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わたしを支えてくれた言葉

支えてくれた言葉を探して

これまでの人生を振り返ってみても、
「この言葉があったから今の自分がある」
と胸を張って言えるような一言は、すぐには思い浮かばなかった。

世の中には、心に残る名言が数え切れないほどある。
「努力は裏切らない」「継続は力なり」
といった言葉に励まされた人もいれば、
恩師や家族、友人から掛けられた一言が
人生の支えになっているという人もいるだろう。
ある言葉との出会いが人生を変えた、
という話を耳にすることも少なくない。

それに比べて自分はどうだろうかと考えたとき、
少し不思議な感覚があった。
これまで多くの人と出会い、
さまざまな言葉をいただいてきたはずなのに、
決定的に心に残り続けている言葉が見当たらなかったのである。

もちろん、それは決して平坦な人生だったという意味ではない。
むしろ、壁にぶつかったことは何度もあった。
思い通りにいかず、自信を失ったこともある。
先が見えず、不安ばかりが大きくなった時期もあった。
それでも、そのたびに何とか前へ進み、
今日まで歩いてくることができた。

では、自分は何に支えられてきたのだろうか。

誰かの言葉ではないとしたら、
何が自分を前へ進ませてくれていたのだろうか。

そう考え始めると、答えはすぐには見つからなかった。
むしろ、はっきりとした「これだ」と言えるものがないこと自体が、
少し引っかかりとして残った。

そこで、自分の歩んできた道を
ひとつひとつたどり直してみることにした。
社会人になった頃のこと。
仕事を覚えるのに必死だった日々。
失敗して落ち込んだ夜。
何気なく交わした仲間との会話。
責任の重さに押しつぶされそうになりながらも、
毎日を積み重ねてきた時間。
その一つひとつを思い返していくうちに、
当時は気づかなかった出来事が、少し違った意味を持って見えてきた。

人生というのは、
その時には意味が分からないことの連続なのかもしれない。
苦労している最中は、
「なぜこんな思いをしなければならないのか」と考えてしまう。
失敗すれば、自分には向いていないのではないかと疑うこともある。
しかし時間が経ち、経験が積み重なった今だからこそ、
ようやく見えてくるものがある。

探していたのは、誰かが残した有名な言葉ではなかった。
もっと身近で、もっと静かに、
長い時間をかけて自分を支え続けていたものだったのかもしれない。

そのことに気づくまでには、
過去の自分ともう一度向き合う必要があった。
そして振り返りの中で、ようやく一つの感覚が形になり始める。

人生を支えてくれるものは、
必ずしも誰かから贈られる言葉だけではないのではないか、
という気づきである。

社会人1年目、目の前のことに必死だった

私が最初に大きな壁にぶつかったのは、社会人になった頃だった。

学生生活を終え、地元の金融機関へ就職した。社会人として新しい一歩を踏み出したものの、期待よりも不安の方が大きかったことを覚えている。学生時代とは違い、仕事には責任が伴う。自分の行動一つひとつが組織の信用につながる世界に足を踏み入れたのだという緊張感があった。

金融機関の仕事は、お金を扱う責任の重い仕事である。正確さはもちろん、スピードや判断力、お客様への対応など、多くのことが求められる。覚えなければならない知識も膨大で、商品や制度、手続きなど、毎日のように新しいことを学ばなければならなかった。

電話が鳴るたびに緊張した。受話器を取るだけで胸が高鳴り「失礼のないように話さなければ」と頭の中で言葉を整理してから口を開いていた。窓口でお客様と接するときも同じだった。笑顔を心掛けながらも、間違えないことに精一杯で、余裕などほとんどなかった。

一つの仕事を覚えたと思えば、次には新しい仕事が待っている。ようやく慣れてきた頃には、さらに責任のある業務を任される。その繰り返しだった。学生時代のように試験が終われば一区切りというわけではない。社会人の学びには終わりがなく「昨日より今日、今日より明日」と積み重ねていくしかなかった。

もちろん、失敗もあった。思い込みで仕事を進めてしまったこと。確認不足で先輩に指摘されたこと。自分では精一杯やっているつもりでも、思うような結果が出ず、落ち込む日も少なくなかった。周りを見渡せば、先輩たちは落ち着いて仕事をこなし、同期も少しずつ成長しているように見える。「自分だけが取り残されているのではないか」と感じたことも一度や二度ではない。

家に帰る頃には疲れ切っていた。それでも翌日の仕事が気になり、完全に気持ちを切り替えることはできなかった。「明日はあの業務を間違えずにできるだろうか」「また迷惑をかけてしまわないだろうか」そんなことを考えながら眠りにつく夜も多かった。

今振り返れば、最初の3年間は毎日が試行錯誤だったように思う。社会人としての基礎を身につける時期だからこそ苦しかったのだろう。しかし当時の私は、そんなことを考える余裕もなかった。ただ目の前の一日を無事に終えることだけを目標に、必死で毎日を過ごしていたのである。

それでも、不思議と「辞めたい」と強く思った記憶はない。苦しい日も、失敗して落ち込む日もあった。それなのに翌朝になると、また職場へ向かっていた。あの頃の自分を支えていたものは何だったのか。その答えは当時の私には分からなかったが、今になって振り返ると、仕事そのものだけではなく、周囲にいた人たちの存在が少しずつ自分を支えてくれていたのだと感じている。

支えてくれたのは、人の存在だった

社会人になって間もない頃の私は、毎日を乗り切ることだけで精一杯だった。仕事を覚え、失敗を減らし、一人前に近づくことばかり考えていた。そのため、自分を支えてくれているものが何なのかを考える余裕はほとんどなかった。

しかし、年月が経って当時を振り返ると、一つ気づくことがある。それは、自分は決して一人で頑張っていたわけではなかったということだ。

同じ時期に入社した同期の存在は大きかった。お互いに分からないことを教え合い、失敗談を話しては笑い合う。自分だけが苦労しているのではないと知るだけで、不思議と気持ちが軽くなった。誰かが一歩前へ進めば刺激になり、自分も負けていられないと思えた。競争相手というより、同じ道を歩く仲間だったのである。

職場には、頼れる先輩や上司もいた。もちろん、厳しく指導されることもあった。仕事でミスをすれば注意を受けるし、甘えが許される世界でもなかった。それでも、その厳しさは仕事に対する責任を教えてくれるものだった。今思えば、一つひとつの指導が、自分を成長させようとしてくれていたのだと分かる。

同僚との何気ない会話も忘れられない。昼休みに交わした雑談、仕事が終わって「今日も大変だったね」と笑い合った時間。特別な励ましの言葉があったわけではない。それでも、そうした何気ない時間が心をほぐし、「明日も頑張ろう」という気持ちを自然と生み出していた。

人は、「頑張れ」という言葉だけで元気になるわけではないのかもしれない。同じ場所で同じように頑張っている人がいる。その姿を見るだけで、自分ももう少し頑張ってみようと思えることがある。誰かが真剣に仕事へ向き合っている姿勢は、言葉以上に大きな力を持っているのではないだろうか。

当時の私は、「誰かに支えられている」という感覚はあまり持っていなかった。むしろ、自分自身が努力しなければならないという思いの方が強かった。しかし今になって振り返ると、自分の努力だけであの時期を乗り越えられたとは思えない。職場にはいつも誰かがいて、それぞれが自分の役割を果たしていた。その空気の中で働いていたからこそ、自分も自然と前を向くことができたのだと思う。

人とのつながりとは、不思議なものである。大きな出来事や劇的な言葉がなくても、毎日の積み重ねの中で少しずつ力を与えてくれる。何気ないあいさつ、さりげない気遣い、一緒に働く時間。その一つひとつは当たり前すぎて、その場では価値に気づかない。しかし、長い年月を経て振り返ると、それらは確かに自分を支えていた大切な財産だったことが分かる。

だからこそ、人は一人で成長するものではないのだと思う。誰かに助けてもらったという強い記憶がなくても、多くの人と時間を共有し、それぞれの姿から学び、自分も少しずつ前へ進んでいく。その積み重ねが、知らず知らずのうちに自分の土台をつくっていたのである。

そして、その土台がどれほど大きな意味を持っていたのかを、本当に実感するのは、さらに年月が流れ、自分が別の立場で仕事をするようになってからだった。

過去の経験は、未来の自分を支えていた

社会人になってから積み重ねてきた経験は、その時にはただ目の前の仕事をこなすためのものだと思っていた。失敗を減らし、一日でも早く一人前になることだけを考えていたため、それが将来どのような形で生きるのかなど想像する余裕はなかった。

しかし、年月が流れ、仕事や立場が変わった今、当時の経験を振り返ると、その一つひとつが決して無駄ではなかったことに気づく。

現在の私は、組織の運営に関わる仕事をしている。社会人になったばかりの頃とは、求められる役割も責任も大きく変わった。目の前の業務だけをこなしていればよい立場ではない。全体を見渡し、多くの人と関わりながら判断を下し、ときには難しい決断をしなければならないこともある。

仕事の量も増えた。さまざまな立場の人と意見を交わし、それぞれの考えを受け止めながら方向性を見いだすことも少なくない。自分一人が正しいと思っていても、それだけでは物事は進まない。相手の立場を理解し、組織全体にとって何が最善なのかを考え続ける毎日である。

そうした仕事に向き合う中で、ふと「これはあの頃に身についた力だ」と感じる瞬間がある。

金融機関で徹底的に教えられた正確さ。数字を扱う責任感。確認を怠らない習慣。相手に誤解を与えない説明の仕方。時間を守ること、約束を守ること、信頼を積み重ねること。当時は当たり前のように教えられ、身につけようと努力していたことが、今では仕事の基礎になっている。

また、多くのお客様と接した経験も大きかった。同じ説明をしても、相手によって受け止め方は違う。不安を抱えている人もいれば、急いでいる人もいる。一人ひとりに合わせて言葉を選び、相手の話に耳を傾ける姿勢は、現在、多くの人と関わる仕事の中でも変わらず生きている。

もちろん、当時の苦労がすべて楽しかったわけではない。失敗して落ち込んだこともあったし、自分の未熟さに悩んだことも何度もあった。しかし、その経験があったからこそ、人の失敗にも少し寛容になれた。思うようにできず苦しんでいる人の気持ちも、以前より理解できるようになった気がする。

人は経験を積むというと、新しい知識や技術を身につけることばかりを想像しがちである。しかし、本当に積み重なっていくものは、それだけではない。失敗して悩んだ時間も、自信を失った日々も、思い通りにならなかった出来事も、すべてが自分という人間を形づくっていく。

当時の私は、「今日一日を無事に終えたい」と思いながら働いていた。その一日一日は、とても小さな歩みに思えた。しかし、その小さな積み重ねが何年もの時間を経て、自分の土台となり、今の仕事を支えてくれているのである。

そう考えるようになって初めて、私は「支えてくれたもの」を探していた答えに近づき始めた。それは誰かが与えてくれた特別な言葉ではなく、自分自身が積み重ねてきた時間そのものだったのではないか。そんな思いが、少しずつ心の中で確かなものへと変わっていったのである。

未来の自分が、過去の自分に贈る言葉

「自分を支えてくれた言葉」について考え始めたとき、私はずっと「誰かから掛けられた言葉」の中に答えを探していた。

恩師の教えだっただろうか。先輩からの励ましだっただろうか。それとも、家族や友人との何気ない会話の中に、その答えが隠れているのだろうか。そんなことを思い返しながら記憶をたどってみたが「この一言が人生を変えた」と言えるような場面は見つからなかった。

ところが、自分のこれまでの歩みを振り返るうちに、少しずつ考え方が変わっていった。

社会人になったばかりの頃の自分は、将来のことなど考える余裕はなかった。ただ目の前の仕事を覚え、失敗しないように毎日を過ごすことだけで精一杯だった。あの頃の努力が何年後かの自分を助けるなど、想像したこともなかった。

しかし、今の自分は知っている。

あの頃に覚えた仕事は無駄ではなかった。責任感も、人との接し方も、苦労しながら身につけた一つひとつの経験も、すべて今の仕事につながっている。失敗して落ち込んだ日も、自信をなくした日も、決して遠回りではなかった。

そう思えた瞬間、私の中で一つの言葉が自然に浮かんできた。

「頑張ってくれたおかげで、今の自分に役立っているよ。」

その言葉は、誰かが私に掛けてくれたものではない。今の私が、社会人になったばかりの頃の私へ伝えたい言葉だった。

もし時間をさかのぼることができるなら、仕事がうまくいかず落ち込んでいる自分の隣に座って、こう話しかけるだろう。

「今は毎日が苦しいよね。自分には向いていないと思う日もあるだろう。でも、その経験は決して無駄にならない。今は信じられないかもしれないけれど、十年後、二十年後の君は、その一つひとつの経験に助けられている。だから焦らなくていい。今日を一生懸命に積み重ねていけば、それで十分なんだ。」

もちろん、当時の私がその言葉を素直に受け入れられたかどうかは分からない。目の前の悩みを抱えている人にとって、「いつか役に立つ」という言葉は、どこか遠い未来の話に聞こえてしまうものだからだ。

それでも今の私は、その未来を実際に生きている。だからこそ、自信を持って伝えることができる。

人生は、すぐには答えが見えない。苦労している最中は、その意味を理解することは難しい。しかし、時間は経験を育て、経験はやがて自分を支える力へと変わっていく。

私が探していた「支えてくれた言葉」は、過去から現在へ届いたものではなかった。現在の自分が、過去の自分へ贈る言葉だったのである。

そのことに気づいたとき、ようやく長い間探していた答えが、一つの形になったような気がした。

過去の自分へ、そして未来の自分へ

「頑張ってくれたおかげで、今の自分に役立っているよ。」

そう思えるようになってから、私は「人生を支えてくれるもの」に対する考え方が少し変わった。

私たちは、「支え」という言葉を聞くと、誰かから受けるものを思い浮かべることが多い。家族や友人の励まし、恩師の教え、心に残る名言。本や映画の中の一節に救われたという人もいるだろう。もちろん、それらは人生を豊かにしてくれる大切な存在であり、誰かの言葉が新しい一歩を踏み出すきっかけになることもある。

しかし、それだけが人生を支えるものではないのではないかと思う。

振り返ってみると、今の自分を支えているのは、過去の自分が積み重ねてきた時間そのものだった。

毎日少しずつ仕事を覚えたこと。
失敗を繰り返しながらも諦めなかったこと。
思うようにいかず悩んだ日々。
周囲の人と関わりながら学んできた経験。

その一つひとつは当時、特別な意味を持っているとは思えなかった。ただ目の前のことに必死で、「今日一日を乗り切ろう」という思いだけで過ごしていた。

それでも、その積み重ねは確かに未来へと受け継がれていた。

今の私は、過去の自分が残してくれた経験という財産の上に立っている。あの頃の努力があったから、今の仕事に向き合うことができる。あの頃の失敗があったから、人の気持ちを少しだけ理解できるようになった。あの頃の悩みがあったから、簡単には諦めなくなった。

そう考えると、人生には無駄な時間などほとんどないのかもしれない。

もちろん、失敗をしても何もしなくても、それだけで価値が生まれるという意味ではない。悩みながらでも前へ進もうとした時間、少しでも成長しようと努力した時間が、長い年月をかけて自分の力になっていくのだと思う。

そして、それはきっと誰にでも当てはまることではないだろうか。

今、仕事や勉強、人間関係に悩んでいる人もいるだろう。思うように結果が出ず、自分には向いていないのではないかと不安になっている人もいるかもしれない。そんなときには、自分の努力が何のためになっているのか分からなくなることもある。

けれど、未来の自分は、その時間の価値を知っている。

今日の経験は、すぐに答えを教えてくれないかもしれない。しかし五年後、十年後に振り返ったとき、「あの時があったから今がある」と思える日がきっと訪れる。そのとき、未来の自分は過去の自分へ、静かにこう語りかけるのではないだろうか。

「ありがとう。頑張ってくれて、ありがとう。」

私が長い時間をかけて見つけた「支えてくれた言葉」は、誰かから授かった名言ではなかった。未来の自分が、過去の自分へ贈る感謝の言葉だったのである。

これから先も、悩むことや迷うことはきっとあるだろう。それでも私は、今の自分が歩む今日という一日が、いつか未来の自分を支えてくれると信じて、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思う。

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