古代ローマ人よりバカなんじゃないと思うよ。
なので、人が話しているときは最後まで聴く。そして、聴き終わってから意見をだすとよいだろう。
他人の書いた文章の意見や感想、視点、アイディアを聴いていると、なるほど、文章をそんな風に読むのか、斬新な眼のつけどころだ、そんなアイディアがあったのかと気づかされることもあるだろう。文章を読む、書く、アイディアが増えシャープに多次元的に文章を書ける・読めるようになる可能性がある。
締め切りがあるので文章を書くキッカケになる。
他人の文章を精読する。
ホメ言葉がふえ語彙がふえる。
他人の文章の読み方・考え方を知れる。
書いた文章がよくなる。
メリットだらけの文章の意見交換をできる同人会のよう場。
しかし、私はひとづきあいが苦手だし、運営をするなんてメンドクサイ。
アイディアとルールは考えた。
アイディアだけ、noteの片隅にそっと置いておきますね。
アイディアをおもいつくだけなら、一般人でも怠惰な人でもできる。
そこから、アイディアを実行しない、するか、それが人間のわかれめ関ケ原の合戦。
成功者や億万長者、すばらしい文章をかけるようになるひとは、行動する人だとおもう。
椿さんは、行動する人。同人会をひらこうと行動をおこされました。同人会のアイディア、いいなと思ったかたは、椿さんの同人会にレッツジョイン。
山根あきら/妄想哲学者さんの個人企画に参加。
noteを投稿する人たちの悩みを解決する場があればなと思い書きました。
ですが、私はめんどくさがりです。誰かがそのような場を運営することを祈りつつnoteを書きました。
