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北千住を中心に直通運転の理由を考えてみる|日比谷線と半蔵門線は、なぜ両方必要だったのか

今日、息子の送迎で東西線に乗った。
東西線に乗っているうちに、昔の通学を思い出した。

そういえば、昔の日比谷線には菊名行きがあったな、と。

菊名行きは北千住始発だった。
東武伊勢崎線から日比谷線へ直通する列車は中目黒行きなので、西新井からそのまま菊名まで行けたわけではない。
それでも、日比谷線のホームで「菊名」という行先を見るのは当時の日常だった。

そこで、ふと思った。

なぜ日比谷線と東横線の直通はなくなったのか。

調べ始めたら、日比谷線と東横線だけでは終わらなかった。

半蔵門線。
東武伊勢崎線。
北千住。
つくばエクスプレス。
押上。
東京スカイツリー。
そして渋谷。

気がつけば、2000年代前半に東京北東部の人の流れがどう変わったのかを調べていた。

2003年に東武伊勢崎線と半蔵門線の直通が始まっていなかったら。
その2年後、2005年につくばエクスプレスが開業したとき、日比谷線はどうなっていたのだろう。

相当ひどいことになっていたと思う。

私の中の西新井駅

私は足立区の西新井で育った。

学生時代、都心へ出るときは、だいたい西新井駅から東武伊勢崎線に乗った。

準急で北千住まで行く。
あるいは、各駅停車の日比谷線直通にそのまま乗る。

当時の私にとって、西新井駅といえば西口だった。

大きな階段があって、右側に東武ストアがあった。
その前には、決して広くないバスロータリー。

今は駅周辺の再開発が進み、景色も変わっている。
ただ、私の中の西新井駅は今でもあの姿のままだ。

昔の西新井駅西口イメージ
写真がなかったのでAIで生成
こんなかんじでした

北千住から先は日比谷線だった。

上野、秋葉原方面へ向かうなら、それが一番早い。

上野まで出ればJR各線がある。
銀座線もある。
新幹線もある。
そこから先はいくらでも行ける。

千代田線もあった。
常磐線もあった。

ただ、そちらを使うなら北千住で乗り換えなければならない。

毎日の通勤通学では、この一回が面倒くさい。
だから日比谷線直通をだいたい選ぶ。

そして、めちゃくちゃ混んでいた。

北千住から上野は、本当に地獄だった

当時の北千住駅は、とにかく人が多かった。

何度も混雑緩和のための工事が入っていた。

朝の北千住では、できるだけ始発電車を狙った。

座れれば最高。
無理なら、せめてつり革をつかめる場所を確保する。

そんなことに毎朝血道を上げていた。

特に北千住から上野の間はひどかった。

私は身長178センチある。
普段なら、つり革を持つこと自体には困らない。

それでも、本当に混んでいるときは周囲から押し込まれ、つり革につかまっていても体勢を保てなくなった。

一度、座席上の窓に手をドンとついたことがある。

手を添えた、という感じではない。
人に押されて、体重ごと窓に手をついた。

その瞬間、

「これ、窓が割れたら終わるな」

と本気で怖くなった。

2002年度の日比谷線最混雑区間の混雑率は172%だった。

しかも、私の通学はそこで終わらない。

茅場町で東西線に乗り換えて、さらに西へ向かっていた。

体感では、むしろ茅場町から乗る東西線の方が混んでいた。
大手町まで行けば空く。
そこまでがきつい。

日比谷線を抜けたら、次は東西線。

東武沿線から都心へ行く人は、北千住に集まっていた

当時の東武伊勢崎線から都心へ向かう流れは、今より明らかに北千住へ集中していた。

日比谷線なら、上野、秋葉原、銀座、霞ケ関方面へ行ける。
千代田線に乗り換えれば、大手町方面へ行ける。
常磐線もある。

草加、西新井、梅島、五反野方面から来た人が北千住に集まり、そこで分かれる。

北千住が巨大な漏斗のようになっていた。

一方、半蔵門線は西側が強かった。

渋谷で東急田園都市線につながる。
そこから表参道、青山一丁目、永田町、九段下、大手町と都心を横断する。

西側には、田園都市線という巨大な郊外路線がある。

ところが東側は、長い間、水天宮前止まりだった。

渋谷から西へは田園都市線が延々と続く。
東は水天宮前。

ものすごいアンバランス。

半蔵門線としては、東側にも大きな需要が欲しい。
東武側は、北千住へ集まりすぎる利用者を逃がしたい。

そこで両者がつながる。

今になって見ると、相性のいい組み合わせだった。

2003年、東武沿線に第二の都心ルートができた

2003年3月、半蔵門線が水天宮前から押上まで延伸し、東武伊勢崎線との相互直通運転が始まった。

東武沿線から都心へ向かう大きなルートが二つになった。

日比谷線系統は、

北千住
上野
秋葉原
銀座
霞ケ関

へ向かう。

半蔵門線系統は、

押上
大手町
永田町
表参道
渋谷

へ向かう。

行き先が違う。

東武線側でも性格が分かれた。

各駅停車系統は日比谷線へ。
急行・準急系統は半蔵門線へ。

東武伊勢崎線は複々線区間が長い。
各駅停車と、遠距離から来る急行・準急をすでに分けていた。

そこに、行き先の違いも加わった。

東武沿線から都心へ向かう人を、列車種別と目的地の両方で分けられるようになった。

東武線から都心へ向かう2つの直通ルート

路線上、半蔵門線への接続駅は押上である。

ただ、西新井から利用していた私の感覚では、分岐点は北千住。

北千住で日比谷線や千代田線へ乗り換えるか。
そのまま東武線に乗り続け、押上から半蔵門線へ入るか。

利用者としては、そこで選択が分かれた。

半蔵門線直通は、体感でも劇的だった

半蔵門線直通が始まったとき、その変化ははっきりわかった。

最初の頃、半蔵門線直通列車はそこまで混んでいなかった。
東武沿線の利用者全員が、新しい経路へ一斉に移ったわけではない。

でも、時間がたつと変わってきた。

大手町へ行くなら、北千住で千代田線に乗り換えなくていい。
そのまま乗っていれば、押上から半蔵門線に入り、大手町まで行く。
表参道にも渋谷にも行ける。

便利さに気づく人が増えるにつれて、利用者も増えていった。

私自身、朝に大学へ行くとき、

「うわ、全然違う」

と思った。

もっとも大学時代はマクドナルドで死ぬほどバイトしていて、高校時代ほど毎朝きっちり電車に乗っていたわけではない。

それでも違いはわかった。

数字を見ても同じだった。

北千住から日比谷線へ乗る人は、数年かけて減った

北千住の日比谷線1日平均乗車人員を見る。

2002年度 169,709人
2003年度 160,870人
2004年度 156,780人
2005年度 155,737人
2006年度 155,195人

2002年度から2006年度までで、約1万4500人減っている。

北千住・日比谷線1日平均乗車人員の推移

直通開始直後に一気に減ったわけではない。

2004年度。
2005年度。
2006年度。

少しずつ減っている。

新しい路線ができても、翌日から全員が通勤経路を変えるわけではない。

定期券の更新はすぐには進まない。

一度使ってみて、

「こっちの方が楽だな」

と気づく人もいる。

半蔵門線直通は、数年かけて東武沿線の移動を変えていった。

混雑率も下がった。

2002年度 172%
2003年度 167%
2004年度 165%
2005年度 163%
2006年度 162%

日比谷線の朝ラッシュは明確に緩和した。

日比谷線の客を半蔵門線へ移しただけではなかった

日比谷線から半蔵門線へ客を移しただけなら、営団地下鉄全体では大して変わらない。

日比谷線が減る。
半蔵門線が増える。

差し引きゼロに近くなる。

ところが、実際は違った。

半蔵門線の1日平均輸送人員は、

2002年度 約40.5万人
2003年度 約50.1万人
2004年度 約52.4万人

まで大きく増えた。

2007年度には約61.7万人になっている。

一方、日比谷線全体は大きく減らなかった。

2002年度 約85.5万人
2004年度 約84.9万人

ほぼ横ばいである。

二路線を合計すると、

2002年度 約126.0万人
2004年度 約137.2万人

約11.3万人。
8.9%増えている。

日比谷線+半蔵門線 1日平均輸送人員の推移

日比谷線から半蔵門線へ客を移しただけなら、合計は増えない。

JRや千代田線から移った人もいただろう。
それまで東武沿線からは遠かった永田町、表参道、渋谷方面への需要も入った。

東武沿線から行ける場所そのものが増えた。

それまで、

「上野、秋葉原方面へ便利な沿線」

だったものが、

「大手町にも渋谷にも一本で行ける沿線」

になった。

直通運転は乗り換えを減らすだけではない。

沿線の便利さそのものを変える。

そして2005年、TXがやってきた

半蔵門線直通開始から2年後。

2005年8月、つくばエクスプレスが開業した。

秋葉原とつくばを結ぶ新線である。

守谷、柏の葉、流山などから東京へ直接人を運ぶ。

そして途中に北千住がある。
終点は秋葉原。

どちらも日比谷線との接続駅である。

それまで常磐線への依存度が高かった千葉県北西部、茨城県南部から、新しい人の流れが東京へ入ってきた。

半蔵門線が東武側の需要を逃がしてから、わずか2年後だった。

TX開業で、北千住全体の利用は増えた

TX開業前の2004年度と、開業後の2008年度を比べる。

東武はほぼ横ばい。
JR常磐線は増えた。
日比谷線は少し減った。
千代田線も減った。

そこへTXが約3.3万人/日の利用者を持つ路線として加わった。

各社・各線の1日平均乗車人員を単純合算すると、

2004年度 約72.1万人
2008年度 約75.6万人

約3.5万人増えている。

TX開業前後の北千住の1日平均乗車人員比較

TXの3.3万人が、そのまま日比谷線や千代田線に上乗せされたわけではない。

常磐線からTXへ移った人もいれば、TXで秋葉原までそのまま行く人もいる。
北千住で日比谷線へ乗り換える人もいる。

北千住全体の利用は増えた。
ただ、どの路線を使うかは大きく変わった。

半蔵門線がないままTXが開業していたら

もし2003年に半蔵門線への直通が始まらず、2005年にTXだけが開業していたら?

東武沿線から都心へ向かう人は、引き続き北千住へ集まる。
日比谷線と千代田線が、その需要を受ける。
そこへTXが開業する。
守谷、流山、柏方面から新しい利用者が北千住へ入ってくる。

もちろん、実測値はない。

ただ、既存データから概算はできる。
半蔵門線直通前の2002年度、日比谷線最混雑区間の混雑率は172%。
半蔵門線直通開始後、北千住から日比谷線へ入る利用者は約1万4500人減った。

その全員が朝ピークに乗っていたわけではない。
その一部が朝のピーク時間帯に集中していたと仮定し、TX開業後の新しい流入も考慮する。

この条件で試算すると、半蔵門線がない場合の日比谷線は、混雑率180%前後まで上がっていた可能性がある。

半蔵門線がなかった場合の日比谷線混雑率の仮想試算

180%と聞くと、私は東西線を思い出す。

私は茅場町から東西線に乗っていた。
体感では、日比谷線より東西線の方が混んでいた。

当時の東西線は、東京でも最悪クラスの混雑路線だった。
日比谷線も、それに近い混み方をした可能性があった。

180%は実測値ではない。

それでも、

2003年に半蔵門線が東武客の一部を逃がした。
2005年にTXが北千住へ新しい流れを入れた。

この順番だったことは、結果的に大きかった。

結果として、絶妙な順番だった

2003年、半蔵門線が東武線と直通する。

北千住で日比谷線や千代田線へ乗り換えていた人の一部を、押上経由へ逃がす。

2005年、TXが開業する。

千葉県北西部、茨城県南部から新しい流れを北千住と秋葉原へ持ってくる。
既存需要を分散したあとで、新しい需要が入ってきた。

半蔵門線がTXのために作られたわけではない。
それぞれ別の計画として、長い時間をかけて建設された。

そして押上には、スカイツリーができた

その後、押上には東京スカイツリーができた。

半蔵門線が押上まで延伸し、東武との直通を始めたのは2003年。
東京スカイツリーの建設地が押上・業平橋地区に決まったのは、その後である。

「スカイツリーを作るために半蔵門線を押上まで伸ばした」

わけではない。時系列は逆だ。

ただ、2003年の時点で押上の交通条件は大きく変わった。

東武伊勢崎線。
半蔵門線。
都営浅草線。
京成線。

複数の鉄道路線が集まる結節点になった。

そこへ世界的な観光施設を作る。
しかも、開発主体は土地を持つ東武である。

押上は単なる乗換地点から、東武の沿線開発を象徴する場所へ変わっていった。

日比谷線と半蔵門線は、今もきれいに棲み分けている

今の東武スカイツリーラインでも、この役割分担は残っている。

日比谷線直通は各駅停車系統が中心。
半蔵門線直通は急行・準急系統が中心。

日比谷線は、

北千住
上野
秋葉原
銀座
霞ケ関

方面へ運ぶ。

半蔵門線は、

押上
大手町
永田町
表参道
渋谷

方面へ運ぶ。

行き先が違う。
列車種別も違う。

半蔵門線が日比谷線を置き換えたわけではない。
東武沿線から都心へ向かう道を一本増やし、人を分けた。

北千住を見ると、直通運転の意味がわかる

日比谷線と半蔵門線は、どちらか一方があればいい路線ではなかった。
日比谷線は、北千住から上野、秋葉原、銀座方面へ向かう。
半蔵門線は、押上から大手町、表参道、渋谷方面へ向かう。

行き先が違う。
列車種別も違う。

そして2003年に半蔵門線直通が始まり、北千住に集中していた東武沿線の利用者の一部が押上経由へ流れた。
その2年後にはTXが開業し、今度は北千住に新しい流れが入ってきた。

こうして見ると、直通運転は単に「乗り換えなしで行けて便利」という話ではない。

どこに人を集めるか。
どこへ逃がすか。
どの方面へ新しい経路をつくるか。

北千住を中心に見ていくと、その理由がかなりよく見える。

日比谷線の菊名行きを思い出したところから始めた話が、ずいぶん長くなってしまった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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