接触 (第二部) 7-2~最終章
最初の接触
最初の接触
「じゃあ、最初の接触って何なんだ?」
俺が聞く。
叔父はしばらく黙った。
そして俺を見る。
「人類が宇宙人と会った時じゃない」
「じゃあ?」
「人類が、自分以外の意識に気づいた時だ」
「動物?」
「もっと前」
「じゃあ何?」
叔父は地面を指差す。
「地球」
俺は息を呑んだ。
「最初の人類は、地球が生きていると知っていた」
「本当に?」
「科学的な知識じゃない」
「じゃあ?」
「感じていた」
叔父が言う。
「雨が降れば、地球が泣いていると思った」
「風が吹けば?」
「地球が話していると思った」
「地震は?」
叔父は、少し目を伏せた。
「地球が苦しんでいる」
妻が小さく言った。
「じゃあ、私たちは」
叔父が妻を見る。
「細胞みたいなものだ」
「人間が?」
「人間だけじゃない」
「動物も?」
「植物も」
「宇宙人も?」
「そう」
俺は思わず笑った。
「とんでもない話だな」
「だから今まで誰にも話さなかった」
「俺には?」
「お前は月刊ムーを読むから」
「そこ?」
叔父が笑う。
妻も笑った。
俺も笑った。
しばらく三人で笑った。
その時。
空間の奥から拍手が聞こえた。
パン。
パン。
パン。
俺たちは振り返った。
そこに一人の男が立っていた。
黒い服。
黒い髪。
白目のない目。
以前、家に現れたレティキュリアン。
「久しぶりだな」
俺が言う。
男は、少し頭を下げた。
「久しぶりです」
「今度は何だ?」
「残念なお知らせです」
俺は嫌な予感がした。
「またか」
「はい」
男は笑わない。
「レテを変えたことで均衡が崩れました」
「どういうこと?」
「憎しみが行き場を失った」
俺は意味が分からない。
「レテが食べていたんだろ?」
「はい」
「じゃあ良かったんじゃないか?」
「それは違います」
男が言った。
「レテは憎しみを食べていたのではない」
「え?」
「封じ込めていたのです」
空気が変わった。
叔父が立ち上がる。
「おい」
「申し訳ありません、X」
「お前たち……」
「我々にも分からなかった」
俺は男を見る。
「憎しみはどこへ行った?」
男はゆっくり答えた。
「今、世界中の人間の中に戻っています」
その瞬間。
遠くから爆発音が聞こえた。
ここは山の中だ。
なのに。
さらに。
誰かの悲鳴。
いや。
一人ではない。
無数の悲鳴が頭の中に流れ込んでくる。
戦争。
暴動。
殺人。
怒り。
恐怖。
憎しみ。
俺は頭を押さえた。
「何だよ、これ……」
叔父が叫ぶ。
「栄一郎! 聞くな!」
だが止められない。
世界中の声が俺の中へ入ってくる。
そして、その中に。
一つだけ、聞き覚えのある声があった。
『栄一郎』
俺は顔を上げる。
「叔父さん?」
違う。
叔父は目の前にいる。
声はもっと近い。
俺の中から。
『栄一郎』
「誰だ?」
声が答える。
『最初からお前を見ていた者だ』
「誰?」
そして、地面が割れた。
その奥から巨大な光が現れた。
叔父が、俺を見て叫ぶ。
「栄一郎!」
「何だ!」
叔父の顔が恐怖に変わっていた。
俺は、初めて見た。
宇宙船でも。
レテでも。
地球の苦しみでも。
決して怯えなかった叔父が恐怖している。
「そいつの声を聞くな!」
「誰なんだよ!」
叔父が叫んだ。
「地球じゃない!」
光の中から声がした。
『違う』
『私は地球ではない』
俺は震えながら聞いた。
「じゃあ、お前は誰だ?」
少しの沈黙。
そして、声が答えた。
『私は』
『地球が生まれる前に』
『地球を夢見た者だ』
夢を見る者
誰も動かなかった。
俺。
妻。
叔父。
レティキュリアン。
全員が光を見ていた。
『地球が生まれる前に、地球を夢見た者』
俺には意味が分からない。
「夢見た?」
『そうだ』
「誰が?」
『私が』
「お前は何なんだ?」
『私は、最初の意識』
叔父が小さく呟いた。
「まさか……」
俺は叔父を見る。
「知ってるのか?」
叔父は答えない。
光の中の声が続ける。
『お前たちは、私を神と呼んだこともある』
『悪魔と呼んだこともある』
『宇宙と呼んだこともある』
『無と呼んだこともある』
俺は笑いそうになった。
「全部じゃないか」
『そうだ』
「結局、何なんだ?」
『名前は必要ない』
叔父が前へ出た。
「お前は……」
『X』
叔父が止まる。
『お前は私に最も近づいた』
「俺が?」
『だから、外へ出た』
俺は、その言葉に引っかかった。
「叔父さんが……外へ?」
『そう』
『エレアは、Xが初めて作った「外」だ』
空間が静かになった。
俺は叔父を見る。
「何?」
叔父は目を閉じた。
「栄一郎」
「エレアを作ったのは……」
「俺だ」
俺は、何も言えなかった。
叔父が、ゆっくり話し始める。
「エレアは星じゃない」
「じゃあ?」
「俺が作ったもう一つの可能性だ」
「可能性?」
「人間が地球の外へ出たらどうなるか」
俺は息を呑む。
「じゃあエレア人は?」
「人間だ」
「え?」
「地球人とは違う歴史を選んだ人間」
妻が、俺の腕を掴む。
叔父が言う。
「そしてレティキュリアンも」
黒い目の男が静かに頷いた。
「我々も同じです」
「じゃあ、お前ら全員……」
「同じ根から生まれた」
叔父が言った。
「地球から」
光の中の存在が笑ったような気がした。
『そして今』
『お前たちは再び、一つになる時を迎えた』
俺は光を見る。
「それで何をしろって言うんだ」
『選べ』
「またかよ」
俺は思わず言った。
「もう何回目だよ」
叔父が少し笑った。
妻も小さく笑う。
光が言う。
『今度が最後だ』
俺は聞いた。
「何を選ぶ?」
光が答える。
『地球を続けるか』
『終わらせるか』
その瞬間、世界中の憎しみが再び俺の中へ流れ込んできた。
そして、同時に。
世界中の愛も、
流れ込んできた。
二つは、互いに消えない。
どちらか一方だけにはならない。
俺は初めて分かった。
憎しみを消すことが答えじゃない。
愛だけにすることもできない。
人間は、矛盾したまま生きる。
地球もそうだ。
生命はそうやって続いてきた。
俺は、光を見て言った。
「地球を続ける」
『なぜ?』
「知らない」
『……』
「理由なんかない」
俺は、妻を見る。
叔父を見る。
エイジはいない。
オウミもいない。
でも、どこかにいる。
父も。
母も。
子供たちも。
世界中の知らない人たちも。
「まだ餃子食いたいから」
一瞬、誰も動かなかった。
叔父が吹き出した。
「お前なあ」
妻が、笑いながら俺を叩く。
「こんな時に!」
俺も笑った。
「だって本当だろ」
叔父は笑いながら泣いていた。
そして、光の中の存在が初めて沈黙した。
長い沈黙。
やがて。
『そうか』
その声にはどこか優しさがあった。
『それが答えか』
「知らん」
『……』
「でも」
俺は空間を見渡した。
「続けるよ」
『……』
「全部面倒だけどな」
そして、光が消えた。
一瞬だった。
最初からそこには何もなかったかのように。
地面の割れ目も閉じた。
岩壁の奥にただの静寂が戻った。
俺は立ったまま呟いた。
「終わった?」
叔父が言う。
「さあな」
「またそれか」
「俺もよく分からん」
妻が言った。
「帰ろうよ」
「そうだな」
俺は出口へ歩き出した。
その後ろで叔父が言った。
「栄一郎」
振り返る。
「何?」
「俺は、もう行く」
俺はすぐには何も言えなかった。
「今度こそ?」
「ああ」
「また消えるのか」
「今度は逃げるんじゃない」
叔父は笑った。
「帰るんだ」
「どこへ?」
叔父が、俺の胸を指差す。
「そこへ」
そして。
叔父の姿は少しずつ光になった。
俺は、何も言わなかった。
今度は引き止めなかった。
叔父が最後に笑う。
「親父と兄貴によろしく」
「父さん?」
「ああ」
「自分で言えよ」
「無理」
「何で?」
「恥ずかしい」
俺は笑った。
「何十年ぶりだよ」
「だからだ」
叔父の光が、小さくなる。
「栄一郎」
「何?」
「生きろよ」
「分かってる」
「あと」
「何?」
「月刊ムーは、読み続けろ」
「そこかよ」
叔父が笑う。
俺も笑う。
そして。
叔父はいなくなった。
外へ出ると、山の空気が冷たかった。
いつもの空。
いつもの山。
何も変わっていない。
妻が言う。
「お腹空いた」
「何食べる?」
「何でもいい」
「それが一番困る」
妻が笑う。
「餃子?」
俺も笑った。
「昨日も食べた」
「じゃあカレー?」
「一昨日食べた」
「じゃあ……」
俺たちは笑いながら車へ向かった。
車に乗る前、俺は一度だけ振り返った。
岩壁はただの岩だった。
もう扉はない。
俺は空を見る。
星が一つ、昼間なのに見えたような気がした。
「叔父さん」
返事はない。
でも、俺はもう探さなかった。
地球は続く。
宇宙も続く。
人間も続く。
憎しみも。
愛も。
全部抱えたまま。
俺たちはまた明日を迎える。
それでいい。
いや。
きっと、それがいい。
俺は車のエンジンをかけた。
ラジオから昔のロックが流れてくる。
妻が言った。
「これ、好きだったよね」
「ああ」
「音大きくして」
「はいはい」
音量を上げる。
ギターが鳴る。
ドラムが鳴る。
俺はハンドルを握った。
そして、心の中で思った。
もしまた誰かが接触してきても。
今度は最初にこう言ってやる。
『悪いけど、今から飯なんだ』
そう思った瞬間。
助手席の妻が突然笑い出した。
「何?」
「今」
「うん」
「誰かが言った」
俺は、嫌な予感がした。
「何て?」
妻は、笑いながら言った。
「『それでいい』って」
俺は、しばらく黙った。
そして、笑った。
「……ああ」
車は山を下っていく。
俺たちは家へ帰る。
ただそれだけだ。
でも。
その「ただそれだけ」が、宇宙のどんな秘密よりも俺には大切なことだった。
――接触は終わった。
そして、生活が始まった。
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