58歳、24年いた大学を離れた。研究は置いていかなかった|カタリン・カリコ 第4話
お58歳。
24年いた大学を離れた。
だが、研究は置いていかなかった。
カタリン・カリコ(Katalin Karikó)は、1989年からペンシルベニア大学でmRNAを治療へ使う研究を続けてきた。
予算を得られない時期があった。
40歳で降格された。
それでも残った実験台で研究を続け、ドリュー・ワイスマン(Drew Weissman)と組み、2005年に望まない炎症反応を抑える道を開いた。
2008年には、修飾mRNAが細胞とマウスでより多くのタンパク質を作ることを示した。
研究は進んでいた。
けれど、研究が進むことと、研究を薬へ運べる場所にいることは同じではない。
2013年、カリコは米国を離れ、ドイツ・マインツのバイオンテック(BioNTech)へ移った。
挑戦をやめるためではない。
続け方を、変えるためだった。
この連載について
On the Wayは、成功者の答えではなく、本人にも結末が見えなかった「途中」を記録しています。

大学を離れることと、研究を諦めることは違う
長くいた場所を離れる時、人は説明を求められる。
なぜ残らないのか。
積み上げたものが無駄にならないか。
今さら場所を変えて、何が変わるのか。
カリコがペンで積み上げたものは、小さくなかった。
修飾mRNAの知識があった。
ワイスマンとの共同研究があった。
ヒロミ・ムラマツ(Hiromi Muramatsu)らと、細胞やマウスで効果を確かめる方法があった。
大学を離れれば、それらをすべて失うわけではない。
逆に、大学に残れば、それらが自動的に薬へ届くわけでもない。
ここで守るものは、所属ではなかった。
mRNAを治療へ使うという目的だった。
目的を守るために、場所を変える。
それもまた、挑戦を続ける方法だった。
初めて、価値の説明から始めなくてよかった
2013年、カリコは、オリンピック選手でもある娘の大会に同行して欧州を訪れた。
その滞在中、マインツでバイオンテックの研究者たちと会った。
そこには、mRNAの可能性を信じ、別の方法から同じ技術を前へ進めていた人たちがいた。
ウール・シャヒン(Uğur Şahin)。
エズレム・テュレジ(Özlem Türeci)。
そして、mRNAをがん免疫療法や薬へ近づけようとするチーム。
カリコは後に、この場ではRNAの価値を最初から説明し直さなくてよかったと振り返っている。
それまでの時間、彼女は研究だけをしていたのではない。
なぜmRNAなのか。
なぜこの研究へ時間と予算を使うのか。
その入口を何度も説明してきた。
マインツでは、問いの始点が違った。
mRNAに価値があるかではない。
mRNAをどう薬へ近づけるかだった。
シャヒンは、一緒に働かないかと提案した。
カリコは受けた。
理解されることは、褒められることではない。
説明に使っていた力を、次の問題へ使えるようになることだ。
1人で国を移ったわけではない
大きな移動は、本人の決断だけでできたように語られやすい。
だが、移動には生活がある。
家族がいる。
共同研究がある。
持っていく技術と、残していく場所がある。
カリコは後のノーベル賞インタビューで、ドイツを訪れ、バイオンテックが合う場所かもしれないと考えた時、夫がその挑戦を支持したと話している。
ムラマツも2013年、カリコとともにバイオンテックへ移った。
ペンで始めた研究を続け、mRNA部門の立ち上げに加わった。
ワイスマンとの共同研究も、所属が分かれたから終わったわけではない。
2人は距離を越えて、方法の最適化を続けた。
カリコ自身も、ペンとの関係を非常勤教授として残した。
古い関係を全部切り、新しい組織へ飛び込んだのではない。
研究テーマを持っていった。
一部の関係を持っていった。
離れても続く関係を残した。
環境を変える時に必要なのは、勇気だけではない。
何を持ち運び、誰と続け、生活を誰が支えるかという設計である。
研究は、組織が変わると問いの大きさも変わる
2014年、シャヒン、カリコ、テュレジの3人は、mRNAを新しい薬剤群として整理する総説を発表した。
そこに書かれたのは、1つのワクチンの完成ではない。
翻訳効率。
免疫反応。
送達。
安定性。
がん免疫療法。
感染症ワクチン。
タンパク質補充。
mRNAを研究室の1つの技術ではなく、複数の用途と課題を持つ新しい薬剤群として見渡す仕事だった。
論文の所属欄には、カリコのバイオンテックとペンの両方が記された。
所属を変えたから、過去が消えたのではない。
過去の発見を、新しい共同体の問いへ接続した。
ただし、2014年にも完成はしていない。
どの病気へ使うか。
身体のどこへ届けるか。
どう作り、どう試し、どう安全を確かめるか。
会社へ移っただけで、その答えが出たわけではなかった。
2020年から、2013年を正解にしない
後から見れば、バイオンテックは新型コロナに対するmRNAワクチンを開発した企業になった。
カリコとワイスマンは2023年にノーベル賞を受けた。
だから、2013年の移動を正しい選択だったと簡単に言えてしまう。
けれど、2013年のカリコには、その結末は見えていない。
バイオンテックは2008年に設立された若い企業だった。
mRNAを扱う企業はほかにもあり、どの技術や用途が実用化へ届くかは確定していなかった。
移動は成功の保証ではない。
ただ、判断材料はあった。
同じ目的を持つ人がいる。
異なる技術を持つ人がいる。
研究を薬へ運ぶための組織がある。
家族の支えがある。
既存の共同研究も、すべてを切らずに続けられる。
未来は見えない。
それでも、次に進める条件は比べられる。
On the Way考察
この記事が役立つ人
長くいた組織を離れるか迷っている人
企画や研究の価値を毎回0から説明し、前へ進む力が残らない人
転職や移籍を、挑戦を諦めることのように感じている人
異分野の挑戦者を受け入れる組織やコミュニティ
本人へ移動を迫らず、選択肢を一緒に設計したい伴走者
キーポイント|守るのは、場所ではなく目的かもしれない
同じ場所に残ることは、継続の1つである。
場所を変えることも、継続の1つである。
何を守ろうとしているのかを先に分ける。
肩書か。
所属か。
研究テーマか。
届けたい相手か。
カリコが持っていったのは、mRNAを治療へ使う目的だった。
所属を変えても、挑戦の中心は変えなかった。
確認できるターニングポイント|説明しなくてよい共同体を選んだ
転機は、2020年のワクチン完成ではない。
2013年、mRNAの価値を説明するところから始めなくてよい人たちと会い、働く提案を受けたことだ。
理解者は、ただ励ます人ではない。
共通の前提を持ち、次の未解決から会話を始められる人である。
カリコは、その共同体へ研究場所を移した。
足りなかった支えの仮説|移動先を5条件で比べる
ここからは、現在の挑戦へ転用する仮説である。
移動先を、5つの条件で見る。
守りたい目的が一致しているか
自分にない専門を持つ人がいるか
次の実験・制作・実装に必要な設備と資金があるか
前へ進める意思決定権があるか
家族、収入、健康、在留資格、関係を守れるか
肩書が上がるかだけではない。
同じ挑戦を、次の段階へ運べる場所かを見る。
その支えを作れる人
本人は、持っていく目的・技能・関係と、置いていく役割を分ける
家族や近い人は、賛成を強制せず、生活上の不安と支援可能範囲を具体化する
現所属は、残留か断絶の2択にせず、非常勤・共同研究・データ移管・知財の条件を整える
受け入れ組織は、本人へ価値証明を繰り返させず、次の未解決と意思決定権を示す
伴走者は、移動しない選択も含め、5条件と壊してはいけない条件を一緒に確認する
今日できる最小の1歩
いまの場所と、候補の場所を紙に書く。
それぞれについて、目的/人/設備と資金/意思決定/生活の5欄を作る。
空欄を1つだけ選び、誰に聞けば事実が分かるかを決める。
今日、移るか残るかを決めなくていい。
まず、未来ではなく条件を見えるようにする。
彼女が持っていったもの
24年いた大学を離れた。
机も、肩書も、毎日の景色も変わった。
けれど、研究は置いていかなかった。
mRNAを持っていった。
積み重ねた技術を持っていった。
ともに研究する人を持っていった。
離れても続く関係を残した。
そして、説明の入口ではなく、次の問いから始められる場所へ移った。
続けるとは、同じ場所で耐え続けることではない。
守りたいものを持って、場所を変えることもある。
挑戦した事実は、ゼロじゃない。
