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「中学受験から退学まで。長男18歳のこれまでを振り返る」

朝からFBで娘ちゃん誕生日投稿の文章とこちらの記事を読んで号泣(あっ涙がでましたよ、たくさん)。母の気持ちに大共感🥹

なんでこんなに涙もろいのかな?
春は思い出深いのです。別れの季節でもあるし。
インド行って私は頭がキャパオーバーになりました。
別れが多すぎて頭が悲しさに追いつかない。今思えばちょっと病んでましたね。
備忘録として記録にしときますね。

6年前、長男はインド駐在を経て、一般受験で第一志望に合格した。

実際はインドで、受験勉強してましたが、友達も競争相手はいない長男、塾にもいかせましたが。(日本の塾が経営)、模試もない、クラスもない、何より中学受験するのはその学年では1人という環境で、塾といっても保育園?みたいに楽しくいろんな学年の友達と出会うところでした。
それでもテキストを毎日、毎日させてノルマをこなさせるのは、大変でした。

1.日本、本帰国

受験をさせるため、母子先行帰国にしました。
日本人学校ではよく聞きました。初めから期間限定で決めて過ごす人と子供が成長して数年過ごして、まだ父はインドで働かなきゃいけない場合は学校の進級とか卒業を機に先に母子で帰国します。


インドはPM2.5がひどくて(冬の空気が滞留してしまう時期は260以上でした毎日)長男は肺炎にもなり、小学校卒業よりも早めに本帰国決めました。11月でした。パパは翌年3月に帰国できることがわかってました。ちなみに11月はインドは1年1度のお祭り(ホーリー)PM2.5は1000越えもありました。コロナ以前からみんなマスクしてました。でも自己防衛なのでしてない人もたくさんいた。

2.本帰国後


元居た我が家にもどることができ、ちなみにインドから引越した時は、7キロ痩せました。(引越しは過酷だしお別れ会も)
元居た小学校に戻ることができ、6年生の11月だったけど、お帰りーとお迎えしてくれた学校。しかし、受験のための帰国、長男は日本でお世話になる塾を夏休みに決めていたので、そこに毎日(週7)塾通い!
帰りも10時でした。
今思えば毎日偉かったですね。→(楽しそうに1人で行ってました。インドでは必ず行動は親同伴だし(運転手ありの車)、1人歩きも電車1人で乗るのも新鮮だったかな。)



余談ですが私は横浜駅までお迎えに徒歩で行くのですが、インド帰国直後で暗い夜道を1人で歩くことを2年間しなかったので、怖くて、カツアゲとか事件とかに巻き込まれたらどうしようって思ってお金をもつのがこわくて、電車賃を駅員さんに請求されたときお財布をもってなくて恥ずかしい思いをしました。
→なぜ?電車賃請求?長男が帰るときお金がなくて駅員に相談したら、お母さんが駅に迎えにくると聞いたので、最寄り駅でもらうつもりで電車に乗せてもらったらしい。


ガンジス川にて。上流の方は、綺麗


ここから長いです。

3.その後

毎日いろんなことが起きましたが(お金を盗んで買い物)・インフルに12月冬休み前になり、その後2月5日まで小学校は休みました。
中学受験でいつから休ませる問題で、我が家は長期でしたが、インドでしょっちゅう学校を一時期帰国やら旅行?で休むことに慣れてました。(これはよくないかな?)
あとは、帰国枠で入試が1月にちょいちょいあり、体調管理のため、また毎日塾に行きたいと本人がいうので、尊重しました。

この時期、こんなに頑張ってた。😂

第一志望の学校が帰国枠で落ち、2月1日で落ち、2月2日の試験も受けました。(1,2日と問題が似ている学校でした)3回目の受験もできますが算数のみの試験で、もう無理でしょうと私は思って出願を渋ってしまいました。すでに帰国枠で受かっている学校があったのでそこでいいのではないか。もともとインドにいたし、中学受験はちょっと無理かなぁって気持ちでした。
塾に相談しに行ったら、
「お母さんおめでとうございます!」
まさかの2回目の試験で合格してたのです。合格発表リアルでみてない母でした。
最後の模試は受けなかったし、全然及ばなかったので、11月~1月31日で相当の追込みを塾でしてもらったみたいです。

4.入学・退学(転校)

2019年4月 待望の第一志望に入学しました。
その前に入学前説明会がありました。コロナ前年だったので、まだ全体学年で集まってやりました。その時に、春休みの宿題ももらいました。

2月3日に合格がわかって、次の日から長男は遊びまくりました!帰国してみんなに遊ぼうって誘われたけど、塾があり、もともと3分の2は受験しているであろう小学校なので、もう待ってました!とばかりですね。もちろんいいと思います。しかしここで、0にしてはいけなかったなー反省( 一一)。

塾の先生にも少しはこいよ!と言われてましたが
遊ぶのに忙しくて、本帰国したインドの友達やら、春休みは1ミリも宿題もしてませんでした。(→後悔ポイント!行かせるべきでした。)
ここでさせればよかったのかなぁなんて思ったり、でももう中学生だし、そのうちやるだろうと見てたら、全然しません。

学校がはじまり、友達もできて楽しそうに通ってました。朝の7時5分ごろ出発してましたが、朝が弱かった長男、用意した朝ごはん食べず、それでもギリギリに起きて通学してました。友達と約束もしてましたね。

しかし、もともと熱意合格組、そう呼ばれてた…。2日目受験合格組、長男は帰国子女受験・1日目・2日目と学校側に熱意が伝わったのかな?

入学してから勉強あまりしてなくて、最初の5月の試験は最下位。
それから、なかなか10以内下位成績をうろうろしてました。
個人塾に中学2年生のときからいきはじめましたが、中学2年は学校がコロナで数ヶ月休み。その間、学校はオンラインリアル授業ではなく、Youtubeに配信授業で、好きな時間にわからないときは何回も見れるので、そちらにしたが、もともと授業についていけない彼はそんな配信見もせず、課題もおそらくやってなかったでしょうね。
いよいよ、挽回しないと…って本人も思った秋ごろ塾にはいり試験対策をして臨みましたが、なんとコロナ患者がでて定期試験は2日目中止。
11月ごろです。
塾もサボったり、宿題も課題もしない状況でした。

今いる学校で挽回するのは難しい、けど、あの受験のときのように頑張ればいいじゃないかと話したら、
お母さん、無理です。あのときのように頑張ることはできない」と言ったので、もう公立中学に転校しようと、本人は成績以外は楽しく過ごしてた学校なので、かなり抵抗されましたが、じゃあ、勉強がんばらなきゃ、→でも塾さぼる。しない。幼稚園生でもむりな道理だよって、毎月6万円の授業料、高校にそのまま進級できるけど、高校は義務教育ではないので、赤点を3つか4つとると進級できないと言われて、このままいくと心配ですと先生からも言われていた状況でした。
公立の学校だからってそんなに甘くない、でも甘んじてしまった状況を変化させるには環境を変えるのは大事かなという結論で、中学2年12月に退学届けをだしました。
学長が変わって元広報部長だった学長と最後面談したとき、
お力になれずにこのような結果になり、申し訳ございませんでしたと言われました。(心中でほんとだよ!面倒見がいいって有名だったからここに受かれば大学もちゃんといけると思ってたので、私が本当にショックだった)

担任、学年主任、公立にいっても厳しい状況とか言ってたなぁ。
たいてい、高校1年で決める人が多いと学長は言ってた、赤点とって進級できないと決まると転校するらいし。
長くなりすぎて、、
分割するべきだったかな。
あの入学式だけ幸せだったなぁーなんて…
年子の妹は帰国子女枠で合格したので、お兄ちゃんみたいなったら大変といって、入学早々からそわそわして勉強してました。半面教師だわ。
それから、内申等を経て、県立高校へ入学。ちなみにたぶんオール3にちょっとだけ4みたいな成績でした。まぁ、授業態度が悪い!転校初日に寝てたそうで、先生がまるで、1年前からいたように馴染んでましたと言われました。そーいうところは、天才ですね。
今年は大学生、友達つくって生きていってほしいです。
長男のことは、つい長くなりがちです。



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