ポケモン初代をプレイしてみたら、理想のオープンワールドだった件
2026年2月27日、ポケモン30周年のPokémon Dayに、Nintendo Switch版『ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン』(FRLG)が各2,000円で配信された。
これを遊んでいて、ふと違和感に気づいた。
最近のオープンワールドゲームよりも、こっちのほうが「広い」と感じる。
少しややこしいけど整理しておくと、Switch版FRLGは、2004年のゲームボーイアドバンス版『ファイアレッド・リーフグリーン』をそのまま再現したもの。そしてFRLGそのものが、1996年のゲームボーイ版『赤・緑』のリメイクだ。
つまり、骨格は1996年のゲームボーイ版のままだ。30年前のゲームの設計が、最新のオープンワールドより広く感じる、というのはどういうことなのか。
少し腰を据えて考えてみたら、言いたい結論はひとつにまとまった。
ポケモン初代は、すでに「オープンワールド」の理想形だった。
何が良かったか、9つの観点で書く。
1. 街と街のあいだに「冒険」がある

最近のオープンワールドでは、街と街のあいだは「移動コスト」として扱われがちだ。馬で駆け抜けるか、ファストトラベルで一瞬で飛ぶ。
ポケモン初代では、街と街のあいだ=「◯番道路」が、ゲーム体験のメインステージになっている。
草むらの野生エンカウント=レベリング
隠しアイテム
視線が合うと戦闘になるトレーナー
道の構造そのものがパズル (22番道路の連戦、トキワの森、岩山ルート)
つまり「街と街のあいだ」が「やること」だらけ。移動=冒険という古典的な構図が、ちゃんと機能している。
最近のオープンワールドは、街と街のあいだを「広い空白」にしすぎている。広い≠濃い。ここを対比すると、何が捨てられたのかがよく見える。
2. ジムリーダー以外にも、サブクエストが「ちゃんと」ある

メインの軸は8人のジムリーダー攻略。だが、それだけじゃない。
シオンタウンのポケモンタワー (呪われた話 → ロケット団撃退 → カラカラのお母さんの幽霊)
ヤマブキシティのシルフカンパニー (ビル制圧、ロケット団本部殲滅、ミュウツーの伏線)
セキチクのサファリパーク (限定ポケモン+独自捕獲ルール)
グレンタウンのポケモン屋敷 (ミュウツーの研究日誌)
自転車引換券クエスト
ゲームコーナーのコイン交換ポケモン
カビゴンを「ポケモンの笛」で起こす12・16番道路
これらは「メインの脇に置かれたサブ」ではなく、「メインと同格のサブ」だ。だからこそ世界に横の厚みが出ている。
「メインクリアまで90時間、サブも入れると300時間」みたいな膨張ではなく、「全部入れて40時間で終わる、けれど密度が高い」という方向の厚み。今はあまり見かけない設計思想。
3. 初心者救済が「配置」で行われている

ここが個人的にいちばん感心したポイント。
ポケモン初代は容赦なく難しい。けれど救済要素もちゃんと用意されている。しかも、UIや課金ではなく**「配置」で。さらに細かく見ると、ただ「強いポケモンが手に入る」のではなく、「次のジムへの明確な対策」がちょうど直前で取れる**ように配置されている。
バリヤード/ポリゴン交換: ハナダの脇道、グレンのゲームコーナー。エスパー&ノーマルの強力ポケモンが、まだ序盤の場所で手に入る。
ディグダの穴: 単なる「ニビ⇔クチバ間のショートカット」じゃない。これがクチバジムの直前に開通するのは、たぶん偶然じゃない。クチバジムリーダーのマチスはでんきタイプ使い。ディグダ・ダグトリオはじめんタイプで、でんき技を完全無効化できる。「次のジムへの対策ポケモンが、まさに直前で手に入る」設計になっている。
しかも、この穴のもうひとつの機能は、それまで段差や一方通行で戻れなかったトキワやニビまで戻れる手段を提供することだ。初代は迷子防止のために段差で戻れないマップ構造になっている場所がいくつもあって、序盤の街には簡単に戻れない。ディグダの穴で、初めて「往復できる世界」になる。マップ構造そのものが計算されている。
サファリパーク: ケンタロス、ガルーラ、ストライクなど通常エンカウントでは手に入りにくいポケモンを補充できる、というだけじゃない。直近のジムリーダーであるキョウ(セキチクシティ)はどくタイプ使い。これに有効なのはエスパー技。サファリパーク内にはタマタマ(くさ/エスパー)が配置されていて、ご丁寧に「リーフのいし」も内部に落ちている(タマタマ→ナッシーに進化させればさらに強い)。エスパー技(「ねんりき」「サイケこうせん」)を覚えるコンパンも一緒に出現する。
「次のジムへの対策はこっちに用意してありますよ」というメッセージが、強制ではなく配置で伝えられている。
UIで救済する(難易度選択、自動回復、戦闘スキップ)のではなく、「場所と入手手段の配置」で救済する。
これがオープンワールドの本懐じゃないかと思う。プレイヤーに「自分で見つけた」と思わせる救済。難易度の調整が、世界の作り方そのものに溶けている。
4. 「ちょっと一工夫」が「ちゃんと」必要

逆に、難しさも「配置」で表現されている。
シルフスコープがないとポケモンタワー深部に進めない → ロケット団のアジト攻略が前提
ポケモンの笛がないとカビゴンが起きない → 別ルートのクエスト報酬
ひでんマシンが、ジムでなく民家やNPCから手に入る → 「ジムバッジ → 技マシン自動取得」の単純対応にしない。寄り道が前提
「次に何すればいいかわからない」が、適度に発生する。けれど詰まない。誰かと話したり、戻ったりしているうちに、必ず次の糸口が見つかる。
これが「お使い感」のないクエスト設計。マップにマーカーを出す代わりに、世界そのものをパズルにしている。
ヒントは出すけれど、答えは出さない。この距離感のチューニングが、初代は本当にうまい。
5. ひでんわざは「世界を広げる」装置

ひでんマシンで覚えられる「いあいぎり」「いわくだき」「なみのり」「かいりき」「そらをとぶ」「フラッシュ」。これらは戦闘技というより、フィールドで使う鍵だ。
いあいぎり → 細い木が切れて、新しいルートが開く
なみのり → 水路を渡れる
かいりき → 岩を押せる
いわくだき → 岩を壊して道が開ける
そらをとぶ → 一度行った街にワープできる
フラッシュ → 暗い洞窟が明るくなる
仕組みとしては、おそらく『ゼルダの伝説』(1986)の系譜にある「アイテム獲得 → 新エリア解放」の発展形。ジムバッジで段階的に解放される設計と組み合わさって、ひとつの強力なゲートロック構造を作り出している。
ここで起きていることを、もう少し抽象化するとこうなる。
同じマップが、ひでんわざを覚える前と後で違う場所になる。
ニビとハナダのあいだに小さな木があって、最初は通れない。ハナダのジムを越えて「いあいぎり」を覚えると、その木が切れて新しいルートが開く。プレイヤーから見れば、それは「新しい場所が増えた」ように感じる。
けれど、データ上は同じマップだ。マップは増えていない。意味だけが追加されている。
これはROM容量1MBという制約のなかで、世界を「広く感じさせる」ための極めて効率的な手段だ。同じピクセルデータに、複数の状態(アクセス可能/不可能、見える/見えない、行ける/行けない)を持たせる。プレイヤーは「世界が広がった」と感じるけれど、開発者はROMを増やしていない。
「広い世界」は容量で作るんじゃない。意味の重ね方で作れる。
これも、1996年にすでに完成されていた設計上の発見だと思う。今のオープンワールドでもこの発想は通用するし、むしろ容量が潤沢になった今こそ忘れがちな視点だ。
6. ライバルは「プレイヤーが手に入る範囲」でしか強化されない

これは遊び直して再発見した観点。
オーキド博士の孫(ライバル)が連れてくるポケモンを、序盤から終盤まで追いかけてみると、すべて、その時点でプレイヤーも入手可能なポケモンで構成されている。
序盤(22番道路・ハナダ): 御三家+ポッポ+ケーシィ+コラッタ
中盤(サントアンヌ・ポケモンタワー): 御三家進化形+ピジョン+ユンゲラー+ラッタ、後にタマタマ・ガーディ(or ギャラドス)が加わる
シルフ・22番道路2回目: 御三家最終進化+ピジョット+フーディン+ナッシー+ガーディ/ギャラドス+サイホーン
ポケモンリーグ初回: ピジョット+フーディン+ナッシー+ギャラドス(orウインディ)+サイドン+御三家最終進化
特別な伝説や図鑑外のポケモンを、ライバルは一切持ってこない。プレイヤーは**「同じ駒で勝てる」ことが保証されている**。それでも難しい。
世界の論理が一貫している、ということ。プレイヤーが頑張れば乗り越えられる、という暗黙の約束をゲームが裏切らない。
これは現代のゲームでも案外できていない設計上の美徳だと思う。「ボスだけ専用ポケモンを持っている」みたいなことを、初代はやらない。
7. 愛着ポケモンで進めば、自然と「縛り」が入る

これも遊び直してわかったこと。
ポケモン初代を「最適解で攻略する」なら、各ジムに対する対策ポケモンを乱獲して、ジムごとに入れ替えて進めばいい。これはイージーモード。
けれど、ほとんどのプレイヤーはお気に入りのポケモンを連れていく。理由は単純で、愛着が湧くから。
そうなると何が起きるか。
パーティ6体の枠が、好きなポケモンで埋まる
必然的に「苦手タイプのジム」が発生する
レベル上げや技構成の工夫で押し切るか、補助ポケモンを1枠だけ入れて妥協するか
「ストーリー進行用」「対ジム用」「サブクエ用」を6枠でどうやりくりするかの判断
つまり、プレイヤーが自然に「縛り」を選ぶ難易度調整が、設計に組み込まれている。
これは「縛りプレイ」と呼ばれる遊び方が後発で発生したのではなく、最初から想定された遊び方だ。プレイヤーの感情(愛着)を、難易度の自動調整器として使っている。
これも今のゲームではあまり見ない設計。「プレイヤーがどう感情を動かすか」までを織り込んだ難易度設計は、けっこう難しい。
8. 「歯ごたえ」が「ちゃんと」ある

ポケモン初代は、おもちゃの系譜のゲームだ。
最近のゲームのいくつかは、映画の系譜にある。シナリオを最後まで通して「体験する」ことが目的。一周クリアすれば概ね終わり。重厚なナラティブ、映像、音楽。これはこれで素晴らしい。
ファミコン以降のおもちゃ系譜のゲームは違う。何度も遊ぶ・組み合わせる・試す・破ることが前提。だからこそ歯ごたえが大事。簡単すぎたら、おもちゃとして物足りない。
初代ポケモンは:
151匹のうち、自分でどの6匹を選ぶか
レベル差・タイプ相性・技構成の3軸を組み合わせる
ジムリーダーごとに最適パーティが変わる
友達との通信交換・対戦が前提
つまり「リプレイ性」と「組み合わせの自由度」がコア。クリアして終わり、じゃない。
これは映画の系譜のゲームでは設計できない。おもちゃは「終わらない」ことが価値だから。
9. 世界に「ニヤッ」がある — 裏話・メタ要素・音楽

最後の観点。これは攻略とは別の、世界の「厚み」の話。
初代ポケモンには、メインストーリーに関係ないけど、見つけると「ニヤッ」とする要素がそこら中に埋め込まれている。
ライバルのラッタが、シオンタウンの墓地以降パーティから消える
サントアンヌ号までライバルは「ラッタ」を連れている。けれどシオンタウン(=ポケモンの墓地がある町)を境に、ラッタは手持ちから消える。代わりにラッタが居た枠は別のポケモンで埋まる。
これがいわゆる**「ライバルのラッタ死亡説」**。公式が明言しているわけではない。けれど、ポケモンタワー6階でライバルと戦った後、ライバルは何も言わずに立ち去る。タワーは「ポケモンの墓地」だ。彼が何をしに来ていたのか、明示はされない。
公式『ポケモンだいすきクラブ』でも「ホラースポット」紹介で、オカルトマニア風のキャラが「大事にしていたポケモンに会いに来たのかもしれない」と語っている。公式は否定も肯定もしない。けれど、データの推移として確実に「ラッタが居なくなっている」事実だけがある。
これがすごい。明示せず、データの動きだけで物語を語る。プレイヤーが気づかなくても進行に支障はない。けれど気づいた瞬間、世界が立体になる。
タマムシシティのゲームフリーク社
タマムシシティに「タマムシマンション」というビルがあって、表口から入ると**「ゲームフリーク」**(=このゲームの制作会社そのもの)というオフィスがある。中に入ると、開発者っぽいキャラがメタ的な台詞をしゃべる。通信ケーブルの説明をしてくれたり、ゲーム制作の話をしたり。
ゲームの世界の中に、ゲームを作っている会社が建っている。自分が今プレイしているこのゲームを作った人たちが、ゲームの中にいるという入れ子構造。
任天堂/ゲームフリークが自分たちを世界に登場させているのは、当時のゲーム文化を考えると、なかなか粋なメタ要素だ。
音楽がすごくいい
最後にこれ。
1989年のゲームボーイはサウンドが4チャンネルしか出せない。矩形波2つ、波形メモリ1つ、ノイズ1つ。この制約の中で、初代ポケモンの音楽は驚くほど良い。
シオンタウン、ポケモンタワー、サイクリングロード、ポケモンセンター、各ジム、ライバル戦、チャンピオン戦。どの曲も、30年経った今でも一聴で「あ、この曲」とわかる。
これも「制約のなかで設計を尖らせる」一例だ。チャンネル数が少ないから、メロディ・リズム・対比の組み立てに全力を注がざるをえない。結果として、音色は素朴でも、構造として強い曲ができる。
サウンドの容量が潤沢になった今でも、4chの初代ポケモンの曲を超えるのは難しい。これも「性能が必ずしも面白さに比例しない」ことの一例だと思う。
まとめ:ゲームボーイで作りきった完成度

ここまで9つの観点を見てきた。
驚くべきは、これがすべて1996年のゲームボーイで実装されていたということ。
数値で見ると、こんな感じだ。
ゲームボーイ(1989) vs Nintendo Switch(2017) の主要スペック比較
CPU: 8bit / 4.19 MHz → ARM Cortex-A57 4コア / 約1.02 GHz (約250倍)
RAM: 8 KB → 4 GB (約52万倍)
ROM/ストレージ: 1 MB(赤・緑カートリッジ) → 32 GB (約3万倍)
画面解像度: 160 × 144 = 約23,000ピクセル → 1920 × 1080 = 約207万ピクセル (約90倍)
色数: 4階調モノクロ → 約1,677万色 (約400万倍)
サウンド: 4チャンネル → 5.1ch対応
すべての数値で、最新機が圧勝している。けっこう極端な差だ。
それでもなお、「広く感じる」のは1996年のゲームボーイのほうだった。
ここから言えることはふたつある。
ひとつ。面白いゲームに、性能は必ずしも必要ではない。
これは性能批判ではない。性能があれば表現が広がるのは事実だ。最新機の表現でしか伝わらない感動も間違いなくある。けれど、面白さの中核は性能の外にあるという話は、1996年の初代ポケモンがすでに証明している。
ふたつ。1996年の段階で「オープンワールド」の骨格は完成していた。
最近のオープンワールドが採用している良い設計のほとんどは、初代ポケモンに原型がある。「街と街のあいだに冒険を埋め込む」「メインとサブを並列に置く」「配置で難易度を制御する」「同じマップに意味を重ねて世界を広げる」「世界の論理の一貫性で公平性を担保する」「プレイヤーの感情を難易度調整器として使う」「裏話とメタ要素で世界を立体化する」。
「広い」を「広い」で実装するんじゃなくて、「広い」を「濃い」で実装する。ひとつの要素にいくつもの役割を兼ねさせる。同じデータに複数の意味を重ねる。これは性能を上げてもできない設計の話で、設計者がそういうふうに考えるかどうかにかかっている。
Switch版FRLGは2,000円。Switch / Switch 2 のどちらでも遊べる。プレイ時間は40時間ほど。
最近のオープンワールドの「広いけど何もない感じ」に違和感があるなら、いちど初代を遊び直してみることをおすすめします。たぶん見え方が変わる。
30年前のゲームから、今のゲーム設計が学べることがまだ残っている。
僕たちの心に北極星のようにきらきら残り続けるのは、ほんとうに楽しんで作ってくれたゲームだからだと思う。
一作目で完成度高く、いつまでも遊ばれるこのゲームを、また、いつか思い出すだろう。

書いた人: osakenpiro (@osakenpiro) ADHD Web Developer & Independent Philosopher
