【名画シリーズ】 フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』
フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』
見つめ合わない、ふたりの恋
はじめに
ルーヴル美術館の一室、いつも人だかりができている絵がある。
「ルーヴル展」でも作品の周りに多くの人が集まるほどの人気だったという、フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』。
見た瞬間、たぶん誰でも息を止めるくらい美しい。
陶器みたいに滑らかな肌、抱き寄せる腕、そして額に触れる唇。
恋の一番幸せな瞬間を切り取ったみたいな絵……
でも、実はこの絵、じっくり見るとちょっと切ない仕掛けが隠れてる。
今日はそのあたりまで、ゆっくり紐解いていきます。
作品データ
作者
フランソワ・パスカル・シモン・ジェラール(François-Pascal-Simon Gérard)
制作年
1798年
技法・サイズ
カンヴァスに油彩、186×132cm
所蔵
ルーヴル美術館(パリ)
画家フランソワ・ジェラールについて
ジェラールは18世紀フランス新古典主義を代表する画家のひとり。
その画風は、確かな技量を感じさせる基本に忠実な形態描写と、対象を的確に捉えながら理想化させた表現が持ち味だった。
陶器を思わせる滑らかで流麗、そして少し冷ややかな表現は、時に「無機質的」「甘美的すぎる」とも評されたらしいけど、その反面、当時は肖像画家として国内外から重宝されていたらしい。
見つめ合わない、ふたり
この絵の主題は、美の女神ヴィーナスも嫉妬するほどの美貌を持つ王女プシュケに恋をした、愛の神アモル(キューピッド)の物語。
アモルはプシュケをやさしく抱き寄せ、その額に口づけをおこなっている。
構図としてはすごくロマンチックなシーンなんだけど、よく見るとちょっと不思議な点がある。
口づけをしているアモルの方を、プシュケは見ていない。彼女の視線は宙をさまよっていて、王女には愛の神の姿が見えていないんだ。
これ、単なる構図のミスとかじゃなくてちゃんと意味がある。
美術品に描かれるアモルとプシュケは、決して視線を合わせない、というのがひとつの「お約束」になっていて、それは「愛は目に見えるもの(肉体)ではなく、魂で感じるもの(精神)」というギリシャ哲学の思想を表現しているんだって。
恋してるのに、目は合わない。
でも心はちゃんと繋がってるっていう、なんとも詩的な演出ですよね。
頭上には蝶が舞っているんだけど、これも単なる装飾じゃない。
プシュケ(Psyche)はギリシャ語で「魂」を意味する言葉で、英語の"psychic"とか心理・精神を表す単語の語源にもなってる。
彼女が蝶の羽を持つ姿でよく描かれるのも、蛹から羽化する蝶の姿が「受難を経て神に転生する」という彼女の運命そのものを表しているからなんだそう。
実は結構ハードな試練の連続
この絵、実は神話全体で見るとまだ「序盤」の甘い場面なんだ。せっかくだから、調べてみました。
発端
ある国に3人の王女を持つ王様がいて、末娘プシュケの美しさは愛と美の女神ウェヌス(ヴィーナス)が嫉妬するほどだった。
妬んだウェヌスは息子アモルに愛の矢を持たせ、プシュケを醜い怪物と結婚させるよう命じる。
ところがアモル自身がプシュケに見惚れてしまい、自分をその矢で刺してしまう。
その矢は「最初に見たものを愛してしまう」矢だった。皮肉なはじまり方ですよね。
夜だけの結婚生活
プシュケに恋したアモルは、彼女を自分の宮殿に運び、自分の姿を見ることを固く禁じながら、夜間だけ彼女とともに過ごすという奇妙な結婚生活を送る。
姉たちの入れ知恵と裏切り
次第に家族が恋しくなったプシュケは、渋るアモルに頼み込んで二人の姉を宮殿に招くんだけど、妹の豪華な暮らしに嫉妬した姉たちが、
「夫の正体は怪物で、太らせてから食べるつもりだ、寝ている隙に殺すべきだ」
とそそのかす。
その言葉を信じてしまったプシュケは、寝ている夫を殺そうと蝋燭を持って近づくんだけど、蝋燭の光に照らし出されたのは、美しく凛々しい愛の神の姿だった。
驚いた拍子に蝋の雫を落として夫に火傷を負わせてしまい、目を覚ましたアモルは妻の裏切りに怒って飛び去ってしまう。
試練の旅、そして再会
以後、さすらいの旅に出たプシュケは数々の試練を乗り越えてアモルと再会する。
最終的にアモルは天界の最高神ジュピターのもとを訪れ、プシュケの過ちを許し、永遠に結ばれるよう懇願。
二人の絆の強さを理解したジュピターは願いを聞き入れて祝福を与え、祝宴の席で不死の神酒アンブロジアを口にしたプシュケは神格化される。
結末
めでたく結ばれた二人には「喜び」を意味する子供が生まれ、その後永遠に幸せに暮らしたという。
物語の中では、この子は「喜悦(ウォルプタス)」という名で伝わっている。
神話の中でも、これはどちらかと言えば少数派の、ハッピーエンドの恋物語なんだよな。
怒って、疑って、試されて、それでも最後には結ばれる、なんか、地に足のついた恋愛譚だと思わない?
同じ主題を描いた、他の名画たち
「アモルとプシュケ」は西洋美術で本当に人気のモチーフで、いろんな画家が挑戦してる。
せっかくですので、ジェラールと見比べてみると面白いやつをいくつか紹介します。
アントニオ・カノーヴァ『アモールとプシュケ(アモールのキスで目覚めるプシュケ)』
1793年・彫刻/ルーヴル美術館蔵
→こちらは絵画じゃなくて彫刻。「愛」と「魂」の結合の瞬間をかたちにした作品として有名で、V字に開かれた翼の先まで美しく、動きが感じられる名作。
フランソワ=エドゥアール・ピコ『アムールとプシュケ』1817年/ルーヴル美術館蔵
→夜が明けてプシュケが起きてしまう前に、そっと寝床を這い出るアモール。愛する人の寝顔をいとおしそうに眺める場面が描かれている。ジェラールの絵よりも少し後、二人が結ばれたあとの穏やかな朝を描いてる感じ。
ジャック=ルイ・ダヴィッド『アムールとプシュケ』1817年/クリーブランド美術館蔵
→新古典主義の巨匠、ダヴィッドによる同主題作。ジェラールの師匠筋にあたる画家の解釈も、見比べると発見があるはず。
おわりに
ジェラールの『アモルとプシュケ』は、ただ美しいだけの恋愛画じゃなくて、「見えていない愛」を描いた哲学的な一枚でもあるんだよな。
プシュケの視線が宙をさまよっているあの瞬間、それは彼女がまだ本当の意味でアモルを「知らない」証拠でもあって、この後に待ってる裏切りと試練の伏線みたいにも見えてくる。
一枚の絵の中に、これから始まる長い物語の予感がちゃんと仕込まれてる。
そう思って見返すと、また違う顔を見せてくれる絵だと思います。
皆さんも今度、実物見る機会があったら、ぜひプシュケの視線がどこを向いてるか、確かめてみてほしいです。
