「時代のプリズム」展のデザインをしながら思い出した、90年代のこと。
今週末で、新美術館の「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989–2010」(東京・六本木の国立新美術館と香港のM+ による共同キュレーション) が閉幕します。
自分は今年度から新美術館の学芸課長になった神谷幸江さんからお誘いいただいて広報まわりのアートディレクションとカタログのADを担当しました。カタログとロゴデザインは宮村ヤスヲさんと協働で、デザインは平松るいさんというデザインチームです。
展覧会の対象期間は 1989年から2010年、昭和→平成への転換、冷戦終結とグローバル化の時代、日本の社会/文化が大きく揺れ動いた20年。国内外あわせて50組以上のアーティストの作品が出品されています。自分が日本の美術シーンに関わり始めて、並走してきた時代と大きく被ります。その作品が登場したときの衝撃と、次代の空気感とか、状況などを思い出しながらデザインにあたりました。
時代のプリズム展特設サイト
https://art.nikkei.com/prismofthereal/
展覧会場はフォーカスしている年代の直前の状況を新美所蔵の安斎重男さんのフォトアーカイブ見せる「プロローグ」から始まり、森村さん、椿さんや、柳幸典さんがベネチアや海外展に招聘されていった時代の「イントロダクション」を経て、小さなゲートを潜り抜け(会場設計は日埜直彦さん)「過去という亡霊」「自己と他者と」「コミュニティの持つ未来」という3章を通して、戦後の日本美術が国際的に開かれていく、いわば成長過程のような構成になってるんじゃないかなと思います。
で、この展覧会は「プリズム」と名前が付いているように、ある時代や作品にあたった光が、別の方向にも屈折して、それぞれの内面や、問題意識や個人史に光があたっていくのが大切なんじゃないのかなと思っていて、やはり展示を見ているとこみあげて来るものがあるんですよね。(なのでこの展覧会に「自分が大事に思っている作家や作品や文脈」が出てないじゃないかと思うのはごく自然な事だと思います)
今回のADを担当する中で自分の「プリズム」で久々に光が当たった当時のメディアの状況について、少し書き残しておこうと思います。
ちょうど自分はデザイン学科の大学生だった時に、大阪鶴橋のラブホテル「メタリアスクエア」で開催されていた「中村と村上展」を見たのが、この年代の日本の美術とのファースト・コンタクトでした。1992年ですね。アーティストの中村政人さん、村上隆さん、トークに出られていた椿昇さん。関連イベントや大阪ミキサー計画、スモールビレッジセンターといった「再現芸術」をやっていた小沢剛さん、池宮さん、ギャラリストの小山登美夫さんや西原みんさんに会ったのもこの展覧会がきっかけでした。
その鶴橋のラブホにMacを持ち込んで、中ザワさんは原久子さん、吉田裕子さんが作っていた「JAPAN ART TODAY」っていうフロッピーを”メディア”に見立てたミニコミ誌に、自分は展覧会と同じくらいに衝撃を受けたんですよね。当時はインターネット以前、まだネットもNiftyを中心としたパソコン通信で画像データを送ったり動画を送ったりする事は困難で文字ベースでのやりとりが主流でした。
当時、大学でAPPLEのMacintoshというコンピュータに出会い、Macのデスクトップ・メタファーの「グラフィック・ユーザ・インターフェイス」やIllustratorやPhotoshopというベジェ曲線やビットマップをベースにしたDTPデザインの萌芽があり、研究室のMacがローカルネットワークを超えて世界中のコンピュータと繋がる時代が来るんだという事に興奮していた時代でもありました。
今回の展示では、「中村と村上」展に出品されていた中村正人さんの「トコヤマーク」と同じ部屋に、中ザワさん達が作った「JAPAN ART TODAY」と自分が勝手に「改変」を拡大解釈して作った非公認のJATが展示されているのが、個人的には感慨深い「プリズム」です。
なのでそのコンピュータを使って、美術の今のシーンを伝え、変えようとしているフロッピーというデータの入れ物を「メディア」に見立てている事、そのメディアが「複製改変はご自由に行って下さい」という今でいう「クリエイティブ・コモンズ」に近い思想を持っていた事が、自分にとって現代美術の作品と同じくらいの衝撃だったのです。
ここが起点になって、レントゲン芸術研究所に入り浸るようになっていき、更に多くのアーティストの「熱に若干浮かされた様な状況」というのを体験します。
同年代でPEPPER SHOPを作っていた古賀学君と会ったのも、このあたりの流れの中でした。新宿少年アートにも参加し、なすび画廊の路上オープニングに通っていました。当時のアート界隈でいえば、アーティストやデザイナー、編集者、ミュージシャン、サブカル系の人たちが未分化で同じ空間にいて、それぞれが自分の活動をどう広げようか考えながら、商業誌ではないメディアの形を探していた時期だったと思います。ART SUMMIT MEMBERS、ラジウムエッグ、PEPPER SHOP、小沢さんのなすび新聞、JAT…と、紙もフロッピーも混在したような、妙に騒がしいメディア環境ができていました(「美術手帖」が楠見さんによって「BT」へと変身していきました)今でいう「ZINE」のようなものを数多く産んでいったんだと思います(このあたりは鈴木萌夏さんによる「レントゲン藝術研究所の研究:資料アーカイヴの実践」などに詳しい)
距離や時間が情報の手ざわりに直結していた頃。単なる媒体というより、人と人を接続させるためのインフラのような役割もあって、「物理的な雑誌なりミニコミなりのメディアが、コミュニティをどう立ち上げるか」という編集の文化みたいなのを感じていたと思います。SNSで一瞬でどこにでも届く時代とはまったく異なる編集の条件なのですが、今もTABFの隆盛やコミティアなどの同人誌分化の盛り上がりを見ると、こうした物理的な冊子の持つコアな部分は案外変わっていないのかもしれません。
今回の時代のプリズム展のチラシにも「あの20年を深堀りするためのキーワード」として林寿美さんにお願いして時代背景や美術シーンの動向について、書いていただきちょっとありえない程の情報量を込めてますが。このあたりも当時の「ミニコミ」へのオマージュでもあります。そうした事前の予備知識のようなものを無料のチラシに込めて、今の年代の観客の方に見てもらえたら良いなと思ってデザインしました。

「メディア」としてデータが流通していく面白さというのはその後、松本弦人さんが「Macinto書」展を開催し、Digitalogueをベースにして「フロッケ」展などで個人同士でデータを売買する、「フォント」というジャンルが出来てインディ・フォントブームを通じて成熟していきます。タイポグラフィの考え方が写植や活版の歴史とはまた別の文脈で作られ、カルチャーを乗せる「器」に変容していった時期がありました。
こうした時代のデザイン面での変化、みたいな事も今回の時代のプリズム展でも、宮村ヤスヲさんと一緒にプリズム展のオリジナルの書体を作っています。緩い余白や余地の多い現在流行りのデザインの潮流とはかなり対局な(笑)展覧会のテーマが体を為すような90年代的なデザインを目指しました。このあたりは展覧会のADや、カタログになるべく込めるようにしています。
後にフロッピーからCD-ROMに移行した時代くらいまではMacromedia社の「Director/Shockwave」というオーサリングソフトを自分は熱心に使っていましたが、そもそもが小さなモニタサイズを前提としていたり、スタンドアロンアプリとしてOSやプラットフォームにかなり依存していたので今はアクセスができなくなっています。
この点でJAPAN ART TODAYに画像やテキストなどの「生データ」を収録しただけ、の中ザワさんの原型は今もアクセスが可能です。「未編集である事」「RAWを残すこと」…ここにも大きな「差」があったのだなと今は感じています。いまやAIで着色したり、デジタルリマスターも全盛期なのですが、「編集をかけすぎないまま残すこと」と結果的に「原盤がある」という状態が検証を可能にするのだと思うようになりました。編集を重ねたものほどデジタルであるにもかかわらず、逆に蒸発していくという…消えた歴史もありますよね。
こうした既存メディア/出版形態に依存しない、個人・少人数での発信やジャンル不問の自由な発信という転換期が「コミュニティの持つ未来」章の最初の小さなコーナーに展示されているんですね。
「西京人」のサポートとして西京オリンピックなどの映像を撮影編集したりアーカイブに関わってきたりした自分の活動も、こうしたメディア環境の揺れやコミュニティの中で形づくられてきたのだな…と再確認したし、自分はデザインをバックグラウンドに持つのではなく、アーティストやキュレーターとの共犯関係の中でオルタナティブを志向してきたのだと思います。

今週末で展覧会は終わってしまいますが、様々な方に拡散した展覧会のプリズムの光が、また誰かのどこかを照らす事を願っています。神谷さん、尹志慧さん、林寿美さん、ドリュンさんやイザベラさん達M+チーム、デザインチーム、そして本展で関わった皆さんありがとうございました。
明日、駆け込んで頂いて皆さんの個人のプリズムをいつか聞けたらとても嬉しいです。
