12/7~ 最近見たもの聞いたもの
このnoteには以下のコンテンツのネタバレが含まれるかもしれません。
時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010
一部設営も手伝ったことだし見にいこ〜と思っていたまま時が過ぎ、気がつけば会期終了直前になっていた。
家を出てから「もう今日しか行けるタイミングなくね!?」となり、家には招待券があったはずなのに二千円払って入った。
自分がいつも金欠感を覚えているのはこういうのの積み重ねなんだろうなと思う。
そもそも作品数が多く、しかも映像作品もかなりあったので、合間の時間に行くにはボリュームがありすぎた。全然時間が足りなかった。
しっかり見たければ丸一日とか必要な展示だ。

設営を手伝った中村さんの作品がちゃんとグルグル回っててよかった。
デカい作品というのは設営がめんどくさい。
電気を扱ってる作品は設営がめんどくさい。
なのでデカくて電気を扱ってる作品は設営がめちゃくちゃめんどくさいのだ。
しかし、その分迫力がある。デカいものがウンウン動いているのは。
かっこいいですよ。
シャロン・ロックハートの『Goshogaoka』という映像作品、よかった。
そのうちちゃんと全編通して見たいな。
バスケ部の生徒が体育館で準備運動しているだけの映像だが、その動きは規律正しく、個が薄れている。だがよく見ると揺らぎがあり、個が顔を覗かす。
『No Ghost Just a Shell』というアートプロジェクトも面白かった。
1人の架空のキャラクターをモチーフにした作品を複数のアーティストが作り、輪郭から形作っていくような。
でも正直ふんわりとしかわかっていない。
いくつかの映像作品が展示されていたが、海に向かう後ろ姿とともに転職日記みたいな文章が出てくるやつが特に印象に残った。
最後に振り返った顔がなんか想像と違くて。

島袋道浩という人の作品がどれも好みだった。
今回の展示を見ての一番の収穫はこの人の作品を知れたことな気がする。
スウォンジー・ジャック・メモリアル・ドッグ・スウィミング・コンペティション
2003
1930年代、ウェールズのスウォンジーという町に27人もの海で溺れる人を救ったジャックという犬がいたことを知った。彼は町のヒーローだった。
彼のことを忘れないために町の人たちと一緒に犬の水泳大会を開くことにした。
当日、80匹の犬が集まった。犬たちは順番に泳ぎ、人々は名前を呼びながら犬たちに声援を送る。犬たちもちゃんと分かっているのか、声援に答えて急に張り切って泳いだりする。日曜日の午後、犬たちも人々も本当に自然な感じなので、ずっと昔からここで行われている犬の水泳大会をただ僕が写真やビデオに撮っているかのような不思議な感覚になった。
まだ存在していないのだけど、あるべきだと思うことをあるべくようにやること。何かの加減でたまたまそこにのっかってしまっている埃をフッと払ってやるような感じ。未来を発掘するような感じ。
こんなのとか。
ヘペンチスタのペネイラ・エ・ソンニャドールにタコの作品のリミックスをお願いした
2006 08min. 08sec.
サンパウロ・ビエンナーレに参加した時、新作と共に過去のビデオ作品も出品して欲しいとリクエストされる。ビデオの作品にはポルトガル語で字幕をつける必要があると言われるが、ブラジルには文字を読めない人がかなりいると知り、字幕なんて意味がないと思う。
サンパウロで滞在していたレジデンスの近くの路上でいつも即興ラップのような演奏をしていて、いつも僕が足を止めて聞き、大ファンになった彼ら、ヘペンチスタのペネイラ・エ・ソンニャドールに僕のビデオを見せて、彼ら自身の歌で「字幕」をつけてもらうことにした。
こんなのとか。
なんか思いついた楽しげなことを思いついたままにやってるな〜って感じの人だ。
僕もこういうことこそがしていきたい。
なんか思いついた楽しげなことを思いついたままにやっていきたい。

中風森滋「歩く赤るみの女王」
知り合いの画家の展示。中風さんの絵、とても好きだな〜と思っている。

今回の展示でこの絵が一番好きだった。流れが心地よくて。
中風さんは線に重きをおいて描いている人だからか、その線の流れがとても心地よい。
流れとか、リズムとか、温度とか、生きていることが線から伝わってくる。
線が生きているってすごい感覚だなあと思う。線なのに。
中風さんとも会えたのでしばし話した。
絵画とかってその人自身と密につながっているものなので作家本人と話すと作品の解像度も上がっておもしれーなと思う。
そういえば今回のステートメントがとてもいいなと感じた。
私は世の中の情報量や早さについていけず、想像力もうまく働かない。ささやかでも自分なりの生きている実感を得るために、漫画のキャラクターのような線の絵を描き続けている。
情報過多な今の状況は、思うに過剰な明るさが関係している。昔話の中では、火を灯して対象を「見る」ことで物語に進展が起きたりするが、現実でも、スマホなどの人工的な光で照らすことで、詳細な情報が見えるようになり、様々な事象が明るみになる。
明るさ、引いては火というエレメントが状況の活性化に重要な役割を果たしている。
絵を描くこともある意味、見えないものを明らかにする行為と言える。ただし私は、明るさを通じて、情報を詳らかにするものではなく、生を実感するために、自身の内面や感覚という暗い面に着目した表現を行いたい。
私は幼い頃からキャラクターを線で描いてきたため、手がキャラクターの線を覚えている。画面上で生まれる、交差した線の形は、キャラクターであると同時に、抽象的な形でもある。その曖昧さの中に、私自身の感覚や記憶が確かに働いているように感じる。
明るみになることに暇がない今の状況に対して、そのような暗さを通じて、少しでも生きているということを感じたい。
中風森滋
自分もいつも「世界のスピードについていけないぜ」と思いながら日々生きている。流されるままにふわふわと先へ進んでいる気がする。
僕も絵を描こうかな。
流されずに自分の位置を定義できる、錨としての絵を。
Fumage / シャニソン
I'm a Cutie Finderに続く、二つ目の新ユニットが来た。
うわああああああああああ!!!!!!!
曲がめちゃくちゃ好みだ。衣装やMVのビジュも。
透と霧子にデュオ組ませるの、すごすぎるぜ。
今まであったユニットをシャッフルして新しいユニット作っていきましょう!という中で新しくデュオユニットを作れるのもすごいし、その2人に透と霧子を選べるのはもっとすごい。
だってそんなのって、めちゃくちゃ難しそうだ。
でも難しそうなんてのはきっと、やらない理由にはならないんだよね。
だってこんなにも面白くなりそうなんだから。
「透と霧子が……デュオ!?!?」というだけでこんなにもワクワクしている。
イベントシナリオ「十瞬」も読んだ。いいね。
少し前、僕は自身が出演している短編映画のクラファンページに以下のようなコメントを寄せた。なんだか近い話をしているなと思った。
人は、同じ世界に生きているようでいて、同じ世界には生きていないのではないでしょうか。
それでも共に先へ進んでいくために、自分の生きている世界を伝え合い、他者の生きている世界に関心を向け続ける必要があるのだと思います。
決めつけることもせず、遠ざけることもせず、より良い形を探り続けるために。
人が違えば、目が違えば、見える世界は変わってくる。それは物理的にということだけでなく、心理的にも。
人は日々生きる中で自分だけの色眼鏡を育てていく。
並んで海を見ていたって、隣の人には違う海が見えている。
だが同じ世界を見ることができないというのはただ事実としてあるだけなので実はどうでもよくて、相手の見ている世界を知ろうとするということの方が重要なのだ。
そのためには相手と交流を深める必要があり、しかも言葉での交流だけでなくいろんな形の交流を試みなければなかなか知ることはできないのだ。
たとえばそれこそ並んで海を見てみるとか。
プロジェクト:リフラクションズ全体としてやりたいこともきっとそういうことなんだろうなとも思う。
シャニマスがそれまでのアイマスシリーズと違ってユニットを固定にしてユニットに焦点を当てて描くことにしたのは、交流の中での成長という部分を強く描きたかったからなのだろう。
ユニットメンバーと向き合ったり、ユニットメンバーと一緒に何かを乗り越えたり、そんな中で彼女たちは他者の視点を知り、自分の視点を育てていったはずだ。
そしてそれがある程度の成熟を果たした(とはいえ人との交流にゴールなんてないのだが)からこそ、次はまた別の人と密な交流をしてさらに先に進んでもらいたいということなのだろう。
新たなユニットメンバーとお互いの視点を共有し合い、新たな世界に到達する彼女たちをみるのが楽しみだ。
爆弾(映画)
面白かった。
僕はこの爆弾という映画を見て、シャニマスみたいだと思った。
なぜか。
僕はシャニマスの特に好きな部分のひとつとして、「立ち向かい続ける」を描いているというのがある。
諦めて放棄することなんて簡単なのだ。いっそのことめちゃくちゃに壊してしまうことだって実は簡単だ。
立ち向かい続けるということが一番難しい。
シャニマスには爆弾魔は出てこない。しかし、"簡単には解決できない問題"というのは度々描かれる。
そのような問題にシャニマスのアイドルたちが直面したとき、物語はどのような方向に進んでいくかというと、安易な解決には至らず、例えばこれからも考え続けて行動し続けなければみたいなところに行き着いたりするのだ。
ゲームシナリオとしては「そんなスッキリしないところに落とし込んでいいの!?」と驚いたりもするが、しかして現実においても必要なのはなんだかんだそういうことだろうとも思うのだ。
現実に存在する重要な問題の多くは簡単に解決なんてできない。
そもそもわかりやすい解決やゴールなんて存在しなかったりもする。
"平和を維持する"ということだってそうだ。
平和を壊すより、平和の維持を放棄するより、平和を維持し続けることが一番難しい。
難しいけど、彼らはそこに挑んでいるのだ。挑み続けている。
僕はそれを素晴らしいと思う。美しいと思う。
僕もそうありたいと思う。
そういう姿勢を描いてくれているという点で、この『爆弾』という映画はシャニマスみたいだ、と思った。
そんなふうに類家や等々力を通して警察官のみなさんいつもありがとうと思いを馳せつつ、スズキタゴサクも自分と無関係ではないなと感じた。
僕だって人に殺されて死にたいと思っているし、世界なんてメチャクチャに壊れてしまえばいいとも思っているし。
類家が自分と同じものを胸の内に抱えていると白状してくれたとき、本当に嬉しかったんじゃあないかと思う。
でも僕はスズキタゴサクにはならない。
僕が信じるものを守り続けたいから。
あの館、昨今流行りの物語に入っていくようなタイプの展示みたいだと思った。
「心の形」が現れるところ、良かったな。痛々しかったけど。
聞くところによると原作には続編があるらしい。
爆弾2。これの、2!?
気になる。
原作も読みたい。無印も2も。
アイドルマスター シャイニーカラーズ コヒーレントライト」#22
アイドルマスター シャイニーカラーズ コヒーレントライト」#22 ゆく先の理由(前篇) 本日更新です!!ご感想なども是非 #コヒーレントライト をつけてお願いします!
— 緒原博綺 / Ohara Hiroki (@Hiroki_PLT) December 9, 2025
#シャニマス https://t.co/PxEDdr1Iu3 pic.twitter.com/j7fR9izWZS
愛依ちゃん、ありがとう。にちかの手をとってくれて。
恋鐘がお姉ちゃんしてくれてるの嬉しい。
金の糸 銀の糸 / 齋藤なずな
感想書こ〜と思っていたのにどこにも書いていなかったので今書く。
これもなんかシャニマスみたいだと思ったんだよな。
なんでもかんでもシャニマスみたいと形容するのもよろしくないと思いつつ、思ってしまったことは思ってしまったのだ。
だってこれも、繋がりと交流が世界を広げてくれる話だから。
そして誰かによって広がった僕の中の世界は、その人がいなくなったとしてもそこを土台にしてさらに広がり続けてくれるのだ。
あすけん
食事を記録するアプリ。
インターネットでよく見かけるのでもちろん知っていたもののなんとなく入れていなかったが、別になんでもないタイミングでなんとなく入れてみた。
入れた直後、コンビニおにぎり2個を朝食として登録したらそれだけで朝食の塩分許容量を超えていて驚いた。おにぎり2個で!?
塩分許容量って思ったよりずっともっと少ないんだ。
塩分を摂りすぎると疲れやすくなるとかいう話をどこかで目にしたことがあるが、もしかして俺ってずっと塩分過多デバフを受け続けていたのか?
あすけんを参考に塩分を控えて自分を観察してみようと思う。
以前ににゃるらさんが「自分は食への興味が薄いからあすけんで栄養バランスを整えるのに有利だ」みたいなことを言っていた気がする。
それで言うと僕も有利なのだろう。「これが食べたい!」みたいなのがない食事の方が多いし。栄養を摂ることを優先できる。
そう思うとバランスよくステータスを上げていくゲームみたいに見えてきて楽しいかもしれない。
健康をハックしてやるぜ!
もしこれで劇的に体調が良くなってきたら、今まで失ってきた健康の方に目を向けてしょんぼりしてしまうかもしれない。
いや、まだわかんないけどね?
如月千早のTHE FIRST TAKE
ありがとう、如月千早さん。約束を聴くと泣いてしまう。
声の、伸びが、すごいぜ。
歌を楽しんでいることが伝わってきて、嬉しいぜ。
如月千早武道館の現地チケットを入手できた。楽しみだぜ。
都市伝説解体センター 第4話
お!コトリバコじゃん!インターネット都市伝説といえばみたいな題材
あと2枚って言ってた!?6話か7話くらいで終わるのかな。あと何話あるのかも知らない。
体格良さげな成人男性をカバンで殴り飛ばすなんて、あざみーもやるようになったね。
1人で調査に赴いたりしたことで度胸がついてきたのかな。
1人で村を調査しに行くパート、心細かったな〜。蔵の扉が閉まったところかなりドキドキした。
ボヤボヤした全景が徐々にはっきりしていくようなプレイ感が心地いいね。
それはつまり都市伝説を解体するっていうそれそのままなんだけど。
トリツカレ男
良かったぜ。良い映画。
トリツカレ男というアニメ映画が良いぜ!という噂をチラホラと耳にしつつもホンマかいなとしばらく様子を見ていたが、監督が映画クレしん天カス学園の人だと知ってじゃあ行ってみっかとなった。ら、良かった。
タイトルとメインビジュアルくらいしか知らないまま行ったこともあってか、全然展開が読めなくて楽しかった。え!?そうなんの!?とかなりの頻度で思ってた。
中盤あたりで大きい問題が出てきて「なるほどこれを解決する話なのか」と思えばあっという間に解決して「じゃあこの先何すんの!?」ってなってた。僕が大きい問題として受け取ったものもその後の話の1ピースに過ぎなかったのだ。
ツイスト親分の描きかたよかったな。
クレしん映画をやってた監督だという先入観もあったからか、映画クレしんの敵役みて〜だと思いながら見ていた。
変さとかっこよさを兼ね備えた魅力的な敵。
タタン先生、かっこいい男だったぜ。
ジュゼッペ、バカな男。でもかっこいいぜ。
最近自分が読み返してることもあり、からくりサーカスっぽさも感じていた。
タタンもジュゼッペもペチカも好きになった。
というかみんな好きになった。
映像がずっと楽しくてよかったな。
恐山口寄せ旅行録
「口寄せって質問するものじゃなくて伝えに行くものなのかも。」っていうの、いい気づきだな。
僕ももし死者と対峙できたら(たとえば亡き父とか)、訊きたいことより報告したいことのほうが溢れそうな気がする。
不思議だね。報告は墓石にだって海や空にだってできるのに。
受け取ったよっていうしるしが欲しいのかも。
読み違えでなければこのnoteに書かれているSさんは僕にとっては親の知り合いで、作品をいくつか知ったりしていつか話してみたいなと思っていた人だった。
一方的に好意を抱いていて、亡くなったと知ったときは勝手にショックを受けていた。
でもなんか、あたりまえだけど、Sさんとはもう僕は話せないけどSさんと話した人とは話せるんだなと思った。
天井桟敷の人々
古くて長い映画。3時間ある。途中休憩もある。
知り合いから勧められて早稲田松竹で見た。
正直途中までは「なかなかいいじゃんよ」くらいの温度感で見ていた気がするが、終盤がすごい。かなりすごい。
ナタリー……。
ナタリーとバチストってこれからも一緒に暮らすのかな。キツすぎる。
一緒に暮らすにしてもバチストがいなくなるにしてもナタリーと息子にとっては辛すぎるよ。
ナタリー……。
バチストの表情がどこも良かったな。
アイドルマスター シャイニーカラーズ 事務的光空記録 第17話⑤
ここからはじまる、線たちの物語(0/2)#シャニマス #ジムシャニ pic.twitter.com/L3g74fhr7L
— アイドルマスター シャイニーカラーズ 事務的光空記録【公式】 (@jimushiny_oa) December 13, 2025
「resonance」という言葉の意味を、調べたことがなかった。
"共鳴"のことらしい。
つい最近、僕という人間について知人と話していたときに「きっとキミは"共鳴"したい人なんだね」と言われた。
「それだ!」と思った。そのフレーズがとてもしっくり来た。
そんなことがあったのだった。そんなときにこの話を読んだ。
最近、僕は誰かと関わっているときに、その人自身にはあまり興味がないんだなという自覚が出てきた。
でも、その人が出す音には興味がある。その人から今鳴っている音。
そしてその人がこれから鳴らす音。
その人の今にしか出せない音。その音が僕のどこかを震わせる。
人間は複雑な楽器なので、相手に共鳴してどこかが鳴ると連動してまた別の音が鳴る。
その音に連動して相手からまた新しい音が聴こえる。
どこかが同じで、どこかが違うから、共鳴からここだけの音楽が生まれる。
別に心地よくなくたっていいのだ。別に歪であったっていいのだ。分かり合えなくたっていい。
向き合っていなくたっていいし、同じ方向を向いていなくたっていい。
同じ空間だったり同じ時間だったりを共有さえできて、新しい音が聴こえてきたらそれだけでとても嬉しい。
共鳴したい。あなたの音と。
あなたの音を一緒に探しに行きたい。その音が聴きたいから。
あなたの音を出すための手伝いがしたい。その音に出会いたいから。
あなたの音をそばで聴かせてほしい。その音に共鳴したいから。
あなたの音が世界に響き渡るところを一緒に見ていたい。
