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実践するドラッカー 実践編 第79話:逆境を「迂回」する~目的は変えず、道を変える⑥(全9話)

事例15-6 名札を外したら、親子の時間が戻った――尊厳を守ることを、経済価値に変える

本記事は、実際の企業事例をもとに、人物名、社名、地域、時期、数値などを一部変更・再構成しています。

今回は、Rさんが取引先の高齢者施設で、ふと思ったことから始まりました。

高齢者施設から洗濯物として預かる衣類には、名前が書かれていました。

シャツにも、ズボンにも、靴下にも、下着にも。

多くの人の衣類をまとめて洗う以上、誰のものか分からなくならないよう、一枚ずつ名前を付ける必要があります。

管理のためには合理的です。

けれどRさんは、そこに引っかかりを覚えました。

子どもでもないのに、なぜ衣類すべてに名前を書かなければならないのだろう。
本人は、どんな気持ちなのだろう。

そして、
親の下着に名前を書く息子や娘は、どんな思いでペンを持つのだろう。

介護のために必要だと分かっていても、かつて自分を育ててくれた親の下着へ名前を書く。
そこには、言葉にしにくい切なさを感じる家族もいるかもしれません。
でも、名前を付けなければ洗濯物を管理できない。

それなら、
名前の付け方を工夫するのではなく、名前を付けなくて済む洗い方をつくれないか。

Rさんたちが見直したのは、名札ではありません。
名札を必要としていた、洗濯の仕組みそのものでした。


一人分ずつ、混ぜずに洗う

クリーニング工場では、大型の洗濯機を使い、多くの衣類をまとめて洗う方が効率的であり、そこに強みがあります。

しかし、その方法には別の仕事が生まれます。

衣類へ名前を書く。
洗濯後に持ち主を探す。
似た衣類を見分ける。
薄くなった文字を確認する。
返却先を間違えないよう照合する。

洗濯という工程だけを見れば、まとめて洗う方が効率的です。

でも、家族や施設職員の手間まで含めれば、本当にそうでしょうか。

そこでRRクリーニング社は、入居者一人ひとりの衣類を、最初から最後まで混ぜずに扱う仕組みをつくりました。

一人分の衣類を専用の袋へ入れる。
その単位を崩さず工場へ運ぶ。
大型機でまとめて洗うのではなく、小型の洗濯乾燥機で一人分ずつ洗う。
乾燥後も、ほかの人の衣類と混ぜず、そのまま本人へ返す。

管理するのは、一枚一枚の衣類ではありません。

一人分の袋です。

これなら、衣類へ名前を書く必要はありません。
大量処理を前提にした工場から見れば、非効率に見える方法です。

けれど、仕事の目的を、
「できるだけ多く、安く洗うこと」
ではなく、
「一人ひとりの衣類を、混ぜず、間違えず、気持ちよく返すこと」
と捉え直せば、仕事の設計は変わります。

Rさんたちは、効率を捨てたのではありません。

顧客にとって大切なものを損なう効率から、目的に合った効率へ切り替えたのです。


「施設の入居者」ではなく、一人の生活者

施設で暮らす人も、それまで自宅で生活してきた一人の人です。

自分で選んだ服。
家族から贈られた衣類。
着心地のよい下着。
長く使っているお気に入りのもの。

それらは、単なる洗濯物ではありません。

その人の暮らしの一部です。

もちろん、施設職員が本人を軽んじているわけではありません。

限られた人員と時間の中で、大勢の暮らしを支えるには、管理しやすい仕組みが必要です。

だからこそ、施設側の努力だけでは変えにくい。

それなら、洗濯を担う自分たちが仕組みを変えればいい。

衣類へ名前を書かなくても本人へ戻せるなら、その人は「管理される入居者」としてではなく、

自分の服を持つ、一人の生活者
でいられます。

RRクリーニング社が守ろうとしたのは、衣類の識別方法ではありません。
その人の持ち物が、その人のものとして扱われること。

そこにある、小さな尊厳でした。


遠くからでも選ばれた理由

このサービスを知り、遠方の高齢者施設からも依頼が来るようになりました。

工場から数百キロ離れた場所です。
近くの業者へ頼むより、輸送には時間も費用もかかります。
それでも、その施設はRRクリーニング社を選びました。

単に、衣類をきれいに洗うためではありません。

一人分ずつ洗う。
ほかの人の衣類と混ぜない。
名前を書かなくても、本人のもとへ戻せる。

本人の持ち物が、本人のものとして扱われる。

そこに、距離や価格を越えて選ばれる理由がありました。


「洗濯物を取りに行く」から、「親に会いに行く」へ

高齢者施設で暮らす親の衣類を、家族が洗濯していることがあります。

施設へ行き、汚れた衣類を持ち帰る。
家で洗って乾かし、畳む。
次の訪問で届ける。

仕事や子育てをしながら続けるには、決して小さくない負担です。

一方で、
洗濯が、家族と親をつなぐきっかけになっている
という面もありました。

そのためサービス導入時には、
「洗濯を外部へ任せたら、家族が施設へ来なくなるのではないか」
という心配もあったそうです。

しかし、実際に起きたことは少し違いました。

家族は、洗濯物を受け取り届けるために、何日かおきに施設へ行く必要がなくなりました。

けれど、親に会わなくなったわけではありません。
訪問の意味が変わったのです。

「洗濯物を取りに行かなければならない」
から、
「お母さんの顔を見に行こう」
「お父さんに会いたい」
へ。

限られた面会時間を、衣類の受け渡しではなく、会話や一緒に過ごす時間へ使えるようになりました。

用事としての訪問が、
人に会うための時間へ戻ったのです。

「昨日行ったから、今日は行かなくてもいい」
から、
「なんとなく気になったから、今日も会いに来た。来てよかった」
へ。

RRクリーニング社が変えたのは、洗濯の方法だけではありませんでした。


顧客は、誰なのか

このサービスの契約相手は、高齢者施設かもしれません。
料金を払うのは、施設や家族かもしれません。

しかし、衣類を着るのは入居者本人です。

そして、このサービスによって家族や施設職員の暮らしも変わります。

本人には、自分の衣類を自分のものとして扱ってもらえる安心が生まれる。
家族には、洗濯の負担から離れ、親と過ごす時間が戻る。
施設には、返却間違いや衣類管理の手間を減らしながら、一人ひとりを大切にするサービスを提供できる。

顧客は、契約書に名前がある相手だけではありません。

そのサービスによって、暮らしが変わる人まで見る。

前回、Rさんはホテルだけでなく、その先にいる「ホテルの顧客」を見ました。

今回も同じでした。

施設だけではなく、その先にいる本人と家族に、どんな変化が生まれるのか。

そこから仕事を考えたのです。


顧客の創造とは、人数を増やすことではない

ドラッカーは、事業の目的について次のように述べています。

事業の目的は顧客の創造である。買わないことを選択できる第三者が喜んで自らの購買力と交換してくれるものを供給することである。

『実践するドラッカー[事業編]』第2章 顧客が事業である
事業の目的は顧客の創造である p.36
(『創造する経営者』p.114)

顧客には、買わない自由があります。

別の業者へ頼むこともできる。
家族が自分で洗うこともできる。
従来の方法を続けることもできる。

それでも、
「このサービスを使いたい」
と選ぶのは、そこに意味のある価値が生まれたからです。

RRクリーニング社が提供したのは、単に衣類を洗うことではありません。

名前を書かなくてよい。
ほかの人の衣類と混ざらない。
自分のものが、自分のものとして戻ってくる。
家族が、洗濯ではなく親との時間に向き合える。

その変化そのものが、顧客に選ばれる価値になったのです。


尊厳を、選ばれるサービスへ変える

「尊厳」は、経営や利益とは少し離れた言葉に聞こえるかもしれません。

けれど、

名前を書かなくてよい。
他人の衣類と混ざらない。
家族が洗濯の負担から解放される。
施設も、一人ひとりを大切にする姿勢を具体的に示せる。

こうした価値が明確になれば、顧客は「洗濯料金の安さ」だけでは選ばなくなります。

RRクリーニング社は、
「尊厳は大切です」
と訴えただけではありません。

袋の使い方。
回収方法。
設備。
洗浄工程。
返却方法。

仕事そのものを組み直しました。

大切にしたいという思いを、対価を払って選べるサービスへ変えたのです。

そして、利益があれば、この仕組みを続けられます。

設備を維持し、人を雇い、より多くの施設へ届けられる。

第一話でRさんがたどり着いた、
「利益は、幸せの継続のため」
という考え方が、ここでもつながっていました。


家族にしかできないことへ、時間を戻す

会社が家族の代わりに洗濯をする。

それは、家族の役割を奪うことではありません。

会社でもできる仕事を引き受け、
家族にしかできないことへ、時間を戻すこと
です。

衣類を運ぶことは会社ができます。
洗うことも、乾かすことも、畳むこともできます。

しかし、

親の話を聞くこと。
表情の変化に気づくこと。
思い出話をすること。
ただ隣に座ること。

そこには、家族だからこその意味があります。

顧客価値とは、新しい機能を足すことだけではありません。

顧客が本来大切にしたかったことへ、時間や気持ちを戻すことでもあります。

RRクリーニング社が届けたのは、きれいな衣類だけではありませんでした。
家族が、家族として過ごせる時間だったのです。


【今日の問い】

Q:あなたの仕事は、顧客にどのような新しい価値を生み出しているでしょうか。

「顧客を創造する」と聞くと、新規顧客を増やすことを思い浮かべるかもしれません。

しかし、ここで考えたいのは人数ではありません。

買わないことも、別の方法を選ぶこともできる人が、
「それなら利用したい」
と思える変化を生み出しているかどうかです。

RRクリーニング社は、衣類を洗う機能だけを提供したのではありません。

名前を書かなくても、自分の衣類を自分のものとして扱ってもらえる。
家族は洗濯のためではなく、親に会うために施設へ行ける。

あなたの商品やサービスを利用した後、顧客の暮らしや仕事、人との関係はどう変わるでしょうか。

何をしなくてよくなり、どんな大切な時間を取り戻せるでしょうか。

自社が提供している機能の先にある変化まで見ることで、まだ言葉になっていない顧客価値が見えてくるかもしれません。


~次回予告~

次にRさんたちが向き合ったのは、原油価格の高騰でした。

世界の原油価格を、地方企業が変えることはできません。

そこでRさんが目を向けたのは、山や建設現場で価値の低いものとして扱われていた木でした。

次回、

原油価格は変えられない。経営は変えられる――捨てられる木を、会社を守る燃料に変える

へ続きます。

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