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限界集落の共同浴場で番台をすることになった

「あ、晴れてきた」

長いトンネルを抜けた直後、前の座席から子どもの声が聞こえてきた。

ついさっきまで今にも雨が降り出しそうな鉛色の空だったけど、トンネルを抜けた先は明るい光がさしていて、窓についた雨粒をキラキラと照らしている。

私は今、特急列車の始発便に乗って福島県南会津町にある「湯ノ花温泉」に向かっている。
温泉旅行ではない。"番台"をやるためだ。

事の発端は今年の春。
動いてる時間より止まっている時間の方が長くなってきた私のオンボロパソコンに1通のメールが届いた。

「湯ノ花温泉に来てみてくれませんか?すごく良いところなのにお客さんが全然来なくて、このままじゃ限界集落になりそうなんです」

メールの送信元は那須塩原にある「赤沢温泉旅館」のオーナー。なぜ栃木県民が福島県のことを気にかけているのかは謎だったが、その旅館のことを調べてみると、どうやら人懐っこい猫がたくさん居る旅館のようだった。

限界集落の温泉か…喉から手が出るほど気になる。そしてあわよくば赤沢温泉旅館に招待されて猫まみれになりたい。というわけで、湯ノ花温泉に足を運んでみることにした。

初めて訪れた春の湯ノ花温泉は、まるで「日本昔ばなし」の世界だった。山に囲まれ、畑が広がり、あちこちで桜が咲き誇り、川のせせらぎと鳥のさえずりが鳴り響く。こんな場所がまだ日本に残っていたのか。

集落には4つの共同浴場があり、300円でチケットを買えばその日は入り放題。すべて加水・加温なしの源泉かけ流しで泉質も抜群だ。

空気も食べ物も最高においしい。
村人も優しい(2人くらいしか喋ってないけど)。
よし、決めた。

「私、ここで番台やります」


というわけで、今は南会津へと向かう列車に揺られている。

実を言うと、ずっと番台の仕事に憧れを抱いていた。番台に座って、入浴料を受け取り、常連客と二言三言交わすあのポジションに憧れていたのだ。

滞在中は、昔民宿を営業していた民家でお世話になることに。庭で掃除をしていた元女将のトキエさん(82)に挨拶しに行くと、ブーンと飛んできたカメムシがトキエさんのエプロンに止まった。私が「あ、カメムシ」と指差すと彼女は「あぁ」と手でカメムシを払い、地面に落ちたそいつを足で踏みつけてザリザリ…ザリザリ…と土に擦り付け、何事もなかったかのように話を続けた。田舎ってすごい。

こうして湯ノ花温泉での番台生活がスタートした。


5:00 番台の朝は早い

番台の朝は早い。というか、湯ノ花温泉の朝は早い。

AM5:00、アラームで目が覚める。窓の外はまだ真っ暗だ。温かい布団から手を伸ばして、そのへんに放り投げてある半纏(メルカリで1500円)を手繰り寄せ、布団の中に沈める。

昨日の朝はマイナス4度だった。今日はいったい何度なんだろう…。ひんやりとした半纏をお腹のあたりで温めながら、少しずつ目と頭を覚ましていく。

早起きの理由は、"風呂掃除"だ。

湯ノ花温泉は共同浴場なので、民間が運営している温泉施設とは異なり、地域の人々が維持管理をすることになっている。湯ノ花温泉は6:30〜入浴可能となっているため、間に合うように清掃をしなければならないのだ。

顔も洗わずに適当に髪を束ね、少しだけ温まった半纏を羽織り、「さぶさぶさぶ…」と体をさすりながら早足で車へ向かう。エンジンを付けた瞬間エアコンの吹き出し口からとんでもない冷風が吹いてきて、思わず悲鳴を上げた。


5:30 共同浴場で早朝掃除

清掃はそれぞれ共同浴場の周辺に住んでいる人が当番制で回していて、掃除をする人は無料で温泉に入れる決まりになっている。なので、この集落の住民のほとんどが毎日無料で温泉に入っているというわけだ。

湯を一旦すべて抜いてから、プラスチックのブラシを使って浴槽をゴシゴシと磨いていく。静かな夜明けに、お湯がドバドバ流れる音と、ブラシが擦れる音が響く。

初めて湯ノ花温泉に入ったとき「空気が綺麗だ」と感じたことを思い出していた。建物は古いのに、空気の淀みを感じない。それはこうして毎日浴槽や床を磨いていたからなのだなぁと実感する。

目に見えなくても伝わるものがある。
ブラシをぎゅっと握り直して、より一生懸命床をこすった。

温泉の湯気に包まれながら掃除をしていたら体がぽかぽかしてきた。あとは脱衣所をほうきで掃いて、ロビーにモップをかけて、玄関の落ち葉を片付けて、最後に浴槽の温度を確認すれば任務完了だ。

朝から掃除ってのは案外気持ちがいい。
外に出たら、空が少し明るくなっていた。

風呂掃除が終わって下宿先に戻ってくるのがだいたい6時前。ほんのりと自分の温もりが残った布団に滑り込む。

朝食の時間までまだ1時間以上あるので、もうひと眠りする。


7:00 おばあちゃんの朝ごはん


「ご飯だよ〜」

1階でトキエばあちゃんが叫ぶ声で目を覚ます。

「はーい!」と大きな声で返事をして布団から出る。こういうとき「決して寝起きじゃありませんよ」みたいな小芝居をしてしまうのはなぜだろう。

居間には薪ストーブがついていて、入った瞬間にほわっと温かい空気に包まれる。「はいどうぞ」と置かれた味噌汁からはもくもくと湯気が立ちのぼっている。実家に戻ったような気分だ。

40年近く民宿の女将を務めていたトキエばあちゃんは料理が上手だ。もう82歳になるそうだが、新聞や雑誌のQRコードを読み込んで新しいレシピを習得しているらしく、食卓にはバラエティに富んだ料理が並ぶ。

こたつに足だけ入れてソファに座るトキエばあちゃんは、テレビを眺めながら、たまに「あらー」「はぇー」などと呟いている。子どもや赤ちゃんが好きなようで、情報番組で子どもが映ると「きゃは」と高い声を出して喜んでいた。

「はぁー寒かったー」

おじいちゃんが肩をすくめながら帰ってきた。腕にぶら下がったカゴにはツヤツヤのきのこがこんもりと入っている。

「わ、すご。これなんですか?」

「なめこ。スーパーのと違って大きいでしょう」

おじいちゃんは裏山で数種類のきのこを栽培している。それをトキエばあちゃんが水にさらし、何度も水を取り替えて、土を落としていく。きっと今日の晩御飯はなめこ汁だ。

「ごちそうさまでした!」と皿を下げて自分の部屋に戻る。今日は天気が良いから洗濯物を干してから出発しよう。


9:00 番台に出勤

湯ノ花温泉には4つの共同浴場があり、私は「弘法の湯」という一番広い浴場で番台をしている。入口入ってすぐ2畳ほどのちいさなスペースが番台の持ち場だ。

役場の方が撮ってくれた

日中の仕事は主に3つ。入浴券の販売、浴槽の温度管理、観光案内。

湯ノ花温泉は近隣の民宿や飲食店で入浴券を購入するシステムなのだが、これがまぁ素人泣かせなのである。

購入場所は一応10ヶ所くらいあるが、色褪せたA4の紙で入浴券販売店と書いてあるだけなので、初めて訪れた人の9割が戸惑い彷徨う。

というわけで、私が番台として弘法の湯で入浴券を販売することになった。チラシの裏に「入浴券販売中」と書いた紙を入口の扉に貼りつける。

…。

………。

番台に座って1時間が経った。お客は1人も来ない。

そう、湯ノ花温泉は人がいないのだ。これといった観光名所があるわけでもないし、特別アクセスが良いわけでもないし、特別PRに力を入れている雰囲気もない。

大きなあくびをして、涙でぼやけた視界のままぼんやりと空の下駄箱を見つめる。

よし、散歩でもするか。


10:00 お茶飲んでいがね?


「みさおさーん、こーんにーちはー」

集落唯一の売店である「大山商店」にやってきた。ドアを開けるとチャイムが鳴って、レジの奥から店主のミサヲばあちゃんが出てきた。

「あらおはよう。今朝は寒かったべなぁ」

「すんごい寒かったですよねぇ。お茶くださいな」

「ほい、150円ね」

「はーい」

昔は集落内にいくつか商店があり、移動販売も活発だったらしいが、今はこの大山商店のみ。独占状態なのに意外と良心的な価格設定なのでありがたい限りである。

「お茶飲んでいがね?」

ミサヲばあちゃんがレジの向こうからホレホレと手招きしている。湯ノ花温泉の人たちは、すぐお茶に誘ってくれる。お言葉に甘えてレジの後ろに回り居間へ上がった。

ミサヲばあちゃんは、温かいお茶とちょっと高級なミニ大福を出してくれた。そしてなぜか高麗人参の健康食品のサンプルをもらった。

ミサヲさんっていつも何時にお風呂に入るんですか?と尋ねると、少し考えて「水戸黄門が終わってからだな」と答えた。「あれ、いっつも同じようなことばっかやってんだけどよ、なんかおもしれぇんだよな。ハハハ」。

小一時間話していただろうか。「そろそろ戻ります」と告げると「これ持ってぎな」と私の手にミニ大福を5個乗っけた。

「いいって、ミサヲさん食べてないでしょ」と言ったら「いいがら、1個食ったし」と返された。1個しか食べてないじゃん。湯ノ花温泉の人々はよく食べ物をくれる。

ありがたく受け取って番台へ戻った。

11:00 町外からのお客さんがちらほら

お昼近くなってくると、町外からのお客さんがちらほらとやってくる。

「どこから来たんですか?」なんて会話をしながら、自分が旅をしていたときのことを思い出す。こんな風に地元の人が話しかけてくれるのが嬉しかったなぁ。

私は湯ノ花温泉の地元民じゃないけれど、こうして居住地以外で働いてみると、地元民になった気分を味わえる。人生は1つしかないのに、いくつもの人生を体験できているみたいだ。

番台に座っていて気付いたが、湯ノ花温泉はリピーターが多い。

「ここの温泉はよく眠れるのよ。湯ノ花温泉に来た日はね、ふかーく眠るの。夢も見ないくらいね。無色透明で香りもあんまりしないんだけど、強力なのよね」

私に湯ノ花温泉の泉質の良さを力説してくれたマダムは、毎週栃木から2時間弱かけて通っているのだと言う。泉質が良くて、いつも空いてて、入浴料300円だなんて、温泉好きからしたら天国だろう。


14:00 おやつ時はシニアタイム

14時頃になると地元のじいちゃんばあちゃんがやってくる。この時間帯を私は勝手にシニアタイムと呼んでいる。

世間一般では65歳以上をシニアと呼ぶが、湯ノ花温泉での65歳はかなり若手。シニアタイムの平均年齢は多分80歳を超えていると思う。

こちらのじいちゃんは90歳過ぎててもう耳もよく聞こえないみたいなのだけど、いつも顔を合わせると「お」という顔をしてから、にっこりと会釈してくれる。

キミヨばあちゃんは弘法の湯からすぐのところに住んでいて、いつも何か差し入れを持ってきてくれる。今日は袋にパンパンに詰まった甘いポン菓子を持ってきてくれた。

そしてこの方はペンキ屋のおっちゃん。きのこ取りの名人で、たまに珍しいきのこを調理して持ってきてくれる。熊鈴は持たない派らしく、理由を訊いたら「熊の足音や息遣いが聞こえなくなるから」とのこと。ま、まじか。

おっちゃんはこの弘法の湯に入ってから、家に帰って焼酎を飲んで、向かいにある天神の湯に入りに行くのが日課らしい。

「温泉入って、焼酎飲んで、また温泉入って寝んだ」。

なんて贅沢なんだろう。世間一般の人が旅行先でするような贅沢は、おっちゃん、そして湯ノ花温泉に住む人々にとっての当たり前だった。


16:00 また散歩

地元の方々と話していると、外から雨の音が聞こえてきた。お喋りに花を咲かせていたシニアたちが「洗濯物取り込まねぇと」と急ぎ足で帰っていく。そのあと雨はすぐに止んで、番台に静寂が訪れた。

また散歩でもするか。

山に囲まれた湯ノ花温泉は、雨が降ると幻想的な風景を生み出す。雨を蓄えた森が水蒸気に包まれて、まるで山から湯気が上がっているようだ。湿気を含んだ空気を肌で感じながら、ゆっくりと湯ノ花温泉の街を歩く。

そろそろ戻ろうか、と折り返したところで、前方からかすみ草を持ったおじいちゃんが歩いてきた。一昨日の風呂掃除で一緒になった人だ。

「こんばんは。そのお花どうしたんですか?」

「あぁ、今日は友達のところでアルバイトをしてね。それでもらったの」

写真撮ってもいいですか、とカメラを向けると、「えぇ〜」と照れくさそうにかすみ草を胸の前で持った。かすみ草とおじいちゃんの笑顔がパァっと咲く。うん、いい顔してる。


17:00 温泉入って帰るべさ

17〜18時頃は共同浴場が最も込み合う時間帯。仕事を終えた地元民と民宿に泊まる観光客がごちゃまぜになる、1日でいちばん賑やかなひと時だ。

私も18時過ぎに番台の仕事を切り上げ、温泉に入る。

熱いお湯に肩まで浸かると、「あ゙あ゙〜」と親父のような声が漏れた。無意識に体に入っていた力がするすると抜けていく。1日の終わりに毎日温泉に入れるなんて、やっぱり最高だ。

ぽかぽかの体で下宿先に帰ると、玄関までおいしそうな香りが漂っていた。鼻をヒクヒクさせながら居間に入ると、ばあちゃんじいちゃんが「おかえりなさい」と声をかけてくれる。

今日のメニューは秋刀魚と、豆腐ハンバーグと、庭で採れた野菜のサラダと、今朝おじいちゃんが採ってきたなめこの味噌汁。大きななめこはぷりんぷりんの食感で、これまでに食べたことのない味わい。若い頃はあまりピンとこなかったけど、旬の採れたてを新鮮なうちにいただくってすごく豊かなことだと思う。

番台生活はまだ始まったばかり。これからどんな日々が待っているのだろうか。どんな人と出会い、どんな景色を見て、私は何を感じるのだろう。

さぁ、明日も朝5時半から風呂掃除がある。まだぽかぽかした体のまま布団に入って、スマホもいじらず、落ちるようにして眠った。


※本記事は赤沢温泉旅館さまの支援のもと制作しています。
赤沢温泉旅館公式HP:https://akasawaonsen.com/



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おさつ いただいたチップでまた旅に出ます。いつかどこかで会えますように。

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