甲信越をゆく。⑨
今回、旅をしていて気づいたことがあります。それは、
新潟県は、広い。
ということ。
糸魚川市で四苦八苦して(けっこう楽しんでたけど)直江津に来たのに、ここはまだ上越エリアにすぎないっていう。
ここからさらに中越(最大の都市は長岡市)、下越(中心都市は新潟市)、佐渡(佐渡島)があるんだぜ。そのうち行くんだぜ。
令制国時代の越後国は新潟県の本州部分で、まずは国の中心を見ておこうと思ってやってきたわけですよ。
ところが、越後国の中心は新潟市でも長岡市でもなく、上越市にあるのです。
高田市と直江津市が合併して上越市が発足したのが1971(昭和46)年。
2005(平成17)年に周辺の13町村を編入・合併したところ市の面積が約4倍になり、県内では村上市に次ぐ第2位の広さになりました。
今回も一宮、総社、国分寺と片っぱしから見ていこうと思います。
居多神社

なぜだ!? 消えた一の鳥居
撤去跡がコンクリで固められているってことは新調する予定もなし?


でも、いつも見ているのとちょっと形が違う



糸魚川とは違う時間が流れていたようだな
居多神社は能登や越中で見てきた氣多神社と同様、はじめは氣多神社でした。
折口信夫説では「ケタ」は橋桁などの桁(けた)につながり、海岸沿いに鎮座して海から寄り来たる神の足場となるという意味があるとのこと。当然、この社も海沿いにあったわけです。
ところが、慶応2(1866)年に海岸浸食により社殿が崩壊。この地に移ってきたのは明治12(1879)年になってから。現在の社殿もそれ以降の再建ということになります。



同じ時間帯に撮った写真とは思えん
居多神社も彌彦神社(弥彦村)とともに越後国一宮です。
その根拠としては、彌彦神社とともに従四位以下を賜ったこと。そして、越後国府の近くに鎮座していたことから国司の保護を受けたということもあります。でも、それだけではありません。
戦国時代には上杉家の篤い崇敬を受けて、上杉家文書にも上杉定実(越中国守後)の起請文として「当国一宮居多大明神」と記されており、権力者のお墨付きをいただいているのです。


居多神社とどのような関係が?

でもこれも他力本願か
あー、また見ちゃいましたねえ七不思議。
今回は本当に時間がないから全部はまわれないけど、片葉の芦だけでも。


片側だけしか葉が生えてない
親鸞聖人の聖地と知ったからには、もう一つぐらい何か見ておこう。
本願寺国府別院
念仏を唱えるだけで救われると説く親鸞の教えはわかりやすく、救いを求める庶民の間にみるみるうちに広がっていきました。
これに業を煮やした時の権力者(とくに後鳥羽上皇)は念仏禁止の法令を発布し、念仏集団は処罰され、親鸞も越後国府に流罪となったのです。
そんな親鸞が居多神社に参拝したのは先ほど見てきたとおり。
さっそく七不思議をつくってしまうあたり、法難をものともしない心の強さ、しなやかさを感じさせます。


親鸞がこの地に滞在したのは承元元(1207)年~健保2(1214)年ごろ
江戸期に入るや参拝者が増え、文化2(1805)年に本堂建立にいたった

この地では草庵に住み人々に念仏を説きながら暮らしたという
越後国府と国分寺
先ほどの本願寺国府別院の住所は上越市国府。
このあたりに国府があったのではないかと期待したのですが、場所については現時点では比定できていないとのこと。
ならば国分寺はというと、後継寺院としての五智国分寺が上越市五智にあるというので行ってきました。

なんか可愛い(笑)
じゃなくて国分寺は右の道だな
五智国分寺

本願寺国府別院からは800mほどだった

上腕まわりに浮き出た血管がリアル

ベリーダンス系?


本尊は五智如来

初期国分寺の場所が比定できていないのは、衰退して荒れ果てたためと思われますが、これを再建したのが上杉謙信。永禄5(1562)年に現在の場所に再建したといわれています。
本尊は五智如来で、五智国分寺は天台宗か。
それで思い出したぞ、恐山だ。

お地蔵さんみたいに親しみやすくてよかった
2024年6月29日撮影
五智如来とは、大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来からなる五大如来を指していいます。
密教でいうところの五つの知恵を如来に当てはめたもので、仏の中でも位がもっとも高いとされる如来がユニットを組んでいるのだから、これはもう叡智の結晶。そりゃ地名にもなりますよ。

これがないと何か物足りない

江戸の宮大工の技を持ってしても完成に20年かかっている
ここも甲斐国と同様に後継寺院として国分寺の名を残してくれている。しかもパワーアップしてるし。
今日、俺はまたひとつ学んだよ。
継続は、パワーなり!【つづく】
まだ終わりじゃないですよー。総社が残ってますよー(汗
ご当地キャラ・けんしん君
今回あんまりしんみりしませんね。
きっと直江津がいい土地柄だからなんだろうな☆
では親鸞が流罪になったときに処刑された門弟の話でも ←おいやめろ!
越後は謙信公のゆかりの場所でもあるのだから銅像の写真が撮りたいと思ったのに、近くになかったのが残念でした。で、代わりに撮れたのがこれ。

ご当地キャラはひとまずイジれ、が信条の10(ten)Qではありますが、公式サイトTOPページの文言のかっこよさにしびれました。
500年前の戦国時代
「越後国の虎」と呼ばれた上杉謙信公
軍神毘沙門天の化身
義を重んじた名将

そういう土地柄(義の地)なのだな、ここは。
なすべきことをなす。それが義の心。
前回(⑧)、俺はなすべきことをなしたのだ。多分。
ならばこのまま突っ走るぞ!
越後総社府中八幡宮


その向こうにも灯籠と狛犬が




狛犬なのかさえわからないよ

祭神は誉多別尊(応神天皇)
相殿祭神に沼河姫命、建御名方命を配祀
国府に近い神社を総社として利用するケースはすでに見ているのでこちらもそうであると言いたいところだけど、どうにも違和感がぬぐえません。
八幡宮は八幡神を武神に見立てた武将たちが崇敬したから爆発的に流行したのであって、総社を設けなさいと命じられた平安後期にすでにこの社があったのかどうか。
直江津地区連合青年会のホームページによると、
府中八幡宮は、国府が置かれた地区に創建された神社で、直江津の府中八幡宮は720年に宇佐八幡宮、870年に石清水八幡宮を勧請したとされる歴史のある神社です。
年代的には合ってるか。でも、なぜこの場所に八幡神を勧請したのかという謎は残ります。

祭神がかぶってないか?
廃絶された神社にあったものを合祀したのかもしれないな。
あ、そうか。総社も八幡宮に合祀されたと考えればいいんだ。
国分寺があった場所すらどこなのかもわからない今となっては、そう考えるしかないようです。

ん?
ウソだ。まさか、そんなはずは。
府中八幡宮のご神体は……

なんてね☆





石造物の耐用年数についても頭の隅に入れておかないとね。
居多神社の一の鳥居が撤去されたのもそれが理由かもしれないし。
国府もみじ園
ここは個人宅につくられた私設のもみじ園。
裏山に日本全国から収集した30種類のもみじ(約400本)を植樹し、一般公開しているとのこと。

この日は11月13日



そして

こんな素敵な場所を個人の趣味だけでなく一般開放しているなんて、所有者はきっと「仁」の心の持ち主に違いない。
仁の心とは、ほどこしの心。転じて、優しさなり。
犬江親兵衛と呼んであげよう。八犬伝的に。

ことの顛末が知りたくば「山形、ぐるり②」を読まれよ
【結論】越後国府の場所はわからなかったけど、こんなに紅葉がきれいなら国府もみじ園が越後国府でいいや。←おい!
[次回、甲信越編ラスト 越後国一宮・彌彦神社へ ⑩につづく]
